「障害者福祉の最近の動向について」

2005年9月3日 自立支援法学習会(於戸山サンライズ)
障害者福祉の最近の動向について- 地域生活支援とエンパワメント -
東洋英和女学院大学 教授 石渡和実 先生
文責 障害児・者人権ネットワーク 事務局

ここ半年あまりのながれ
遅くなって申し訳ありません。石渡と申します。よろしくお願い致します。今障害関係のところでお話をさせていただく事が多いのですが、自立支援法の課題とか評価とかこれからのあり方とか、そんなところでまずお話をさせていただきます。
レジメが7枚と自立支援法が国会に出たばかりの時に月刊福祉にポイント的なところを紹介させていただいたものと関連する資料を私なりの視点で選んでご紹介しております。
ご存知の様に自立支援法は8月8日に衆議院が解散になって審議中の法案については全て廃案になってしまい、衆議院の解散については予想外の展開でした。9月11日に選挙が終わって改めて国会が召集されれば最近聞いている情報ですと厚生労働省としては改正案ではなくてほとんどそのままのものを国会に出して早い段階での成立を目指す方向だということです。8月までの衆議院・参議院の審議で若干変わったところもあるのですが、基本的なところはそんなに大きな違いはないです。
資料1枚目のレジメから見ていただいてと思います。平成15年に障害がある人が自分の考え方に基づいて地域で暮らしていく、それを支援するのが支援費制度です。行政が措置で決めるのではなく介護保険と同じ様に契約する事になったわけです。支援費になってから特に知的障害の方の生活とか障害児という児童福祉法の中でサービスを受けていた方についてはかなり生活の質が高まったと指摘されます。ホームヘルプサービスについては知的障害や障害児、家族にとって非常に使い勝手がいい制度になっていたからだと言われています。高齢者の介護保険では身の回りの介護、家事援助という事だけしか使えないわけですが、障害の方の場合はガイドヘルプサービスで外出の支援にホームヘルプサービスが使える様になった。これによって外出支援も余暇活動の支援にも使えるようになりました。生活にゆとりが出来てきたといわれます。ただ、ガイドヘルプサービスの利用がものすごく伸びたために予算が足りなくなってしまった。1年目が127億円、2年目が250億円が不足、3年目については自立支援法が通ることを見越して厚生労働省は予算を立てていた、この法案が通らなかったというところでまた色々な影響が出てきています。私は知的障害の方が余暇活動にもガイドヘルプサービスを使えるようになったというところが大きいと思います。親とか家族がいなければ出掛けられなかったこれまでの暮らしから自分が行きたい人と一緒に出掛ける事が出来るという、当たり前の生き方がようやく出来る様になったという意味でとても大きいと思います。財務省から遊びに行くのに税金を使うのかという批判が出てきた。支援費が途方もなく使われていて、そんな使い方をして良いのかという批判の声に繋がったと思うわけです。
支援費を使えるのは身体障害と知的障害、障害児の在宅サービスというところだけで精神障害の方が支援費の制度の中には位置付けられていないという事がまず大きな課題としてあげられます。支援費制度がスタートしても精神障害の方が地域で生きるためのサービス、それから入所施設・精神病院の様な入所施設・病院で暮らしている方達の生活というのは相変わらず厳しいものがあるという問題点が指摘できます。
レジメの1ページ目の(3)の真ん中。支援費になってからサービスが非常に使いやすくなり,(3)の⑤、支援費制度の財源問題の深刻化という事が書かれています。支援費制度がスタートして半年くらい経った9月10月くらいの時から支援費制度は失敗だったとか支援費制度は破綻するという声が大きくなってきたわけです。そこで,介護保険と一緒にして介護保険の保険料でサービスを賄う様にすれば支援費の足りない分を何とか賄えるのではないかという話になってくるわけです。ところが、そういう話題の中で登場してくるのがグランドデザインという新しい考え方です。レジメ2ページ目の一番下の方の(8)、昨年の10月12日にグランドデザインが出てきました。グランドデザインの説明で最初に説明されるのがこの資料集の2ページの図の5、これからの障害者福祉の基本的な方向という事で紹介される3つのポイントです。1つが制度の持続可能性の確保。昨年の10月12日、支援費の予算不足からグランドデザインが出てきたという解釈はどなたも異論がないところです。
一番上の丸ですね。障害保険福祉の総合化ということをいっていて、さっき申し上げた精神障害の方達のサービスがまだまだ支援に入っていないということも含めて、障害者福祉の一番大きな戦後50年の課題というのは身体障害、知的障害、精神障害という障害の種別でサービスの格差が非常に大きい。そして中でも施設サービス中心で位置付けられてきて、施設に関するサービスというのには予算がたくさん使われているけれども地域で暮らすためのサービスとは本当に予算の1割にもなっていないという状況が長く続いていて、障害がある人の地域での暮らしは家族で支えている。3障害で非常に格差が大きいということを総合化しますよというのが打ち出され、障害者の総合福祉法、今ある身体障害者福祉法、知的障害者福祉法、精神保健福祉法といわれる3つの法律を1本化するんだというのが打ち出されるわけです。これは私たち障害福祉に関わる人間が30年来ずっと強調してきた事です。そして自立支援システムへの転換というのも打ち出されて、保護から自立支援へ、施設や病院の中に入って守ってあげる発想ではなくて、地域でその人らしく暮らす、自立支援へという視点で自己実現。更に社会貢献という言葉もその後に出ていて、障害のある人も社会の中で役割を果たすというような考え方が打ち出されているというところで、「あ、すごい」と去年の10月の時点ではむしろ感動したんですね。ところがグランデザインが出てきた時に支援費の財源不足が背景にあるということがはっきりしてきましたし、グランドデザインが介護保険と一緒になるのが前提だという事がすぐに明らかになったわけです。やっぱり介護保険と一緒になるということだと、介護保険がスタートした時も高齢者の自立支援ということを95年頃には大きく謳っていました。ところがバブルがはじけて財源が厳しくなると、高齢者が在宅で生き永らえるのを単に支えるだけのサービスに制約されてしまったと言わざるを得ないと思います。例えばお年寄りがちょっと外に出たい、会いたい人に会いに出掛けたい時に外出を支えてくれるか、外出支援というサービスがあるかといったら,在宅サービスの13メニューの中にはガイドヘルプサービスは位置づけられていない。この辺りを見ても本当に家の中のサービスだけであり,特に障害者が求める社会参加、あるいは自分が地域でどう生きるかというのを支えるサービスとは介護保険では程遠いわけです。介護保険と一緒になるのなら,介護保険もより質の高い、まさに高齢者の自立を支えるようなサービスに変えたらいいではないかという議論も出てくるわけですが、どうもお金の点のみ考えられている。今の介護保険制度で障害者の自立のための支援費の財源まで賄えるはずはないから、保険料を35歳以上から徴収しようとか、医療保険と同じ様に20歳以上から徴収しようという議論も出てきているわけです。それでは若い人は納得いかないだろうという事で介護保険と支援費のサービスを一体化するという10月のグランドデザインの考え方は12月に入ったくらいのところで消え去ってしまいました。そして代わって出てきたのが自立支援法の考え方です。これが国会に出されたのが2月の10日になります。2月10日に出された時の狙いは何だったのかというと、とにかく足りなくなっている支援費の財源を確保出来る様な新しい制度を作っていこう。サービスを利用した障害者から1割分を負担してもらことによって足りない財源を賄おうという考え方を打ち出してきたわけです。障害者の方の生活を考えていただいたら分かる様に障害が重くて働く事も出来ない、家族にこれ以上の負担を強いる事がとても出来ないからなるべく支援費でサービスを使う事によって家族の負担も軽減して自分が納得出来る生活をしたいという人が多いわけですから、働けず,せいぜい障害者年金の受給程度という人の方がたくさんのサービスを使わざるを得ないという事が障害者のサービスの大きな特徴になると思います。ですからある程度お元気な時に働いて貯蓄をする事も出来た、そういうご自分の収入や貯金のある高齢の方と障害のある方のサービスを使う立場というのは全然違います。その辺のところを厚生労働省が分かっていたから障害者の支援費は1割負担という様な応益負担ではなく,応能負担、その方がこれだけのお金なら払えるよという支払能力に応じた応能負担だったわけです。
今度の自立支援法では障害者がサービスを利用したらそのサービス利用料の1割を負担してもらうという応益負担という事にして財源を賄おうということです。でもですね、今言った様に障害者本人の収入でそれを払える方というのはそう多くは無いというのが見越せるわけですから、生計を一にするもの、言うならば同居している家族から利用料をとるという事によってご本人が払うことができない場合は家族に払ってもらおうという考え方が新たに登場してくるわけです。あるいは親が亡くなったという方の場合ですと兄弟にまで負担がかかっていきます。自分達は30になっても40になっても,いつまで経っても一人前にはなれない存在だというのが措置の時代の課題でした。障害がある人の誇りとか尊厳は考慮外でした。介護保険では配偶者や子供であれば同居している家族から利用料を払ってもらう形に介護保険が変わっているのにあわせて,障害者の支援費も支援費がスタートした平成15年からは同居している家族が払わなければならないのを介護保険と並べて配偶者と子という事に限定しました。支援費になってようやく一人前の大人として認められたのに,この自立支援法が提案された、また親兄弟が復活してしまったというあたりが一番大きな課題ということで強調されてます。これについては今年の8月15日に衆議院を通過していくつか修正案、付帯決議が出されていますが基本的なところは変わっていません。親兄弟から徴収するという形のまま廃案になってしまって、それがまたそのまま登場しようとしているわけです。
1割負担よってサービスの利用をおさえるという事が自立支援法が出てきたもうひとつの大きな目的です。財源を確保と抑制、ここのところが自立支援法の大きな狙いだと批判が集中しています。この機会にきちんと修正しなくてはいけないのではないかという事を当事者や私達は強調しています。というところがここ半年余の流れです。マスコミの論調も介護保険料同様1割負担をすべきとなっています。しかし,収入のない,あるいは少ない中での一割負担はおかしい,と考えています。

支援費制度における利用料負担
厚生労働省もその点の配慮はしていると言います。低所得者ということで3段階、生活保護を受けている家庭は利用料は取りませんよ、0円ですよという事を言っています。低所得者の中でも市民税支払いの有無による利用料をレジメにも示しています。障害のある人の収入は障害基礎年金1級の人が8万3千円くらい、2級の人が6万6千円くらいが今一番一般的な収入になるわけですが、この6万6千円が2級の年金なのか1級の年金なのかというところでサービスの利用の上限を変えていくということが言われていて、低所得者に対する配慮をしているし、利用料を一番とっても4万5千円くらいで高額医療費とあわせているんだという事が言われていています。1割負担といっても収入の無い人からはそんなに取るわけではない、低所得者への配慮をしていると言われています。しかし,そもそも利用料で利益を受けたのだから1割負担しなさいという考え方がそういう考えで良いのかどうかという議論もされ始めていて、ご自身も目ガミ得ない,聞こえないという障害当事者である東京大学の助教授福島さとし先生が委員として厚生労働省の社会福祉審議会の中で発言をされています。福島先生はグランドデザインが昨年の10月に出て、自立支援法で応益負担というのはそもそもどういうものなのかという事について根本的な疑問を呈したわけです。1割負担が市民として当然の義務というがサービスの提供を受けることが利益なのだろうかという問題提起です。
福島さんは障害が無い人とコミュニケーションをとる時は、指点字で理解し、そのための通訳の方を使ったり自分が知らないところに出かける時はガイドヘルプの方に案内をしてもらったりという事でサービスを使います。福島さんが東大の助教授として、あるいはひとりの市民として地域で暮らす時に通訳やガイドヘルプは必要不可欠のサービス、そういうのがあるからこそ色んな活動が出来てくる、当たり前の暮らしが出来るという事になるわけです。通訳やガイドヘルプというサービスを使ったのだから1割払いなさいよ、たくさん外出をしたらたくさん利益を得ているのだからサービスの利用料を負担しなさいよといわれる。でも本当なら通訳にしてもガイドヘルプにしてもそんなサービスを使わない状況でいる事がもっと望ましいことなんだという事をおっしゃったわけです。そういう通訳にしてもガイドヘルプサービスにしても自分が障害があるから障害で出来ない部分をカバーするために利用するサービスであって、私たちの様に障害が無いという立場であればそんなサービスは使わなくていいわけです。サービスを使わなくていいという事は利用料の1割なんて事を考えなくていいのに、あなたたちは利益を享受したのだから負担しなさいと言う。自分が障害者になったのは、やむを得ないどうしようもない理由で障害者という状況になった。その人に責任があって障害者になったわけではない。自分で責任を負えない状況に対してサービスを必要とする時にサービスを使ったのだから1割負担しなさいという考え方はおかしい、使わないで済むならそういう状況がありがたいんだ、そういう主張をされてから厚生労働省も利益という意味での応益負担という言葉を改めて定率負担という言い方に変えてきました。
12月の時点では更に福島さんははっきりと応益負担という言葉で利益をいう言葉を使われるのは無実の罪で刑務所に入った人が無実だと主張しているのだけれど認めてもらえなくて刑務所から出たいがために保釈金を払って刑務所から出るのと同じという事までおっしゃったわけです。

介護保険の保険料の捉え方・ドイツの介護保険の考え方
福島さんがこういう主張をしたあたりのことで障害があっていろんなサービスを使っていくということは障害をカバーしていくというところで決して利益を得るものではないという考え方が改めて確認された時に、お年寄りの場合だってそうだという話が出てきました。保険というのは交通事故にあった時、病気になった時も含めてたまたまそういう状況になってしまった人を社会連帯として支えるということですが、たまたまそういう状況になったという事に対して,障害がある方にしてもお年寄りの状況にしてもまず本人に責任が無いというあたりで改めてドイツの介護保険が注目されています。ドイツでは元気な時から保険料を払うことで介護保険の制度が動いているけれど、身体介護が必要になった,認知症になったという状況で介護保険からサービスを使わなければいけない状況になった時はその方にサービスが提供されますが,1割の利用料を払うなんて事は無い。使った事を利益だという捉え方をして介護保険のサービスを使ったお年寄りから介護料をとることはドイツでは無いという事が改めて注目されたわけです。さらにドイツの介護保険との違いを考えると、日本でも制度を考えようという時にヘルパーさんというような外部の人に支えてもらうか、家族による介護を望むかという場合に,家族が介護をしているなら家族に対して介護手当てを払おうという考え方も提案されていましたが、結局お金が無いという事で家族手当というものは位置付けられませんでした。現実に家族ががんばっているから地域での生活ができているという事が多分にあるわけです。家族ががんばって地域生活を維持しているのに家族から利用料を徴収するという,家族に2重の負担を負わせるような制度はおかしいのではないか。そもそも福祉サービスと利用料はどうあるべきかというところもとても議論をされています。お金が無いんだという事はどなたもおっしゃいますが、市民が最低限の暮らしをしていく時に最低限の暮らしが障害があったり高齢になって出来ないという状況にある方についてはそこを保障するというのが本来の福祉サービスではないか。そういう視点に立った時に障害福祉というのが福祉予算の中でどれくらいの割合を占めているのだろうという事を改めて欧米とかドイツと比べた場合に北欧では障害が30何%という数字であるのに対して日本は10%にも満たない。日本の障害者が少ないという事ではない。障害と認定されるのは非常に制約されているわけですが,サービスを必要とする人たちが欧米に比べて割合が少なくないにも関わらず,福祉サービスがいかに貧弱なものかというのは予算で比較してみると分かります。

自立支援法の理念
障害のある人のニーズに応えることの出来る事業者がようやく出てきたばかりだという時にサービスを抑制するために自立支援法が出てきたという事に納得が出来ないのです。自立支援法の考え方の中で評価出来る面ももちろんあるのですが、具体的にサービスが動いていく事を考えると、課題の方がむしろはるかに多いのではないかと指摘されます。レジメの3ページ、(1)の①というところにこの自立支援法の第1条の目的というところを抜き出して紹介しています。この1条の目的のところに自立支援法の理念が書かれていて、理念が身障・知的障害・精神障害という障害の格差、サービス格差だけではなくて第1条の目的のところの4行目になるのですが、最後の方で「障害の有無に関わらず国民が相互に人格と個性を尊重し、安心して暮らすことの出来る地域社会の実現に寄与することを目指している法律」なんだということが書かれていて、その3障害の格差を乗り越えるだけではなくて障害があるかないかという事に関わらず、国民全てが安心して暮らせるそういう街づくり、地域を作っていくそういうユニバーサルな視点に立った法律なんだという事を厚生労働省などでも強調されていました。確かにこういう考え方が出てきたというのは街づくりとかバリアフリーじゃなくて本当に最初から誰もが使いやすいというようなユニバーサルという考え方を障害者運動の中で打ち出してきたその成果がこんな形になっているという風に言えると思います。そういう制度は誰にでも使えるような共通のものにしておきたいという事を自立支援法は目指すといっているわけです。
先ほどお話ししたドイツの介護保険というのは65歳以上の高齢者とか40歳以上の15の高齢化に伴う特殊疾病というところで日本では限定的な介護保険のサービスなのですが、ドイツの介護保険は障害のある人も使える。ですから障害児といわれるような7歳8歳の子供達であっても知的障害がある20歳の方であっても介護保険のサービスが提供されていて、その人が必要であれば使える、誰も必要なところに届くという事を前提としているユニバーサルなサービスなんだという事を考えた時に,日本の自立支援法が目指すサービスもそういうところを目指しているんだという考え方が謳われてはいるわけですけれども、いざ使う時は3ページの②の真ん中の定率負担のところにいってしまいます。

自立支援法におけるサービス
この自立支援法になった時にサービスがどう変わっていくかというあたりを確認していただくという意味では(3)の図6を見て下さい。サービスを提供で大きく3つの枠組みに分かれている。
介護給付というところに書いてある居宅介護というのが,言うならばホームヘルプサービスということになりますし,デイサービスとか短期入所、ショートステイという様な在宅で利用するサービス,一番下に施設入所支援ということが書いてあって、施設サービスも含めて障害がある人の暮らしを支えるための一番基盤になるような介護給付というサービスが位置付けられている。
その右側には訓練等給付、自立支援医療、補装具ということで障害がある人に固有の、高齢者はあまり必要としないけれども若くて教育を受けたり,働くという社会参加をしている障害がある人のサービスということでこの右側のサービスが位置付けられている。訓練等給付というところを見ていただくと、自立訓練、リハビリテーションセンターでやっているような機能訓練や、知的障害や精神障害の方も含めて家庭の生活、あるいは社会生活をしていくために身の回りの事が出来るような,社会生活の基本となるようなそういう生活訓練というところ。働く場へ移っていくための就労移行訓練、これを見ても企業への就職とかそういう事を目指した就労自立のための就労移行訓練。就労している人が働き続けられるようなジョブコーチの支援だとか、そういう事も含めた就労継続支援。これは授産施設などで福祉的就労をしている方への支援も含めて就労継続支援。そしてその下の共同生活援助というのがグループホームで暮らす時の支援グループホームに関わる支援です。お年寄りだったらリタイアして、在宅している人なら必要としないということが多いけれども障害がある人には特に重要になってくるそういう支援をここに位置付けている。

精神障害者の医療費
その下は自立支援医療、障害のところで特に必要となってくる医療費というのがそこの自立支援医療というところで位置付けられています。障害で例えば脳性マヒの方の厚生医療とか、障害児の育成医療とか、それから今医療費との関係で注目されているのが、精神障害の方の通院医療費公費負担という精神通院公費と書かれているところがとても注目されています。精神保健法の32条に精神障害の方が病院を出て地域で暮らす時に病状を安定するために薬を飲んでいる状態で心配ないという事を病院に通院してチェックをしてもらう。お薬の量を調整してもらうという事が精神障害の人が地域で安定して暮らすための基盤なんだ。だからそのための通院したときの診察代とかお薬のお金というのがご本人に負担になっては困るからということで精神保健法32条では普通医療費は本人だったら1割負担、扶養家族だったら3割となっているのを5%にすると位置付けられているのがこの通院医療費の公費負担。そしてご本人が払うのは5%だけで、公費で残りの5%を負担しますよということであまり経済的な負担を考えずに病院へ行ってもらうという事を考えているという事になるわけですが、これを医療保険並みの1割,もし扶養されている人なら将来的には3割負担をしてもらおうという形に変わろうとしているのがこの自立支援医療の中の精神障害関係の通院医療費の公費負担だという事になります。現実には大きな都市であればこの5%というのも行政が負担しているところも結構多くてご本人は負担0で服薬・通院が出来ているというのが今のサービスの現状なのですが、0だったものが1割になる、あるいは今もし5%払っているのであれば1割になったら2倍、3割になったら6倍を払わないといけないとなるので、そうなったらとても医療費が払えないからもう病院には行かないよという声が精神障害の方達の中でかなり広がっています。それで精神障害の人が病院へ行かない、薬を飲まなくなるということは症状が厳しくなるということが当然予想されるわけですから、精神障害の関係者の方達は地域で暮らしている精神障害の人たちが病院へ行かないという事になったら本当にどういう事になるか考えただけで恐ろしいとおっしゃる人もたくさんいます。

地域生活を阻害しかねない費用負担
こんな風な医療費の負担、それから施設を利用した場合も給食費とか施設の光熱費を負担するというホテルコストといわれるものを含めて負担が大きくなってくると、もう障害がある我が子を家に閉じ込めておくしかないという声が精神障害・知的障害の方たちの親御さん、家族の方から随分聞かされている状況になってきました。この間も地域でとても知的障害のあるお嬢さんのために本当に積極的に前向きに活動しているおお母さんに「先生、今度出されたあの法律って一体何ですか」と本当に意気消沈しておっしゃって、私たちが30年がんばって子供たちのために地域の暮らしを作る、支える、そういうサービスを築き上げていたのが、本当に30年ようやくサービスが広がって、質の高いサービスが出てきたのに30年の努力がまた0になってしまう。そういう事になっちゃう法律じゃないですかとおっしゃっていて、本当にそうだなとつくづく感じてしまいました。そんなサービスの抑制を目指しているということはやっぱり地域で暮らすということの破壊に繋がっていきかねないというところでこの自立支援法に対する批判が集中しているわけです。
支援費でサービスが伸びていった地域生活に関わる地域生活支援事業という上の2つの分類は,障害があるご本人に提供されるサービスは市町村が地域で暮らす障害者を支えるために市町村として作っておかなければいけない支援という事でここに位置付けられています。行政の判断で、福島さんの場合だったら指点字の通訳になるわけですが、視覚障害の人の点訳サービス、聴覚障害の人の手話通訳者というコミュニケーション支援とか、それから左側の一番下に移動支援があります。外出の時の支援が,ガイドヘルプサービスのほとんどがこの移動支援という市町村が整えていくサービスというところに位置付けられてしまっています。今の支援費は一月にある知的障害の人には30時間のガイドヘルプサービスを使っていいですよという個人に対してガイドヘルパーを位置付けていましたが、今度は市町村が一括して必要な時にガイドヘルパーを派遣するという事になるので個人の判断で自己決定に基づいて使うというやり方が非常にしにくい制度に成増。ガイドヘルプサービスのほとんどが市町村の事業の中に入ってしまっているので外出などが今までの様に自分の判断で使えなくなるということで指摘されているわけです。

サービスの公平を喫するための一次判定・二次判定
将来的にはこの介護給付というのは介護保険のサービスと一緒になるだろうという事が予想されていまして、そこら辺をより納得させてしまうのが、左側にある介護給付・訓練等給付の利用手続と書いてある障害者の方たち個人に提供されるサービスをどういう風に決めていくか。今の支援費ではご本人が申請して、行政がそれぞれの市町村の判断でこれだけ必要なんですねという風に認めればその障害がある人ご本人が申請したものがかなり認められていた支援費でした。ご本人の申請がかなり認められていたことから無制限の利用に繋がったとか,声に出せない人、サービスを要求出来ない人のところにはサービスが届かないというサービスの不公平、あるいは支給量がどういう風に決まるのかというシステムが一般の人に見えにくい不透明なものだった。サービスの公平性・透明性を確保するためにその人にどれだけサービスが必要なのかという事を決めるそのシステムをきちんと位置付けようということで、一次判定と二次判定という要するに一次判定はコンピュータで必要なサービスについて調査員、いわゆるケアマネージャーがその人の生活状況をきちんと把握したものをコンピュータにかけて、コンピュータの結果を二次判定ということでお医者さんだとか社会福祉士、看護師さんの審査会でやっていくというシステムにしていくということになります。これはまさに介護保険と同じ様なシステムになっていきます。将来的には介護保険と一緒にやっていくというところから,利用手続のやり方とかサービスをこんな風に位置付けたという辺りからも見えてきます。これはさっき言ったサービスが障害別とか年齢別でなくなるという面ではいい方向にいく可能性がありますが、現実に今いくつかのところでこのシステムに則って介護保険のやり方を基盤にしてモデル事業として判定しているのですが、特に知的障害の自閉傾向がある人たちとか、精神障害の人の場合はこれではとても地域の負担は出来ない、家族の負担が大きくなるだけだという結果しか出ていなくて、この二次判定の所で障害者の暮らしが解っている人たちがそこら辺をきっちり考えていかなかったらとても障害がある人に対するサービスというのは制約されて、本当に利用出来ないものになってしまいます。今の介護保険並みのサービスになってしまってはとても地域の暮らしは出来ないよという事が言われているわけです。そしてそんなサービス料の決定の仕方に対しても色んな疑問が出されています。

施設サービスの再編
次の図7は今障害者関係の3つの法律、児童福祉法も含めると4つの法律でどんな施設やサービスが提供されているかというのを地域ごとに,誰もが使いやすい施設サービスを新しい体系に再編成していきましょうという事を打ち出しています。今4つの法律で施設あるいは色んなグループホームを含めると60くらいのサービスが有ります。それを大きく昼間の活動のところと、夜の暮らしの場を別にしますよというのを打ち出しています。今入所施設ですと、24時間365日同じ施設の中でしか暮らしがないという人たちが現実に多いわけですが、とにかく昼間出掛けて活動するところと夜の暮らしの場は分けましょうというのを前提にして、日中活動の場のサービスについても身近で色んな機能を持っているそういう施設を作っていくような形に再編成しましょうという事を打ち出しています。
施設のあり方についての再編成というのも悪くないだろうという事も言われてはいるのですが,例えば暮らしの場であるグループホームなどを考えてみても,ケアホームとグループホームという2つに分かれるというのが提案されています。そしてケアホームというのは今までのグループホームの制度だと、グループホームでは暮らせなかった重度の障害がある人たちが色んなケアを受けながらグループホーム的な4,5人くらいの規模で生活する場だと。重度の人でもグループホームで生活出来ますよというシステムにしていく。軽度の人は前からある様なグループホームで暮らしてもらおうというやり方にするんだと提案されています。東京とか横浜のグループホーム関係者の方の指摘では,要するに地域の暮らしという場は障害が重い、軽いという事で暮らしの場が分けられてしまう。このケアホームとかグループホームという考え方はおかしい。やっぱりグループホームという共同生活の場は本当にこの人とだったら疑似家族的に一緒に暮らせるという人を選んでひとつの暮らしの場が決まるのであって、障害が重い、軽いということで暮らしの場が分けられるというのはそもそもおかしい。ケアホームだったらホームヘルパー派遣が出来るけれどもグループホームでは出来なくなるという事も含めて評価出来る見直しという風に大きくは言えるけれど,本当にそこで暮らす障害のある人の生活を考えた時には納得出来ない点が多いので、課題も見えてくるというところが指摘されています。

まとめ-障害者の自立を阻害する障害者自立支援法
すみません、もう3時を回ってしまったのでこの辺で一段落つけます。自立支援法の中では3障害を総合化するとか年齢とかも越えてある地域で暮らしている人が必要なサービスが届くような地域福祉が実現することを目指しているんだという方向性はよしとされると思いますが、この法律が出てきた一番の理由というのはお金が無いのをどうカバーしようか、そしてお金が無い中で支援費のサービスがどんどん伸びているというのをどう支援費のサービスを抑制しようかというのが一番切実な課題として出てきた。そういう時に財源の確保というところで1割利用料負担というところが打ち出された。利用料の負担に対して障害のある人がそれなりの収入がある、あるいは貯蓄があるというお年寄りの場合には何とかなる部分はあると思うのですが、本当に収入も無い中で家族に負担を強いるような利用料の徴収のシステムという辺りはおかしいし、そもそも利用料という考え方は福祉という視点ではおかしいんじゃないかという指摘も出てきている。改めて障害のある人が地域で暮らせるだけの所得保障をという考え方がクローズアップされた中で、所得の確保という言葉が使われて衆議院の議論の段階では所得の確保という言葉を使って法案が一部修正されたというところも出てきてはいるのですが、地域の暮らしを支えるサービスというのが本当にこの国際障害者年から四半世紀を経てそういう流れが確実に進んできた中でやはりサービス抑制というところを背景にしてむしろ今の色んな課題がある介護保険との一体化という流れになってしまうということはやっぱり納得出来ない。それで介護保険と一体化するなら本当に介護保険も充実したものになるような方向性。障害があるとか高齢になって介護を必要とするというのはたまたまそういう状況になる方がいらっしゃる事を考えると福祉サービスというのがサービスを利用する人に負担を強いる、利用料を払うという本当にみんなの社会連帯という視点に立ってサービスが提供出来るシステムがどうあったら良いのかというそういう方向性をきちんと位置付けてそれが提供出来るようなシステムというのを考えていくことが必要だろうという事を改めて当事者や関係者も実感して、色んな運動をやっているところです。
そんな風に考えてきた場合も本当に昨年の10月にグランドデザインが出て、今年の2月には自立支援法が国会に出されて、あまりにも利用者の方や関係者を抜きにして財源が無いというところで本当に急いで制度を変えようとしているというところで、やっぱりこの25年、国際障害者年以降くらいから社会福祉の基礎構造改革の理念に繋がるような福祉の制度というのが変わりつつある。せっかく築いてきたものがお金が無いという理由で厳しい状況に追いやられてしまう。支援法の中で考え方とかそこら辺は本当に評価出来る部分はたくさんあるわけですから少し時間をかけて本当に障害のある人に使いやすい、家族も含めて地域の暮らしを支えられるような支援、そのサービスを実際に提供していくシステムをどう作っていくかが改めて時間をかけて議論を重ねて作り上げていくようなそういう今の状況なのではないかということが言われていますし、私もそこを大事にしていきたいと思っています。
最後のところで脱線してしまうのですが、私はさっきから国際障害者年というあたりから言っているのですが、働かざる者食うべからず的なところで社会の荷物とか迷惑な存在と言われていた重い障害がある方、最初は身体障害の脳性マヒとか頸椎損傷という方達がそれこそ自分たちも地域で生きたいんだ、地域で市民として色んな役割をはたしたいんだという事で街づくりの運動を進めてきました。障害者年のころに駅にエレベーターをと言っていた方達に,まだ国鉄だったJRの人達が「あなたたち、この街に10人もいないような障害者のために何千万もエレベーターを作るなんてそんな無駄遣いは出来ませんよ」と言っていた。でも今20年経って交通バリアフリー法が出来てどの駅にもエレベーターやエスカレーターが設置される時代になりました。そういう時代になってみると自分たちも色んな意味で動きやすくなりました。街にベビーカーの親子連れとか車椅子に乗ったお年寄りがお孫さんらしき人に車椅子を押してもらって外出しているという風景だとか、本当にお父さんが子供と2人だけでベビーカーを押して外出しているとかそんな場面が当たり前になってきました。そういう中で孫とお年寄りという関係性だとか、父親と子供という関係性というのが,今までは妻とか母親というところに支援とかが押しつけられていたものが確実に変わってきています。本当に色んな意味で外出しやすい、誰にも優しい街になってきていると実感するという話を聞き、私も本当にそうだなと色んな機会に思います。やっぱり障害がある人が当たり前に市民として地域で暮らせるような街づくり、サービスを整えていくということは本当に誰にとっても暮らしやすい街を実現する事になるんだなという事を感じています。今障害がある人がここまで色々広げてきた地域の暮らしというのをしぼめるようなことになってしまう自立支援法にならないために私たちが今どういう事を考えなければいけないのか、そして予算が無いということを盛んに言われてしまうのですが、確かにお金が無いのは分かるのですが、限られたお金を市民が納得出来るような使い方というのはどうやったらいいか、そのシステムをきちんと考えていくというのが本当に1週間後の選挙に問われている事でもあるし、選挙が終わったあとの政治がどうあるかというところに国民がきちんと意識を向けられるような障害者の人たちだけの問題というだけで色んな意味で国民的な議論になりきらないのですが、障害がある人を考えるという事が本当に地域全体を変えていけるんだというそういうユニバーサルな視点という事をまず私たちがきちんと踏まえた上でこれから福祉や社会がどうあったらいいかという考えていく。今この自立支援法をどうするかというのはそういう観点になってくるだろうと思うわけです。
資料ではお渡ししているのですが、お話ししきれなかったところで今まで障害という枠ではとらえられていなかった学習障害や他動性障害ADHDと呼ばれる人たちとか高次脳機能障害と呼ばれる人たちなど、障害の枠の中でとらえて支援をしようという流れが発達障害者支援法が成立しましたし、高次脳機能障害に関しても制度が変わっていこうとしているという中で障害枠で捉えられていなかった人もきちんとおさえていこうという流れ。そういう中で障害者のサービスの多様性がますます広がってきますし、生まれた時から本当に最期を迎える時までの長期に渡る支援というのも重要になってくる。それで制度は共通に、支援は個別にという中でケアマネージメントがどうあったら良いかというのが話題になっているのですが、今までケアマネージメントというのは地域の関連機関が連携して、保険も医療も福祉も教育も労働もなんていう横の繋がりをきちんとおさえてネットワークを組もう、連携しようと言われていたのですが、資料の9ページを見ていただくと、縦のケアマネージメントという辺りを最近これは東京都の社会福祉協議会なのですが、強調していて、やっぱり生まれた時から最期を迎えるまでのそれぞれの段階での支援というのが今まではブツ切りになってしまっていた、そこのところをきちんと繋げる縦のケアマネージメントという言葉も出てきて、本当にその人の一生涯をきちんと支えていけるような支援も改めて注目されてきています。制度とか考え方としては具体的に提供されるサービスも含めて支援費までのところに確実に色んなものが積み重なってきたと思います。その積み重なって今、これでよしという段階ではなくて、全国的に見たら、あるいはサービスを受けていなかった人も含めたらこれからますますサービスは充実していかなければいけない時だと思いますので、限られた財源だから、お金が足りないから切っちゃうのではなくて、限られた財源を本当にひとりひとりの思いに即してどう提供していくかという限られた財源の使い方、予算全体でみたらまだまだ福祉はもっと充実していかなければいけないところがたくさんあると思いますので、福祉は今まで聖域で削減されていなかった、でもこれからはという声もあるのですがやっぱりそこのところはまだこれからなんだと視点に立つべきだと思って、これから自立支援法をどうしていくかというのは色んな事を考えるいい機会でもある。まさに国民的な議論にしていきたいと色んな方と言っているのですが、そういう視点に立ってこれからの社会、まさに地域をどう作っていくか障害がある人が地域で暮らしているという事は本当に地域を変えていく大きなきっかけになっていくなと色んな人の地域生活が広がる中で実感しています。そこら辺の中でいつも紹介している神奈川県に住んでいる方なのですが、この方が5年くらい前から地域のグループホームで暮らしているのですが、本当に米田さんが地域で暮らしている事なんかで地域も変わってきているし、障害がある人たちが本当に家族も含めて色んな可能性を持っている、力を持っているということを色んなところで気付かせてくれている。地域も確実に変わっていっているなという事を思うわけです。そういう意味で地域生活を広げていくこと、地域生活が出来るように障害者の方をエンパーメントするという事で、地域が変わっていく事を感じていますので、地域生活が出来るようなサービスをどう広げていくかというのは地域そのものを変えていくんだという事を話せなかったのですが、もしお時間があれば資料に目を通していただいて、そんな事も考えていただけたらと思います。
自立支援法そのものについては多分この後選挙後に国会に提出されるという事で、提出する法案は資料で説明してあるようなところと根本的には変わっていないのですが、利用料とか福祉サービスとは何なのかということを考えながらこれからの障害者福祉だけではなくて、地域をどう作っていくかという視点が大事だと思います。