1月15日(金)午前の作業中、廊下を歩いている時に転んでしまった。気になった事はひざにうち身の跡が残っている事と、転んだ時、痛みを感じた事だった。医務室に行って湿布を付けてもらおうと思ったが、医務室には利用者さんの分しか備えてないということだったので、休憩中に近くの薬局に買いに行った。薬局の人はいつも利用者さんが処方される薬を持って来てくれる事もあり、「いつも仕事をしている所を見ているよ~」とあいさつ代わりに言われてしまった。薬に詳しいのか、どの湿布にしようか迷っていたら「痛む?」と聞いてきた。「少し痛みます」と答えた所、痛みに対応した湿布を出してくれた。
普通はこれで少しずつ赤くなった所は小さくなるハズだが、土日と、見ていて逆に大きくなる感じがした。「これじゃ自分の手に負えない」月曜の仕事帰りに外科に行かなくてはならないなと思っていた。しかしこの後さらなる事件が襲ってきた。
1月18日(月)東京は雪に襲われた。いつも自転車通勤をしている僕は雨が降ると電車の利用を強入られてしまう。今回は雨ではなく雪だ。雪はあざ笑うかのように首都圏のバス、電車などのダイヤをメチャクチャにしていた。僕もその犠牲者になってしまった。 雨の時もそうだが、なかなか急ぐ事が出来ない。雪はそれ以上に慣れてないせいか僕の出勤の道を苦しめた。その為、下井草駅に着くまでに転倒してしまった。その時、右足の指に痛みを感じた。「どこかにぶつけたな」「打撲だな」最初は思った。痛みは一時的なものだと思っていた。これが不安の闇に落ちていく前兆になると全く思いつかなかった。
帰り、角田外科に寄った。先生はレントゲンを撮った後、「少し折れているね」と教えてくれた。この日、一日中痛かった。まさかその原因が骨折だったとは思わず、肝をつぶしてしまった。痛みの原因は分かった。先生には固定してもらった。出勤途中のケガは労災が適用される。15日の左足の打撲も仕事中なら労災に相当するそうだ。今回は同時に2つの労災になるようだ。険しい顔をされたのは、これが両方とも労災になるか否かの話だった。先生の顔を見ていると、とても落ち着いて診てもらえる気持ちになれなかった。
角田外科からの帰り道も悪路だった。雪だけでなく、包帯のせいで右足が靴に入らなかったからだ。母に写メールで連絡した。歩いている時、母と会う事が出来た。母は大きなビニール袋とタオルを何枚も抱えていた。靴がはけないなら、タオルでグルグル巻きにして、ビニールでおおうつもりだったらしい。僕は「つっかけ」のように靴を履いていた。そしてそのまま家まで帰った。
この日、行きの電車は雪で遅れていたが、待っている間にずっと手前の新井薬師駅で非常ボタンが押されたらしい。ホームではケイタイやスマホを耳にしている人が目立った。僕もその一人だった。上井草園に「遅れるかもしれない」と連絡した。遅延証明書は何度かもらったことがあったが、今回初めて証明書として使った。下井草~上井草は5分もかからないのに1時間かかってしまった。それまでもらっても間に合ったのでメモ用紙になる位だった。だが今回ほど「この証明書がメモ用紙になってくれたら」と思った事はなかった。
翌19日(火)出勤したところ、園長は僕のギブスを見て、ちゃんと治さないと後で困ることになるからと言われた。利用者さんやスタッフが僕のギブスを見てビックリするんじゃないかと僕も思い、帰ることにして、ギブスがとれるまでは仕事を休むことにした。
病気ではないので、家にいてもジッと骨がくっつくのを待っているのはしょうがないなぁというあきらめの気持ちで、時間がたってくれるのを待つだけだった。
19日の出勤した時もそうだったが、心配して言ってくれるのだろうけど、「どうした?」「どこで?」と次々質問されると、頭の中が真白になってしまって、何も思い出せなくなってしまう。家に帰って母に話してみようとしても、何をどう説明して良いか分からない。母とまず外科へ行って先生から説明を受けていた。15日の打撲の事はこの時母は初めて知ったらしい。先生の話を聞いて、母が労災の申請にとりかかることになった。
それにはいつ、どこで、どうなったかを具体的に書類に書かなくてはならない。母からその日あった事を作文にしてみて、と言われて食卓に座った。紙を広げ、シャーペンを手に、作文にとりかかった。不思議なのだが、こうなると目の前からテレビの音も母のピアノの音も全部消えてしまう。15日の転んだことも、シーツ交換の移動中に転んだという事や、車が何台も通って雪がグチャグチャに溶けて歩きにくくなっている道で、溶けた雪で出来た人の足跡や、何重に交差している車輪の後につまづいて転んでしまった事などが思い出された。ようやく書類が整い、提出出来た。
2件とも労災がおりることになった。給料については労災だと60%から70%の支給だが、有給を使う事で全額支払われることになった。僕は有給が30日分以上残っている。
2月1日、めでたくギブスがとれた。ギブスがとれても通院は続く。仕事をしても良いと言われたので2日から出勤した。スタッフや利用者さんから歓迎された。4日にはスタッフのSさんから「来ない間(源さんの)ありがたみが分かったよ」と声をかけられた。僕の存在が認められているんだと感じた。帰宅してこの事を話したら、母から嬉しかったでしょと言われたが、嬉しいというより仕事を休んで申し訳なかったという気持ちの方が大きかった。