ふり返って

粟谷弘海

障害児・者人権ネットワークの活動も月1回のペースで、今年も続けている。活動内容はともかくとして、もしかしたらこれは凄いことかも知れない。
1981年国連総会において、「国際障害者年」が採択され、翌年の1982年に「障害者に関する世界行動計画」が決議された。1983年からは「国連障害者の十年」も始まった。
アメリカでは障害者団体の活動が実り、1990年障害者差別禁止法である「ADA法」(Americans with Disability Act  障害をもつアメリカ人法)が制定され、内容は、障害を理由とした差別を禁止するもので、世界に衝撃を与えた。
日本の障害者も大きな衝撃を受け、いろんな団体、個人がアメリカに視察研修旅行に出掛けた。その頃障害者団体、当事者、法律・福祉関係者が東京で一同に会し、障害者の人権確立運動の必要性、機運が高まった。この一回限りの集会で終わらせるのではなく、継続しなければならない、と参加者から声があがり、現在の「障害児・者人権ネットワーク」が設立されたのである。翌年にはアメリカのバークレーという障害者運動発祥の地に赴き、当事者との交流をした。
帰国後当事者、関係団体、政治家を含め、報告会を行った。日本では1970年「心身障害者対策基本法」が制定されて以来、措置という国家が障害者を隔離する施策を行い、障害者に「人権」がなかった点を取りあげ、障害者の自立と人権の確立の必要性を訴えた。この訴えは全国に広がり、1993年障害者の自立と社会参加を目的とした「障害者基本法」が制定・施行された。この法律は障害のある人々のための施策に関する基本理念を定め、国、地方公共団体等の責務を明らかにし、障害者施策の基本となる事項を定めた。
2006年12月13日国連総会で「障害者権利条約」が採択されたが、日本では2007年髙村外務大臣が署名したが、批准が遅れた。理由は国内法未整備のため。ようやく2014年1月20日日本で批准され、2月9日発効した。
やっと私たちに戦える道具が手に入った。だからと言って障害のある人の生活が夢のように飛躍的によくなることはない。第二ラウンドに入ったとおもっています。