以前、会報に群馬大学の倫理の服部教授のテキストをご紹介したことがある。
「僕たちのほとんどは、絶対愛される人間、誰からも信頼される人間になんかなれない。同じように、倫理的な人間にもなれない。ぼくたちは有限だ。それを忘れてしまっ てはいけない。
(中略)
僕たちにできることは、ただ、愛されるに値する人間、信頼されるに足る人間になろうと、また倫理的であろうと、努め続けることだけだ。」
なるほど、と強く思う。何度繰り返し読んでもこれ以上説得力のあることを私に伝える言葉はない。100%なんてあり得ない。よくよく解っていることなのに、人間関係がスムーズに行かないと感じると考え込んでしまう。
行き詰まるほどの大事件があったわけではない。ただ、遠回しの自分への批判に小さな怒りがこみ上げてきたり、うっとうしいと思ったり、言い返そうかと思ったり。それでも相手の事情を考えると、100ポイントで「コイツ!!」と思うことができない。
ならば、仕方ないと放っておければいいのに、そこが人間の小さい私にはちょっと難しい。
本当に世の中にはいろんな人がいる。横柄だったり、怒りっぽかったり、慇懃無礼という言葉がぴたり当てはまる人がいたり。やさしかったり、思いやりが溢れていたり、利他の心に溢れていたり。個性ということでは障がいをもつとかもたない以上かもしれない。
世の中、皆いい人ばかりで、何の問題もなければ却って「人間っていいな」とは思わないのかも知れない。自分とは違う考えをもつ人や、私には理解できないことを言ったり、行動したりする人がいる。そんな通常でない思いを抱いたり、嫌な思いや情けない思いもするので、なおさら素敵な人は輝くのかも知れない。
何時も一つ足りない自分。私は気がついているのに考えすぎて気遣いができない、頭が今一つ良くないと思うのは即時に理解できない、すぐにちんぷんかんぷんになる、知識も少ない、容姿も今一つ。自分で自分が大好きと思えたことがない。
特に息子は残念そうに、「俺は母さんに似てるんだよな・・・・・」という。
でも、でも、しかし、
私が私を大事にしなければいけないと思うようになったのは、私の遺伝子を引き継いだ、私が育てた私の子供たちが、知らず知らず私と同じ感情や思いを抱いて生活していることに気付いたから。私が自分を大切にし、自分が好きでなかったら、子供たちに悪いと思うから。
息子はガソリンスタンドでバイトしている。昨年4月にバイトを始めたばかりの時は本当に「使えないバイト生」だったらしい。車が大好きだからガソリンスタンドでいろんな車の移動ができることや、車掃除をすることさえも大好き。バイト先の人にも大切にしていただいている。夏の暑い時期にあせびっしょりで車掃除をしていると、「これでジュース買いなさい」とお客様から100円玉を渡されたりするらしい。些細なことだがとっても嬉しそうに報告してくれる。
少し慣れてきたところで、他店のキャンペーンのお手伝いに行くことになった。前日、「ちょっとお店の下見してくる」と車で出掛けていった。帰りはなぜか、どうしたことか、高速道路に乗ってしまったらしい。ばかねぇ。
遠回りはしたが、下見したからこれで明日はばっちりお手伝いできると安心した顔で帰ってきた。
私の事務所の先生が私が入所したころのことをぽつんと話した。「小野さんは面接の前日、事務所の下見に来てたんだよね。」ばれてた!!!
何のことはない。息子は私と同じことをしている。
一つだけ、私も子供たちの人生に影響を与えることができたと思えることがある。
私の子供たちは小さいときから事務所によく遊びに来させてもらっている。ネットワークの集まりの時にもよく参加させてもらっていた。口に出して言ったことはないが、世の中にはいろんな人がいて当たり前だということを、事務所に見えるいろんな方とお話しすることで違和感なく受け入れてきた。
今思えば、人として一番大切な、でも当たり前のことを受けとめるきっかけづくりになったと思う。