2014年9月4日 基調講演「権利条約をみんなで使おう!」

2014.9.4開催
第57回日弁連人権擁護大会 プレシンポジウム (於 弁護士会館2階 クレオ)
講師 立命館大学客員教授 長瀬 修氏

9月4日、弁護士会主催のシンポジウムが弁護士会館2階のクレオで行われました。第一部は障害者権利条約の仮約をされた立命館大学の長瀬修先生が「障害者権利条約を国内で実施することの意味とは」のタイトルで基調講演されました。
講演のはじまりのところで、「障害者とはどんな人のことをいうのでしょう?」との質問が投げかけられ、各人が思うところをメモしました。書き上げたものはお隣の方と互いに確認しあってください、とのことでした。私は、「身体、精神、知的に社会生活を送るのに困難な人。社会で配慮、理解する必要のある人。老いや不慮の事故、病は誰にでも平等に訪れること、誰でも障害を持つ可能性を秘めている。」と書きましたが、隣は清水弁護士で、WHOの障害の定義を書いていました。改めて、障害者とは?と問われると意外と言葉が出ないものです。

この個々の障害定義を踏まえ、講演は、障害者権利条約の歴史から始まりました。条約制定までの軌跡は次のとおりです。
1971年 精神障害者の権利宣言
1973年 障害者の権利宣言
1981年 国際障害者年「完全参加と平等」
1983年~1992年 国連障害者の10年
1987年 障害者差別撤廃条約提案
このうち、大きな流れを作ったのが、国際障害者年の「完全参加と平等」です。1987年の障害者差別撤廃条約は提案はされましたが、実を結ぶことはありませんでした。その後の条約策定の原動力となったのは、国連総会や特別部会の決議や決定に障害者団体の参加が認められ、政府代表団の一員に障害当事者を含めることが推奨され、障害当事者の意見が条約の草案に大きく反映したことです。

障害者権利条約が批准されるまでの流れは次のとおりです。
2001年 国連総会でのメキシコ政府の障害者権利条約提案
2002年~6年 国連障害者の権利条約特別委員会で審議
2006年 障害者権利条約が国連総会で採択される
2007年 障害者権利条約を日本政府が署名
条約批准のための国内法の整備
2011年 改正障害者基本法
2013年 障害者差別解消法
2014年 障害者権利条約を日本政府が批准→日本の法律の上位法律として位置づけ
条約の批准によって、日本の国内法の上位に障害者権利条約が位置することになりました。
国連では条約の国際的な実施に向けて、締約国会議と障害者権利委員会がもたれます。情報保障の国連の課題もあり、国連本部で実施されます。条約を批准した国は締約国会議に出席し自国での権利条約の実施状況に関する発言をし、偶数年に障害者の権利委員会委員の選挙を行います。日本は2年後に障害者の権利委員会に報告書を提出することになり、2019年前後に総括所見(勧告)が出される予定です。この勧告が条約の実施が不完全であるというものにならないよう、個々人が日々の生活の中で条約を活かす必要があります。

障害者権利条約の柱は3つあります。
1. 社会モデル
2. 差別禁止
3. 合理的配慮

障害の社会モデル
障害の社会的モデルというのは、実際の障害+新たに加わった社会的な障壁によって、障害者の不利益が生み出される。端的に言えば、障害のある人が生きにくいのは、単に自身に障害があるという機能障害があることことにとどまらず、社会に無配慮や不備があるからそこを整備していけばより生活しやすい社会になるとの考え方です。
権利条約と障害者基本法の中で社会的モデルについて以下のようにふれられています。

条約の規定
「障害者には、長期的な身体的、精神的、知的又は感覚的な機能障害であって、様々な障壁との相互作用により他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げうるものを有する者を含む(条約)」

改正障害者基本法の規定
「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む)その他の心身の機能障害がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にある者をいう。」

差別禁止(即時的実施義務)
条約批准国は即時に差別禁止を実施する義務が課されます。この差別禁止の中には、合理的配慮を行わないことを含無あらゆる形態の差別が含まれます。
条約の規定→→差別のある人もない人も同等に扱う+合理的配慮を行う
「障害に基づくあらゆる区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他いかなる分野においても、他の者との平等を基礎としてすべての人権及び基本的自由を認識し、共有し又は行使することを害し又は無効にする目的又は効果を有するものをいう。障害に基づく差別には合理的配慮を行わないことを含むあらゆる形態の差別を含む。」

合理的配慮 ・・・・・1人1人に応じた個別対応の必要
南アフリカのネルソン・マンデラ氏によるアパルトヘイト政策反対、1960年代ジョン・F・ケネディ大統領が黒人差別撤廃運動の高まりの中で、選挙・公共施設の利用、教育、雇用の場面での差別を禁止し、機会均等を保障するために提案し、後継のリンドン・B・ジョンソン大統領によって制定された「公民権法」が差別禁止を規定し、合理的配慮の概念は宗教差別の場面でもたらされました。労働者の宗教上の安息日などの戒律が使用者側と対立する場合の対処法として、1972年に公民権法が改正され、使用者の過度の負担とならないのに宗教的な戒律について合理的配慮を提供しないことは違法な差別にあたるとして、「合理的配慮」の概念が生まれました。1973年リハビリテーション法504条に差別禁止規定が設けられ、障害分野に差別禁止の概念がながれた。その後ADA法に盛り込まれ、障害者権利条約に引き継がれました。

条約の規定
「障害のある人が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し又は行使する事を確保するための必要かつ適切な変更及び調整であって、特定の場合に必要とされるものであり、かつ不釣り合いな又は加重な負担を課さないものを言う。」

障害者差別解消法の規定
「社会的障壁の除去は、それを必要としている障害者が現に存し、かつ、その実施に伴う負担が加重でないときは、それを怠る事によって前項の規定に違反することとならないよう、その実施について必要かつ合理的な配慮がされなければならない。」

レジメの中に合理的配慮についての具体例があげられており、それはどの障害に対しての配慮かという問があり、全員があてはめてみました。簡単なようで、どちらかなと迷うものもありました。

障害者差別解消法
障害者差別解消法は障害者基本法第4条の差別行為の禁止と社会的バリアを取り除くための合理的配慮を実現するための法律です。
国連の「障害者の権利に関する条約」の締結に向けた国内法制度の整備の一環として、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害を理由とする差別の解消を推進することを目的として、平成25年6月、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(いわゆる「障害者差別解消法」)が制定されました(施行は一部の附則を除き平成28年4月1日)。
障害者基本法第4条
「1 何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない。
2 社会的障壁の除去は、それを必要としている障害者が現に存し、かつ、その実施に伴う負担が過重でないときは、それを怠る事によって前項の規定に違反することとならないよう、その実施について必要かつ合理的な配慮がされなければならない。
3 国は、第一項の規定に違反する行為の防止に関する啓発及び知識の普及を図るため、当該行為の防止を図るために必要となる情報の収集、整理および提供をおこなうものとする。」
ここに定められているのは、官民両分野での直接差別の禁止、政府と自治体の合理的配慮の提供義務であるが、民間の合理的配慮は努力義務となっています。雇用に関しては改正障害者雇用促進法が適用され、そこでも差別禁止と官民の事業主に合理的配慮義務を求めています。問題解決のための新しい紛争解決機関はつくらず、今までにある機関を使うことになっています。

障害者権利条約の実施のために
以下の事柄に積極的に取り組む必要がある。
差別の禁止と合理的配慮の提供
障害者差別禁止条例の制定さらには障害者差別禁止法の制定
改正障害者雇用促進法の実施
施設やサービス等の利用を容易にすること
インクルーシブ教育の実施
地域生活の促進
強制入院の見直し
政治参加の促進など

自然災害時の危険な状況への対応
東日本大震災時の障害者の死亡率が健常者の2倍であった。障害者の死亡率を下げることがとりもなおさず、国民全体の人的被害全体を少なくするとの当然の考えから合理的配慮を考える。

合理的配慮+社会的障壁の除去について改めて考えた講演でした。日本が条約を批准したことで大前進すると思いたいのですが、現実には障害をもつ人への理解はかなり低いところに留まっています。7月に盲導犬が何ものかによって傷つけられたり、9月8日全盲の女子生徒が足蹴にされたり、法律の整備以前の嘆かわしい事件が起きています。ここまでのひどい事件は障害をもつ人の理解よりもっともっと底辺にある、人として最低限必要な優しさの問題で、とても悲しいできごとでした。

高島屋での合理的配慮実線報告と聴覚障がいをもつ若林弁護士の報告
横浜高島屋では法定雇用率を上回る2.7%の障害者雇用を実施しています。元教師の大橋さんがジョブコーチをつとめ、障害をもつひとそれぞれの障がい特性に合わせた支援を行い、生き生き働く社員の方の報告がありました。ちょっとした配慮と見守り役のジョブコーチの存在があれば一般企業で十分働くことのできる障がいをもった人はたくさんいるのではないか、とかんじました。
聴覚障がいの若林弁護士の弁護士になるまでのボランティアにたすけられての法科大学院での学習、手話は独特の言語であることの説明、高島屋の社員の方との手話での会話を大変興味深く拝見し、合理的配慮の必要を強く感じました。

このシンポジウムには銀座通り法律事務所の早田弁護士、人権ネットワークで講演して戴いた藤岡弁護士が中心的役割を果たされていました。後日、弁護士会としての報告書も作成されるとのことでした。このシンポジウムには人権ネットワークから、古野さん、斉藤進治さん、清水弁護士、小野が参加しました。