私は「武蔵」と名付けようとした。が、3対1で「小次郎」に軍配があがった。小次郎の方が美男子よ、という義理の姉の言葉で決定だった。
「小次郎」・・・この3月から我が家の家族となった柴犬。千葉のお花畑行きが急遽中止になり、せっかく揃った家族4人で「どこに行く?」と、横浜の中華街に遊びに行き、予定外に買い、飼うことになった犬だ。
14歳の柴犬のヒメは、息子が小学校入学前に我が家に来て、息子の放課後の相手をしてもらった大恩犬。自分は犬と思っていないらしく、よほどのことがないかぎり「ワン」と吠えない。人間大好き、自らも人間と思っている。
14歳の雌犬の「ひめ」はお姉さん、あるいはお母さん、あるいはおばあちゃんとして、小次郎の面倒をよくみるだろうという期待は見事に裏切られた。
3ヵ月の小次郎は、ちょこまか、ちょこまか、あっちに触り、こっちにぶつかり、ヒメの前を横切り、おしりに釘付けになり、ゴミ箱をひっくり返し、タオルを食いちぎり、うんちは所構わずする、マーキングかおしっこはあちこちに振りまく。雄犬ってこんなに大変だったんだと改めて子犬のしつけの苦労を感じる毎日。
かわいそうなことに老練のひめがゆったり老後を過ごすことができず、日々小次郎と闘い、眉間におお皺をよせるようになってしまった。ヒメ、ごめんね。
群馬にいる娘がひょんなことから子猫を飼うことになった。車のボンネットの中に入り込み、出られなくなって「ミヤァー」「ミヤァー」泣いている子猫をJAFFの出動で、助け出された猫だ。あまりに小さく、そのまま放ってしまうのは偲びがたく、とりあえずマンションに連れ帰った。まめまめしいので「まめ」と名付け、結局ペット可のマンションに引っ越しまでしてしまった。
ペットを飼うとまた一段ハードルが高くなり、嫁き遅れるとかとか、言われながら。
今年はめずらしく二度目、家族4人で出掛けられる機会がもてた。夏休みに出掛ける先をあれこれ考えたが、結局、ひめ、小次郎、まめを連れていけるのはキャンプしかない、ということになり、震災前はよく行っていた長野と新潟の県境にある秋山郷に行くことになった。 この3匹の関係はどうなってしまうのかと思ったが、なんと、あのやんちゃMAXの小次郎君が自分より小さいまめを気遣っている。追いかけたり、しつこくしたりしない。それどころか見守る姿も見られる。
小次郎、凄いね。やさしいね。やればできるね。
小次郎はやんちゃであっても根は寂しがり屋で優しいようだ。座っていると私の腰のあたりに体をぴたっとくつけてくる。私が動く度に足にまとわりついてくる。かわいいよ!!小次郎。
暑気払いの日、初めて参加して下さった我が家の近くに住む自閉症のお子さんとお父様。我が家の前をいつも楽しそうにスキップして通る息子さん。私の息子より3歳年上の彼は福祉作業所に通っているとのこと。お父様とゴミを捨てるときも自転車に乗って出掛けるときも、いつも一緒の姿が見られた。ほほえましいなと感じていた。あるとき、私の勤務先で障害をもつ人の会をやっていて、暑気払いがありますとお伝えすると、「行ってみます」と言って下さった。
簡単な自己紹介の時、道を歩いているだけで「バカ、アホ」という言葉を投げつけられる。優しい人はいないのか、と思う。息子さんはストレスのためか、17,8歳の頃から逆流性食道炎になり、食べ物を食べるとすぐに嘔吐してしまうとのこと。自宅の他に高島平の団地をもっていたが、息子さんが階上から階下に向けて嘔吐したことが原因で、その団地から追い出されてしまったこともお話し下さった。
やんちゃな小次郎でさえ、自分より小さい者、弱い者をいたわらなくてはいけない思いが生来あるのに、私達人間は、どうして優しい心を持つことができないのだろう。ほんのちょっとの優しさと思いやりがあれば、もっともっと住みやすい社会になるのに。