2014年9月13日 自立ステーションつばさ主催講演会

札幌の弁護士西村武彦さんの障がいのある人への関わり方は凄い!!
11月30日(日)に西村武彦さんに講演をお願いしています。
(西村さんは先生と呼ばれるのは好まれないようでしたので、文中「さん」の敬称を使用させていただきます)

9月13日(土)に自立ステーションつばさが主催する講演会が多摩市立関戸公民館のホールで開かれました。この講演会には、人権ネットワーク主催講演会に西村さんをお願いしたいと提案した古野さんと小野が参加しました。
まず、自立ステーションつばさのきめ細かな対応に驚かされました。会場は駅から3分程度のごく近いところにありますが、駅を降りてから会場の建物のエレベーター前まで、3人の車イスの方が案内に立って下さったおかげで、この私でも迷わずに到着できました。会場には車イスの方もたくさん来場され、ひらがなだけの要約筆記、漢字交じりの要約筆記、手話通訳ときめ細かな配慮がなされていました。自立ステーションつばさの支援者らしき方が大勢参加されていたことにも驚きました。地域を巻き込んだ、地域に根付いた活動をされていると感じました。
西村さんはこれまでご自分がかかわってこられた事件を紹介しながら、どのようなスタンスで障がいのある人たちに接してこられたか、弁護士としてどのような活動をされてきたか、をお話しくださいました。
西村さんは資料の他に、当日お話しされる内容を要約してパワーポイントで映し出し、さらに1人1人にペーパーで配布してくださいました。その表紙の下段には、「西村は非常に変わった弁護士で、西村のようにやれる弁護士は日本にはいないので、このパワーポイントを保存しても参考にはなりません。あしからず」とありました。
どんなお話しを伺えるのか、この三行を見ただけで、わくわくしてきました。

少年事件の弁護--大切なのは信頼関係-―
札幌で窃盗を繰り返していた少年の付添人になりました。アルコール依存症の母、事故死した父、長い養護施設暮らし、本当の愛情を知らずに育った彼が、つらい人生の中で起こした事件で彼を少年院に送ることは意味がない。そこで、西村さんは女性の調査官に「自分がこの少年と3ヵ月暮らすから、試験観察にして欲しい」と申し出ました。先生がそういうなら、と認められ、3ヵ月少年とアパートで暮らし、少年院に入ることはありませんでした。彼は1年半後には結婚し、しっかり働き、今では妻と子どもを守っています。彼に対する信頼が彼を変えたのです。

平日は事務所泊まり-- 子どものしつけはつれあいとスポーツ少年団の指導者に委ねた―-
西村さんは平日は事務所に泊まり家には帰りません。2人のお子さん、今は東京暮らしですが、一緒に暮らしている間も平日は事務所泊まりだったそうです。ただ、障がいのある人を差別するな、と教えてきた。当日は息子さんが講演を聴きにいらしていました。親子仲のよさが見て取れほほえましかったです。西村さんを指名した事件依頼をさばくには、事務所に泊まらざるをえないのでしょう。弁護士さん宛のメールで、障がいをもつ人との関わり方、事件処理などについて若い弁護士さんを育てようとしています。東奔西走、孤軍奮闘、西村さんと志を同じくするやる気満々の志高い弁護士さんが数多く育つことを願ってやみません。

障がいをもつ人との最初の関わり- -静岡大学時代- -
今から30年以上も前、静岡大学時代に、施設を出て地域で一人暮らしをする青い芝に参加していた沢井さんと知り合う。風呂に入る、公共機関で移動する、機関誌を読むなどの介助に入った。50人くらいの人が介助に入り沢井さんの生活を支えた。当時の西村さん、健常者には高度成長期の日本で夢も希望もあった。しかし、障がいをもつ人は座敷の奥や施設に排除され、地域にはいなかった。障がいをもつ人と共に生きる決意をした西村さんは、脳性マヒの仲間と共に生活をし、共に学び、介護サークル「虹の会」を作った。  北海道にアイヌの差別がひどいことも静岡で知った。
共に生きることを志しても答えはいつまでも見つからなかったが、障がいをもつ人ももたない人も、障がいを受容することの大切さを知った。北村小夜さんが関わる「障害児を普通学級へ」の活動にも参加した。
32歳で結婚、子どもにも恵まれた。37歳で司法試験合格。この間、いつも障害をもつひととの関わりがあった。

三丁目食堂事件
1970年代から東札幌にある大衆食堂。1977年知的障害者を多いときで12人雇用していた。1階を食堂、2階を1988年生活寮にした。札幌市障親会が運営主体で、年間240万円の支援を市から受けていた。食堂の経営状態が悪くなった1993年~虐待が始まった。食事は前日の残り物、昼は男性は食事なし。夜は食堂の残り物の食事、風呂は週に一度だけ。はじめから給与はなし。障害者年金を受給していたが見たことがない。あまりのひどさに西村になら話せると情報を寄せた人がいて発覚した。西村さんは事務所から30分離れた食堂に事務所員と一緒にでかけ、食事するふりをして様子を窺った。札幌から5~6時間かけて家族のもとに行き、実情を話した。親は貧しくて子どもの面倒を看ることができないが、とにかく助けて欲しいと懇願された。一人で6人の従業員を助け出すことは無理なので、弁護士会に相談したが、結局信頼於ける二人の弁護士とともに行動を起こした。女性の部屋には女性弁護士が入ったが、夜尿対策のためのブルーシートが部屋に敷かれていた。汚れたままの下着が箪笥の中に押し込んであった。暴力も凄かった。足蹴にされたり、頭をたたかれたり、西村が癖で頭をかこうとして手を挙げただけで、保護された障害者は頭を押さえた。それでも一番長く働いた人は「パパさん、ママさんを訴えないで」と懇願した。西村さんは訴えないで、との本人の気持ちを尊重し刑事事件にはしなかった。民事裁判のみ起こした。
障がい者を雇うのは立派なことという誤解が日本にはある。それは障がいをもつ人が健常な人より劣っていると見なしていることによる。
3万人も弁護士はいるが、私は一人で事件に立ち向かうことが多い。多くの若い弁護士さんに関心を持ってほしい。

聾唖の人の刑事事件
Aさん、55歳の聾唖者、知能検査中~重度の知的障害がある。15歳から窃盗をやっていて、35年間で社会にいたのはわずか4年。すっと刑務所暮らし。
55歳で札幌のGH(グループホーム)で生活していたが、二年目から犯罪に明け暮れる日々を送り、仲間の通帳を盗み逮捕。福祉関係の仲間に頼まれ、西村さんが国選弁護人になりました。西村さんの接見の他、GHや作業所などの支援者は何度も手話通訳者を同行して接見した。支援者たちのすごいところは、Aさんが犯罪を何度も繰り返すのは、自分たちの支援のどこがまずかったかという観点から話し合いをしているところです。判決は懲役2年6ヵ月でした。支援者たちは、Aさんが出所したら自分たちが支援することを約束しました。西村さんの接見の際も通訳者の方が「先生、今の先生の発言、Aさんに伝わっていませんよ。違う言葉で言って下さい」と注意を受けます。Aさんに盗むことが悪いことという認識がない、悪いという言葉は使っても、本当の意味で何故悪いかがわかっていない。西村さんや支援者の方は接見し、説得し、障害年金をためて幼稚園などに被害弁償しました。
いい福祉の人、支える仲間、支援者がいたおかげでAさんは変われました。

ダウン症少年の逸失利益・自閉症の人への対応
ダウン症の小学一年生が学校の前で車にひかれて死亡しましたが、保険会社はダウン症の子どもに逸失利益はないと主張しました。逸失利益というのは、亡くならなければ通常稼げたはずの収入のことです。しかし、障がいがあることで仕事すらできないと逸失利益を否定されました。西村さんはダウン症の人の可能性を広く主張し、結果裁判所は最低賃金で計算してくれました。西村さんができたことは、裁判所に就労能力があることを認めさせただけでした。弁護士のできることは、被害者の両親と「共にいること」だと強く感じました。また、障がいのある人が地域で生活していることも重要だと感じます。   自閉症の人が連休で帰省を予定していました。施設の職員にあせりがあり、帰り支度を急がせたところ、カタトニア(急な予定の変更により体が固まってしまう)になり、迎えに来られた両親には一旦帰ってもらい翌日の帰宅に変更になりましたが、その人は夜中施錠のしていない玄関から靴もはかずに施設を出て、裸足で歩き、2㎞離れた国道で二台の車にひかれ、死亡しました。施設の管理不十分により死亡したことによる、本人無念と両親の無念の双方の慰謝料を請求し、本人とは別に親御さんへの慰謝料を認めた事件でした。施設には配慮義務があり、個々人の特性に応じた配慮をする必要がある。権利条約がでたからと言って配慮する技術が総変わるわけでありません。やはり人を育てることが必要です。

講演会に是非ご参加下さい
質問を受けながら、本当に丁寧な講演をしてくださいました。
さて、私たちがお願いした11月30日の講演会でも目から鱗の講演をしてくださいます。メールなどで西村さんの活動を知れば知るほど、「弁護士版赤ひげ先生」の印象を強くします。
活動についてのご報告と、共に考えるきっかけを与えて下さいます。どうぞ皆さま、ふるってご参加ください。お楽しみに。