会報99号(2022.4.26)

今こそ、議論するべき時では・・・

ウクライナはかつては、世界第3位の核保有国でした。
しかし、ウクライナの安全を米、英、露が保障する代わりに、核を放棄する・・・いわゆるブダペスト覚書を取り交わして核を放棄しました。そして、それが仇となってロシアによる一方的な侵略を受けました。
英国は、ロシアを非難しました。米国はロシアに対して、ウクライナを侵略しても、米軍は出さない、経済制裁をする、と、表明して結果的にロシアの侵略を促してしまいました。国連はウクライナの為に祈りましょう、と、言うだけで全く無力でした。
今回のウクライナ危機は、日本にとって、対岸の火事では済ますことの出来ない悲劇だと思います。
日本は中国、ロシア、北朝鮮という核保有国に囲まれ、こんな悲劇的な国は他にないと言われています。仮にこの3か国のいずれかがまたは共同で核の使用をちらつかせながら日本を侵略してきた時、ウクライナの例から予想してみましょう。
まず、米国は核保有国とは戦わない、と、明らかにしています。つまり、核の傘などないのです。核を使用するぞ、と、恫喝しながら、侵略しようとする輩に日米同盟や憲法9条など何の役にも立ちません。米国は自分たちで戦え、と、最新鋭の兵器を高値で売りつけてくることでしょう。現実から逃避しお花畑で暮らしていた平和ボケな自分たちを悔やんでも時既に遅し・・・とならないように今こそ憲法9条を改正すべきか否か、抑止力としての核を保有すべきか否か、この先ずっと米国の属国のままでいるのか、それとも独立するのか、等々今こそ議論すべきではないでしょうか。
ちなみに、憲法9条を改正しなくても、解釈を変えるだけで、核保有が可能との見解を表明している専門家もいます。参考までに。

藤木和子著「障害ある人のきょうだいとしての私」の紹介

藤木和子さんが4月5日に出した本です。682円、67頁です。日弁連の差別禁止法調査委員会と優生保護法違憲訴訟で一緒に頑張っている西村の仲間の1人である。
1982年生まれの藤木さんは40歳になります。弁護士の父、母、和子さん、5歳年下の弟(聾者)が原家族である。数年前に藤木さんは弁護士と結婚をしています。
結婚そのものにあれこれ苦悩したとあるのですが、この本は非常に重い内容です。薄い本だけど、藤木さん自身が感じていた「自分の居場所」に四苦八苦していたように読めるからである。これが私の最初の読後感です。
藤木さんが社会・親戚から感じた負担感・重荷感は大変なものだと感じました。同様の重荷感を感じている、障害のある兄弟姉妹のいる、障害のない兄弟姉妹がたくさんいるのだろうことは、西村も身近にいますので少しだけ知っているが、藤木さんの文書を読むと、西村の理解は底が浅いと感じました。
そのような重い荷物を背負った藤木さんは「きょうだいの会」に出会ったことの幸福、喜びを書いていますから、私も嬉しく思いました。
藤木さんは「参加できて良かった」と書いていますが、「救われた」という日本語の方がいいような感じがしました。その意味で藤木さんは謙抑的な表現をする人です。でも、「早く出会いたかった」と書いているから、「良かった」というより、ベリーハッピーだったようです。そして、「きょうだいの会」に出会って、ハッピーになった人は沢山いることも判ります。だから、西村もはっぴーになるわけです。そういう意味で、心が軽くなります。

この本の至る所で、藤木さんの決意が語られています。それは発信続けるという決意です(31頁)。発信することで非難されるのではないかという不安を抱えながら、発信している姿は本の中にも書かれていますが、藤木さんはまさにファーストペンギン(最初に海に飛び込むので、アザラシ・トドの餌になる恐れがある)そのものに思えました。(きょうだいの会そのものは50年以上の歴史があると、本で紹介されている)。

30頁にコーダ研究者(注:コーダとは聴覚障害者を親にもつ子どもという意味です)の中津真美さんが「ほどほどに」とアドバイスをしていますが、私も「ほどほどに」という言葉を藤木さんにプレゼントしたいほど、藤木さんは、発信することに邁進しています。故副島さんをブルドーザーと西村は密かに呼んでいますが、藤木さんも道を造る人に見えます。

優生保護法違憲訴訟弁護団に参加した経緯が23頁・19頁に書いていますが、「きょうだい」の声を世に知らせる価値がある(同じような決意表明が二カ所にあったと思う)という想いは正しいでしょう。
問題は、至るところで書いている「強い決意」「強い想い」をどう広めるか、どう仲間と継続するかではないだろうか?と藤木さんの文書を読んで思った次第です。
大事なことは、誰に向かって発信するか。まず「きょうだい」なのだろう。そして、まわりの人だろう。焦らず、おごらず、発信しつづける藤木さんを見続けてみたいと65歳の爺さんは思う。
なお、飛行機の中で「絶望名人のカフカの人生論」(新潮文書・平成26年発行・訳は頭木弘樹さんで、この方は20歳で難病になり13年間入院やひきこもりをしていた人です)を読みました。カフカの「力の全てを抜きすぎた価値観?」も、暇ならお読みください。
障害者のある人と共に歩むなら、その同伴者のリズムに耳を傾ける余裕、私にあるだろうか?

こんなことに喜びを感じています

私の役目

「おのさぁーん、はいっていい?」私が庭で作業をしているとご近所のりとちゃん。「だんなさーん」主人が外に出ていると挨拶してくれる。息子が車を洗っていると、「がんばれよ!」と激励してくれる。りとちゃんは我が家のアイドル的存在だ。そのりとちゃんの家から、時々、外まで聞こえる声でお父さんの大きな声が聞こえる。りとちゃんが何か悪いことをしたのなら、りとちゃんは賢い子だから、きっとすぐわかる。そんなに怒らないでと思う。

我が家の子どもたちは、お隣のおばあちゃん、裏のおじいちゃんにいつもいつも声をかけてもらい、今ころの時期から日没が早くなるころまでいつも保育園から帰る私たちを出迎えるように外に出ていてくださり、おしゃべりさせていただいた。お隣のおばあちゃんは、忙しいでしょうとお惣菜まで準備してくださった。子育てを手伝っていただいた思いが強い。私は助けられて来た。だから今度は小野さんがりとちゃんにとって少しは役に立つ存在になりたい。
花咲かおばあちゃんのところにいつでもいらっしゃい。

亡くなった人が残してくれたもの
父が亡くなり1年が過ぎた。いろいろなことがあって落ち込みことが多かったが、11月までと同じようには母に会えないのだが、母に会いに行くときには、実家近くの直売所とお米屋さんに行く。直売所は父が立ち上げにかかわっていて、父と野菜を出荷したことが何度もある。そして、今も父の写真を飾ってくださっている。父より少し若いおばさんたちが声をかけてくれる。売り物のお饅頭やらお蕎麦屋らを持たせてくれる。お米屋さんのおばさんからは、お餅や竹の子をいただく。父が亡くなったあとも私の行き場所をきちんと残しておいてくれた。ちょこっと「また、来ました」と言える場所をきちんと私に与えてくれた。亡くなってもなお、父の存在はありがたい。父の死をきっかけに、母のいとこの子どもさんとも手紙のやり取りがはじまって一年になる。とっても優しい人で、携帯で話したことは2度しかないのだが、まるでずっと以前からの仲良しのように話が弾み、手紙にもすぐに応えてくれる。
友達が3月に亡くなった。余命宣告されたこともあってか、それは見事な仕舞い方で、何もかも片付けて亡くなった。とてもまねできない。その友達の友人の何人かと連絡を取る機会があり、お互いに友達が残してくれた素敵なご縁を喜んだ。また会いましょうと約束している。
こんな風に亡くなってからなお、人と人とを繋げてくれる凄い存在に私はなれるだろうか。

まくらがの里古河
茨木県の道の駅の名前だ。まくらがって何?まくらがは万葉集に古河をうたった歌があり、その枕詞なのだそうだ。まくらが、に意味はないそうだ。笠間の主人の知り合いに会いに行くことになり、前日に家を出て、古河の道の駅に車中泊した。驚いたことに、売り物の草花が覆いもされず出ていた。コロナ禍とは言え、駐車場には何台もの車が停車している。盗まれる心配はないのだろうか。私の方が心配になった。こんなにも人の善意を信頼している道の駅、大好きになった。
いつも睡眠時間が短いので、朝の4時には目覚めてしまった。小次郎と散歩に出た。田植えの準備を終えた田んぼに白鷺が優雅にエサ取りをしていた。なんとも素敵な光景だった。空を見上げると遠くに気球のようなまあるい物体が2つ、ゆっくりと大空を浮遊していた。早起きは三文の徳というが、三文なんてとんでもない。1両の価値のある散歩だった。

歩くこと
あまり歩く機会なくこの20年くらいを過ごしてきたが、最近は遠出ができないので、友達や主人と歩くようにしている。といっても、一度14,5㎞を歩き、一昨日友達とおいしいお饅頭を買いに歩きとバスで出かけたきりなのだが。
なんだかとても新鮮に感じる。草木の緑が目に染みる。草花の明るい色が愛らしい。坂道に驚き、鳥のうるさいくらいの鳴き声に耳を傾ける。こんなにいろいろなものに心奪われる私は、まだまだ捨てたもんじゃない。これからを楽しく生きられそうだと希望が持てる。最近自分の顔をおぞましいと思ったことが度ある。
1回目は自動車免許更新の証明写真だ。この貧相なおばあさんは誰?2回目は歯医者さんで持たされる手鏡に移った自分だ。何この顔、汚い。
容姿はどうしようもない。せめて心だけはきれいでいられたらいいなと思う。

会報100号記念号発行のための原稿執筆のお願い

何もできていない、と反省しながら会活動を続けて参りましたが、会報だけはしっかり出しましょうと発行し続けてきた結果、次号の会報で100号になります。そこで、できましたら、たとえ一言でも、会員の皆様全員から原稿をいただき、記念の会報にしたいと思います。お忙しいとは思いますが、100号だからネットワークに関する思いを原稿にしていただきたい、ということはありません。内容は何でも結構です。ただ、ただ、会員の皆様全員から原稿をいただき、100号を完成したいと思います。楽しい記念号にいたしましょう

原稿の内容・体裁

  • A4サイズ(通常の会報の用紙のサイズです)、横書きでお願いします。
    縦書きが書きやすいという方は縦書きでも構いません。
  • いただいた原稿はそのまま印刷します。
    手書き原稿も味があっていいと思います。大歓迎です。
  • 枚数は2~3枚程度でお願いします。枚数は膨大な枚数にならなければもう少し多くても大丈夫です。
  • タイトルをつけてください。
  • お名前も記載してください(匿名、イニシャルでもOKです)
  • 複数冊必要な方はご連絡ください。
  • 同封の返信封筒で、中央通り法律事務所までお送りください。
  • ご不明な点がありましたら、事務局までご
    連絡ください。
  • 得意な方、得意でない方、イラストお書きいただけると助かります。
  • パソコンをお使いにならない方のために、コピー用紙を同封します
  • 人権ネットワークのHPに掲載してもよいかどうか、別紙をつけますのでお返事ください。
  • 原稿締切は6月20日(月)です。