日々雑感

窪田 巧

26.12.2
他のMLの中で気を引く記事がありました。
名古屋の視覚障害者団体の皆さんが、駅構内やその周辺の地図を自分たちの手で作ったという内容です。地図といえば、線がつきものですが、ここでは、点字文字による誘導のようです。想像するに、改札口を出て、右の方向に50歩ほど歩けば、地下鉄への下り階段がある…のような表記だろうと読み取れました。
私達、視覚障害者には、「北の方角に100メートル」はわかりやすいようで、実のところ、困っているのです。そもそも、方角の北がわからないのですから。
言葉(点字)文字による誘導 地図はありがたいですね。
この団体の代表である 梅尾朱美さんはとても行動的な方で、私の裁判応援にと宮崎地裁まで来られたことがありました。歯切れ良い口調で理路整然と話されておられた姿に、圧倒させられていたものです。
最近、自叙伝(「権利の芽吹きは足もとに」(かもがわ出版))を発刊されました。辛い幼少時代を過ごしておられますが、現在の快活な口調からはそうした過去は感じられないほどであります。
お恥ずかしいことに、家に籠もる私とは、同い年であります。

27.1.28
私もみんなも貧しかったころのわが家の一コマです。

【にわとり】
田舎にあって、にわとりの卵は貴重なタンパク源でした。遠来の客には、にわとりをつぶして歓待しております。いずれもにわとり諸君には大迷惑であったことでしょう。放し飼いのお家もあったし、六角形に編んだ金網で囲った鶏小屋は誰でも作ることができました。餌も楽でしたね。ときには残飯も与えたし、菜っ葉も芋も刻んで…。浜へ行き、貝殻の多く混じった真砂を運んで与えたこともしました。小さな板の箱に芋や菜っ葉を入れて、刷毛のような形をした包丁を取り付けた長い棒をトントンとたたきながら刻んだこともありました。こうした仕事は子どもの役目で、おしゃべりに夢中になって、自分の足先に刃先が落ちたこともあったっけ。
そのうちに、農協からの呼びかけで卵が換金手段の一つとなりました。酢を染みこませたちり紙や布で磨いた卵を農協へと持って行ったのです。お金になることを知ったわが家では、奮発してケージを二つ買い入れました。現在の鶏舎にあるケージと構造的にはそう変わりないでしょうね。ただ、ケージの枠が五センチほどの角材で、鶏の足元は細い竹を少し間をあけて取り付けていました。隙間から落ちた糞は板で受け止めています。隣の鶏との仕切りも竹。餌入れは板で作った断面が三角の雨樋のような形。生み落とされた卵は、細い竹の上をコロコロと転がって、手前の板で止まります。水入れは…はて? この小屋は、昔は鍛冶場でありました。鍛冶をやめて、五右衛門風呂となって、その風呂を壊して、鶏舎となったのです。現在の養鶏場の鶏舎は数千羽から数万羽。当時のわが家は高々二十羽。鶏舎でなく鶏小屋でありました。
そういいえば、餌だけは農協から買い入れた本格的な飼料。当時六年の私は、竹籠いっぱいの卵を農協に持って行き、その足で登校しておりました。
そうそう、卵は盗まれていましたね。当時は防犯カメラなんてなかったから、母は小屋の中もその周囲も庭箒で掃き清めてから畑へと行っておりました。帰宅すると、足跡が! しかし、誰と特定できなかったのが難点でした。今となってはこうしたことも懐かしい一コマのシーンです。

27.3.7
こんにちは 窪田です。
視力がないと苦労しますね。さらに難聴となるとコミュニケーションがとれないものだから、没入としてひとりたたずむ時間が多くなりました。
これではいけないと、ふるさとの思い出話を綴って9人宛てにメールで送信しています。本日までに60号をやっと越えました。反応してくださるのは4人。次回からは4ヶ所に送信となります。反応がないとつまらないですからね。
反応してくださった中でこんな例がありました。
「 南九州を原産とするシュロの木があります。南の国のヤシにそっくりです。このシュロの上部に繊維を編んだような皮ができます。これがとても強いので綱に使われてきました。皆さんの周囲では玄関まわりのホウキとして使われています。昭和四〇年まではシュロが重宝されていましたね」…以上のような文で送信しました。(本当はダラダラとした長い文です)
ここから紹介するのは、シュロで魚釣りの釣り糸、つまりテグスに使っていたよ、との内容です。
「先ず、河原に生えていた5メートルほどの竹を切り、火であぶって形を整えた。釣り針は、自転車のスポーク一本を折り曲げた。おおきなミミズを餌としたのでスポークで十分だった。釣り糸はシュロの皮の繊維をほぐして編んだ。
対象となった魚はボラ。海から4キロ遡った地点での体験話で、一番大きかったボラは一升瓶ほどだった」
私のふるさとは、九州の西端、反応してくださった方は、九州東岸の川流域の男性です。
あのゴツいシュロが釣り糸にねえ、とか釣り針がスポークで? とか 一升瓶ほどもしたの?
同じ九州でも、エッ!と驚いた体験話でありました。