窪田 巧
昨日(八日)は、中秋の名月…だったと小野さんのメールで教わりました。へえ 9月の初旬とはなあ、珍しいもんだと思いつつ、昔を思い出しました。ふるさとの十五夜祭りについてはいつか紹介することにしましょう。
さて、雨続きの夏でしたが、ずーっと、頭の片隅に引きずったままの記事がありました。要約すると、障害をもったご婦人がバスに乗り込むのに難渋していたので、このバスの若い運転手さんが介助しようと手をさしのべたら、そのご婦人に罵声を浴びせられた、というのです。想像するに、「自分でできるから余計なことするな」の罵声だったのでしょうか。気の毒だったのは若い運転手さん。
十年ちょっと前だったか、私は視力がどんどん衰えてきた頃で、失明の貳文字に恐怖にかられておりました。それでも、この実態を他人には知られたくないとの気持もあって、誰かが手をかそうとすると、「大丈夫だ余計なことするな」の気持もわいて、見えたふりもしていたのです。でも、他人の目には危険と映っていたのでしょう。
また、白杖を手にした頃、自宅の周囲では見えたふりして、近所の目が届かない場所で使用していたときもありました。こうした現実を受け入れられないという気持があるうちは、まだまだ強気でいられたのですが、完全に失明してしまうと、素直に他人の厚意を受け入れるようになりました。そうでなければ動けないのです。
前述のご婦人のケースと単純に比較はできないのでしょうが、私達障害者は、単独では動けないし、独りでは生活できない身です。
「すみません」・「お願いできませんか」・「ありがとう・助かります」…の言葉もスムーズに出せるようにありたいですね。