会報76号

会報76号には以下の記事を掲載しています。
HPでは掲載可能な一部をご紹介します。
会報の郵送をご希望の方は事務局にお問い合わせください。

■会報76号目次

人権ネットワーク活動記録

2016年
7月1日 みんなの学校 観賞
7月8日 判例学習プロジェクト・月例会
8月 27 日 暑気払い
9月9日 月例会・判例学習プロジェクト
9月 25 日 会報づくり

お願い

☆ 年会費未納の方は会費の納入をお願い致します。
会費納入の方が会員として登録されますので、ご協力お願い致します。

☆ 会報作成等のお手伝い,大歓迎です。
☆ 身近な話題について原稿をお寄せください。
☆ 身近な方にネットワークを宣伝してください。ご連絡いただければすぐに会報をお送りします。

同封物について

☆ 杢さんを囲む会のお知らせ
☆ 裁判学習プロジェクト・月例会のお知らせ
☆ 秋の一泊旅行のお知らせ
☆ 例年通り職業リハビリテーション研究発表会が 11 月 11 日に行われます。
参加ご希望の方は事務局までご連絡ください。参加証をお渡し致します。

☆ お寄せいただきました原稿について、会報掲載は可だが、HPへの掲載は不可とい
う方は、事前にご連絡いただけますとたすかります。

特集津久井やまゆり園事件 私たちはこう思う!

殺傷事件では防犯対策も限界があると思われ、地域交流を阻害するような状況は好ましくない。今回は個人的な同期が想像されるが、優生思想が国家的レベルで暴発しないよう、厳戒すべきと思う。他方入所生活をおくっておられる方々が障害と闘い又は生活を十分二エンジョイしていることを多くの外部の人々が理解できるよう周知させる努力が大切と考えます。簡単に不幸な生活と思って欲しくない。生活をエンジョイするように支援は行き届いていると信じています。 
先日の相模原障害者施設での障害者殺傷事件、多くの方が亡くなり、傷害も負われました。こんな痛ましい事件は日本では初めてであり、多くのマスメディアもとりあげ日本国内だけでなく、海外でも報道されました。しかし、今は日本中オリンピック一色の報道です。
相模原の事件は決して軽視してはならない人権をも問う問題であると思います。
今回の事件の事では未だに腑に落ちないことがあります。
犯人が手紙を書き送った衆議院議長、総理大臣が何も発言しないことです。
犯人からあなた方の代わりに行動してあげますよ・・・といわれているのにです。

黙っているのは賛成ということですか?
家族、友人、身近に障害者のいない関心の無い人達は、世の中の風潮に流されてしまいがちです。当事者にとっては世の中のおかしな風潮、表に出て来ない悪意などに無力感を持つことがあります。
世の中に影響力のある人には是非世の中を正す発言、この国ではこんな事は絶対に許されない事と、大きな声で発言して欲しいと思います。
通常人の感覚では考えられないと感じる事件が起きると、必ずと言っていいほど、薬物依存によるものだったりする。今回の事件もそうだが、それにしても、精神に異常をきたしているとしても、障害をもつ人を蔑視したり、生きるに値しない人と考えることは到底許されない。わが子に障害をもたせてしまったことを親は自分の責任としていつまでも悔やみ、この子のために私は死ねない、と思う。
遷延性意識障害と診断されたらその子の回復をいつまででも待ち続ける。
犯人は身近な人の病気に出会ったことがないのだろうか、身近な人の死に出会ったことはないのだろうか。
犯人の考えによれば、薬物に依存する自分は世の中の役に立っていない無用な人間だから、死んだ方が良いということになってしまう。自分の命だけが特別だなんてあり得ない。
だれもが人に優しい気持ちを当たり前に持ち続けるには何をどう考え、どのような教育をしたらよいのだろうか。

相模原市「やまゆり園」での知的障害者への大量殺傷事件

もう既に「全国手をつなぐ育成会連合会」の久保会長から 7 月 27 日に緊急声明が出されています。テレビ放映もあったので御覧になった方も多いと思います。
いまさら、あたし如きがしゃしゃり出て、何か口出しするのもたいへん僭越ですが、「知的障害者の子を持つ親の一人」として、どうしても黙ってはいられません。

「障害者は金ばかり掛かって、社会の役に立たない(だから殺してしまえ)」と加害者はほざいているようですが、これは今から 80 年以上前にナチスドイツが実行したことの模倣です。あの悪名高いアウシュビッツ収容所などでユダヤ人を大量殺戮しましたが、その前に知的障害、精神障害の人たちを 20 万人余もガス室へ送り込んで虐殺したのです。

そんな大昔のことだけでなく、まさか「殺せ」とまではいいませんが、茨城県の教育委員の一人が、特別支援学校を参観して、「大勢の人が集まっていて経費の無駄だ」と放言し、その場に居合わせた知事始め他の誰からも、それをたしなめる発言もなかったどころか、後で発言を取り消しましたが、知事が半ば肯定するかのようなことまでいったというケースが記憶に生々しく残っています。

ここで、唐突ですが日本国憲法第三章を見て頂きます。
第 13 条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に関する権利について、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第 14 条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
(2 項以下省略)
このように、障害の有無、障害の程度を問わず、いかなる差別も禁じられています。

まだ事件の全容はつまびらかではありませんが、あたし達は、徒に萎縮したり、動揺したり、恐怖の念を抱いたりなどせず、いつもどおりの平穏な日々を送っていくことが、犯人や、いわれのない差別的な考えを持つ人たちへの最大の手段でしょう。

犯人のしたことは決して許すことはできません。また付和雷同的に、こうした事件が再び繰り返されないよう、行政、施設、警察、医療、地域などと緊密な連携を持ち、情報の交換・共有などのあらゆる方法を講じていかなければなりません。もちろん、正しい障害者・障害への認識と、正しい付き合い方を、幼児の時から培っていかなければなりません。

それから、どうにも腑に落ちないのが、犯人が名前や「やまゆり園」で介護士として働いていたことがあるなどと詳しく報道されているのに、これだけ大勢の人たちが殺傷されたにも拘わらず、被害者の名前が全然伝えられていないことです。遺族から氏名の公表はしないで欲しいと言われたとのことですが、ここに障害者差別・偏見が如実に映し出されている現実があります。
44 人もの人たちがひっそりと一部の関係者以外には誰にも知られずに、社会から葬り去られていくのです。
かつては、ハンセン病、結核、精神疾患、精神発達遅滞などの人たちが、そのようないわれない地域や家族からの差別観、偏見によって、人知れずこの世からひっそりと消え去っていったのです。

障害(障害者)は「悪」ですか?

「健常者」と「障害者」と二極化し、対比する考えが、根底に存在している限り、事態は深く潜行し、忘れたころに再び顕在化するのだと、あたしは思っています。
一時的にでもせよ、永続的にでも「障害」を持たない一生などあり得ません。極端かも知れませんが、乳幼児は自分一人では生きていけず、だれかが介護し介助しなければ生きられない存在です。または高齢になって手足が不自由になる、耳は遠くなる、眼は翳む、憶えるのは遅いが、忘れることは瞬時です。これは「障害者」ではないのでしょうか。また事故や怪我、病気などで一時的にからだや精神が不自由な状況に陥ることは何も特別な事態ではなく日常茶飯事です。それを考えたら「健常者」などあり得ません。あるのは自分だけは「健常者」だと思い込んでいる(或いは思い込もうとしている)精神障害者です。
あたし達の出来る限りの方法で、自分自身とあたし達の子どもたちを護っていかなければなりませんが、仲間を増やし、地域と融合して、より大きな活動にしなければ、絵に描いた餅に終わってしまいます。力を合わせて「合理的な配慮」によって社会的な障壁を無くすよう、倦まず撓まず行動していきましょう。

相模原の障害者施設の事件で思った事

7 月 26 日(火)相模原の障害者施設にナイフを持った男が入所している人を次々と刺した事件は衝撃的だった。僕が働いている所は高齢者施設だが、社会的弱者なのは同じだ。そう考えると他人事には思えない。だからといってこのような事件が起きないようにと家族などの面会や地域との交流の機会を少なくしていくと、隔離された状態になってしまい、入所している人が問題を抱えているとしても、同じ人間だということを周りの人達から理解してもらうのが難しくなる。過去にもハンセン病の隔離政策があった。何年か前の春、東村山の全生園に花見に行った事があった。まだそこで生活をしている高齢者の姿を何人か見かけた。

もし隔離という方法で問題解決されたら、僕が働いている施設では、利用者の認知症が進行してしまい、現場スタッフの介護が大変なのはもちろん、本人にとっても幸せからどんどん離れた状況に押しやられることになる。そうならないように、高齢者施設のレクレーションでは出来るだけ利用者が自由に動けるようにしている。それが残存機能を生かす事になり、利用者にとっては生きがいを感じるきっかけになるはずだ。僕が利用者さんと毎日お手ふき用のタオルを一緒に巻いていた時、それが楽しみになった人もいた。仕事をしている時、このような人にたまに会うので、介護は大変な仕事だけれど、こんなひとコマが時には辛いと思う仕事を乗り越えるきっかけになる。

僕が一番驚いたのは容疑者の人はそこで仕事をしていたという事だった。しかも供述で「障害者はいなくなればいい」という話をしていたと報道で流れていた事だった。障害者を支援する仕事をするならば、その施設の利用者に対してどのようなサービスが必要か考えて、それに応じて支援するのが普通だ。その最前線に立って働いていた人がこのような行為に走った事が分からない。利用者には思った事を伝えるのが難しい人や、こちらから伝えたいことが伝わりにくい事がしばしばある。僕もベッドメイクの時、利用者のやって欲しいやり方と違った時、一週間罵声をくらい、ノイローゼの一歩手前まで精神的に追い詰められた事もあった。問題が生じた時、一人で全て抱え込めば事故や事件になってしまう事は僕も仕事をしていて分かる。今回の事件の容疑者はこのような事件を起こす前に同僚や上司などに相談する事は出来なかったのだろうか。どうして「障害者はいなくなればいい」とまで主張するようになったのか。最初からそう思っていたのなら、仕事として選ばなかったはずだ。僕はその理由を知りたい。

盲導犬同伴視覚障害者転落死事件

転落死の状況はまるで知らないので、見当外れかもしれませんが、訓練をうけた盲導犬でもこのような事件が起きるとすれば、安全施設の整備は不可欠でしょう。それでも設備が万能ではないと思うし、人間もミスを起こすことは認めるので、お互いさまの意識が危険や手伝いが必要な状況に常に注意を払うことが必要だと思う。

  1. 点字ブロックが電車に近すぎると思う。目の不自由でない私たちも、あの黄色の点字ブロックのホームを歩いたら、どんなにこわいものか。ましてや目のご不自由な方々には残酷な実態です。全線について、もっと点字ブロックを電車から離して作る(作り直す)ことを強く求めます。
  2. ホームでの転落事故は今回初めてではありませんし、駅員さんが「危ないので下がってください」と声を掛けたといいますが、どちらに下がったらいいのか、わかると思いますか?走り寄って、転んでもいいので手前に引きづってでも助けて欲しかったと思います今までの事故が何の学習もされていないのに驚くばかりです。ホームドアという立派なものを設置しなくても、落ちないような「柵」だけでもどんなに役に立つ事でしょう。高齢者らにも必要です。
先日、東京で視覚障害者のホーム転落死のニュースを見ました。
本当に心が痛くなりました。事故が起きた青山一丁目駅は銀座線で、銀座線は2、3分ごとに電車がバンバン来ます。そして、人もわんさかいて……

スマートフォンや携帯を使用しながら歩いている人ばかりで、目が見えていてもぶつかるし、怖いです。東京は人が多いので本当に怖いし、危ないですし、電車待ちでは、座席に座りたいが為に、電車ホーム手前の黄色い点字ブロック上で電車待ちしている非常識な人間もいます。

私たちにできることは何かな?と考えていた日々です。
ここまでは、盲導犬同伴者のホーム転落事故のあとに届いた卒業生からの
メールでした。
テレビを見た印象を綴ってあります。テレビ報道がどうした内容だったか
はわかりませんが、一般にこう受け止められています。
卒業生は、スマホや電車待ちの問題を指摘しています。
いつか何かが起こるのでは…と。その通りになったことになります。

私の意見は下記の一点だけであります。

  1. 駅員さんは危険を知らせるアナウンスをしたとありましたが 、まさか落ちるとは思っていなかったのでしょうね。
    「盲導犬を連れているお客様、そのまま進むと危険です。その場でお止まりください」と対象者をはっきりアナウンスしてほしかったですね。
    少なくとも、「盲導犬」とアナウンスするだけで、近くにいた人も注視したはずです。
  2. まだあるのです。
    ホームドア設置は急がれるのですが、その前に「皆様、盲導犬を連れたお客様が2番ホームに向かっております。恐れ入りますが、お近くのお客様のご協力をよろしくお願い申し上げます」
    のアナウンスを入れていただくだけでもかなりの危険を防止できます。
    人権ネットの名前で、各鉄道会社へ要望書を送付することを希望します。
    盲導犬と同時に「白杖」も、です
    ホームドア設置は今は二の次です。その代わりに最後の行に記述しておくの
    は如何?
町なかで、駅で、障害をもつ人に出会うが、気楽に声をかけることはなかなかできないでいる。しかし、盲導犬同伴の人でも転落死する現実に、一声かければ助かる命があるのなら、勇気を持とうと思った。少しおせっかい位のおばさんを目指していこうと思う。
自分がついていながら同伴者を死亡させてしまった盲導犬はどうなってしまうんだろう。
声をかけること、見守ること、が自然にできるようになれば、世の中もっとほんわり、柔らかくなるのにと思う。

差別は少なくなっているのでしょうか?

相模原の事件は決して軽視してはならない人権をも問う問題であると思います。

日本は福祉制度も進み、差別のない住みやすい国と誰もが思い、信じてきたものが、根底から覆されました。しかし、本当に差別のない国だったのでしょうか?以下は最近起きた私の出来事です。因みに私は車椅子を使用している障がい者(脳性麻痺)です。

  1. 北海道のある田舎のバス停(一路線のみ運行)でバスを待っていると、バスは停車したのですが、運転手さんが子どもを諭すように「バスに乗るの?」と声を掛けてきました。健常者の方にはこういう対応はされないと思います。私はバスに乗るためにいたのです。バスを待つのでなければここにはいません。
  2. JRの廃線になった駅で町おこしの為、町の観光課出列車の体験運転ができる企画をしたときのことです。私が駅の窓口で、体験希望を伝えると、窓口の人は「障がい者は受付けられない」と断りました。いくら私がせつめいしても、聞く耳持たずです。そばにいた知り合いの町の職員が「乗せてやって」とひとこと言うと、窓口の人は切符をすぐに発券してくれました。これってどういうことでしょうか。
    窓口の対応は、なぜ無理なのかの説明もなく、何とか体験できる方法はないものかの検討もなく、ただ障がい者はだめの一言でした。こんなやりとりがありましたが、結局この体験運転乗車は誰の介助を受けることなく、私一人でできました。
  3. 地方都市の駅のバス停で乗車するため1時間も前から並び、バスが北野で乗ろうとすると運転手さんが、「何か手伝うことありますか?」とバスの運転手さんが声を掛けてくれていると、乗客の70歳前後の男性から「自分一人で乗れ!」と心ない一言が浴びせかけられました。人生経験豊かな分別ありそうな高齢の人でも、障がい者は邪魔者なのかな、と寂しい思いをしました。
  4. ある映画館で,4D(立体画面の3Dではなく、更に上をいく体感型が4Dです)を体験できる映画があって、体験にいったのですが、窓口の人に断られてしまいました。障がい者は安全上の理由で入場できないとのことでした。ここは、私はねばりました。理由にまったく納得がいきませんでした。事故が起きた時の自己責任が障がい者には認められていないのです。私は映画館の責任者と直接面談し、結局映画を見ることができました。
    何ら問題はありませんでした。
  5. 地方のあるバス停で、雪の中バスを待っていると、バスはバス停の手前で停まり、バス停のポール前で待っている私を無視して通りすぎで行きました。正に乗車拒否です。その後のバスは2時間後でなければ来ません。公共機関なのに公共機関たる使命を果たしていません。
  6. 全国チェーンを展開している大手のビジネスホテルでの出来事。荷物が重く、6個もあるので、ホテルウーマンにお手伝いをお願いすると、とても丁寧に断られました。私が障がい者であることは勿論認識しています。
    断った理由は、「当ホテルはそういうサービスを行っていません」とのことでした。社員として間違った返答はしていないし、マニュアル通りの返答であったが、サービス業に携わる者の自負は微塵も感じられなかった。

私個人の出来事だけでも枚挙にいとまがないが、こういう小さな差別が積み重なって、今回のような取り返しのつかない大きな事件に繋がったのだと、とても残念に思います。どの人も人として認め合うことが根っこのところになければいけないと思います。

私は何とかこういった差別と闘おうと思って奮闘していますが、こういう小さな差別の積み重ねはボディーブローのように私の心にむなしさを生み、私でなくても心が折れるのではないかと思います。

科学技術を有効に取り入れる方法

目覚ましい科学技術の進歩はさらに前進していくことが考えられるが、障害児、者人権ネットワークの活動にも取り入れる必要性があると個人的に考えている。

現在パソコンは無いが、パソコンを覚えたら、パソコンをしてみたいという希望者がいれば、最初からパソコンを教え、パソコンを覚えて、パソコンを購入してもらう。
パソコン等の機能を活用して、救済等を希望している方に、人権ネットワークの情報を届ける方法の開発、研究、実験は必要で、紙の通信物は出来るだけ廃止して、少ない労力、時間、そして、できるだけ経費をかけないで、合理化は必要と考える。

総会、例会、読書会の参加が、距離等の様々な事情で参加できない会員を対象にして、ラインの無料ビデオ通信、テレビ電話の導入を検討しているが、パソコン、スマートフォン等は持っていないが、時代の流れを無視する訳にはいかないので、対応策として、何も知らない会員を対象にした、無料の教室のような内容が可能かどうか、個人的に考えている。
具体的には決めてはいないが、会員のみ利用できる、会員同士の意見、情報交換等で使える、パソコン等を活用した伝言板は可能かどうか、今後の検討課題である。

秋山郷でのキャンプ

昨年の夏に続き、今年も家族4人と犬2匹、猫1匹でキャンプに行ってきた。来年はもう子ども達には付き合ってもらえないかなぁ・・・・・

場所は長野県と新潟県の県境に位置する秋山郷。白川郷はよく耳にするが秋山郷を知る人は少ないと思う。2011年に起きた3.11東日本大震災の時にこの栄村も大打撃を受けた。この年から数年は我が家もキャンプに行くことができなかった。

もう何度も秋山郷にキャンプに行っているのに、今回は私にとって特別な思いが残るキャンプになった。息子はキャンプ場のある栄村にかつて存在した部落が飢饉で滅びたことにものすごく興味を引かれ、娘は民俗資料館の管理者の山田さんに惚れてしまったようだった。

この村が秘境と呼ばれるが故の運命を背負って現在に至ったことに思いを致し、一層秋山郷が好きになった。これまで十何回と秋山郷にキャンプに来ているが、それまでのキャンプではこの地について、人々の暮らしについて、深く考えることなく行って、帰ってだけだった。私って本当にこういう所がだめだなと思う。

栄村には津南町から入る。いつも津南のコープで滞在日数分の買い物をしてから栄村に入る。今年は津南に入る前に飯山に行き、おいしい「シャイン マスカット」を探そうということになった。りんご、ぶどう、桃、立ち寄る直売場でついつい野菜と果物を買い込んでしまう。キャンプ場近くには生活に必要な最低限のものを売る店しかない。

キャンプ場に行く途中に民俗資料館の立て看板があった。キャンプ2日目、行ってみようということになった。手書きの立て看板がいかにも私設資料館らしい。昭和48年山田さんご夫妻の開設によるものだ。現在は山田みやさんが管理している。みやさんはたぶん90歳を超えている。

入り口脇になぜこの資料館をつくったについて
「 昭和48年4月民俗資料は郷土にあってこそ意義があると確信して夫婦で集めた。(略)秋山郷の人々が長い間かかって造り上げたその一つ一つの生活の知恵には潤いを忘れた現代の人々を引きつける何か大きな魅力を秘めております。(略)秋山郷は平家の落人の里とも呼ばれ、冬は陸の孤島になるところです。(略)私たち夫婦はこの地に生活しその残された民具、風習、信仰を、昔の人々が暮らした創意と工夫を見るにつけ、貧困に耐えてきた当時の人々の苦労と我慢強さが伺われます。この秋山郷の歴史と文化を今まで支えてきてくれた先祖の努力を、秋山郷に住む私共が秋山人の心の源流を探り、滅びゆく、わすれかけた遺産を大切に守り後の世の子供に伝えたいと思い資料館として始めました。」
と書かれていた。

「ごめんくださ~い。」「こんにちは~」と何度か 叫んでみた。家の中に人がいる気配はあるが、誰も出て来ない。しばらくしてかわいらしいおばあちゃんが出てきてくれた。僅かな入館料を支払い、中に通していただいた。

「この家は300年からたっています。私たちは今もこの家に住んでいるんですよ。どうぞ2階までゆっくり見て下さい。」と言われ、古い農具や着物、古銭、つづらなどなど、300年の重みをどっしり感じる黒い梁のある部屋に、所狭しと並ぶ貴重な展示物を見せていただいた。ところどころの展示物についてのかわいいコメントが入っていた。一本の木をくりぬいた直径1.2メートルほどの大きなこね鉢があった。ご近所さんが何人も寄り、主におそばを打って振る舞うのに使ったそうだ。二階は絵画のギャラリーになっていた。山田寿章作とある。気骨のあるおじいちゃん、苦労をしわにきざんだおばあちゃんの大きな絵に見入った。おばあちゃんの息子さんが独学で絵を学び画家になった。東京でも時々展覧会を開くそうだ。
ゆっくり一通り見せていただき、一階に降りると、「どうぞ、どうぞ」の言葉に、遠慮なくいろりに腰を下ろさせていただいた。美味しいお茶と数種類のお漬け物をごちそうになった。どれも皆おいしい!そしてなによりのごちそうはおばあちゃんのお話だった。
婦人会長もされた経験がある山田みやさんは、とてもしっかりされていて、ユーモアもあり、お話し上手な語り部だった。
おばあちゃんはこの山田家に跡取りがいないので、養女にきたそうだ。おじいちゃんと結婚して、養父母がなくなってはじめて、今展示されているお金が出てきた。一万円札も何枚もあり、「もっと早くお金を渡してくれたらよかったのにねぇ。」と冗談交じりだった。
今年は台風が多く、山からの水が家のぐるりに引かれているおばあちゃんのお宅では、いろりに水がじわじわ溢れ出て、昨日辺りまで大変だったそうだ。
この資料館をはじめたのは、この家に宿泊された大学教授から「これほどのものを公開しないのはもったいない」と言われたからだそうだ。資料の公開をはじめると、それを知ったNHKが取材に来た。私はリハーサルも何もなくインタビューに応じて、一発でOKでしたと誇らしげに聞かせてくれた。最盛期はバス3台でやって来た団体もあり、この家に宿泊もできたそうだ。この地区は新潟のテレビの電波はよく入るが、長野の放送は電波の受信が不十分だった。「栄村の人は新潟県知事は知っているが、長野県知事の顔は知らない」と婦人会長をしていたおばあちゃんは行政にかけあい、電波塔が立つことになったそうだ。

人家の少ない山の中のこと、食べ物を探しに山を下りてくる動物の話には事欠かないようだ。
面白いのは熊や猿の話だった。山に食べ物のない時には今でも猿やクマがでます。
畑を荒らすクマをどうやって仕留めるかというと、油の一斗缶にクマの頭が丁度入る穴を開け、そこに蜂蜜を入れておく。するとクマが蜂蜜につられて一斗缶に頭を突っ込む。缶から頭が抜けなくなっ熊が缶を頭に着けたまま、一斗缶の音をからからさせながら右往左往しているのを仕留める。
「猿もでるんですよ」猿は家の中まで入ってきて、食料を漁るから、棒を持って追いかけた。すると家の中を横切るように逃げ、ガラスを割り、置き土産に汚物を残していったそうだ。「猿は本当に頭がいいです。家の中の様子をじっと見てから入ってくるんですから。叱られたと思うと置き土産までして。」

栄村の小学校はかつては80人からの児童が通っていたが、今ではたった 1 人。その子のために先生が4人いる。昔はここが先生方の冬の逗留先になっていた。雪が深くて買い物ができないから、教頭先生が津南にでるときに買ってきてもらい、かんじきで村の入り口まで歩いて迎えにいった。と、思いつくまま楽しいお話しを次から次へと聞かせてくれた。

平成18年の大豪雪のときにはライフラインが断たれ、自衛隊による救助活動が行われた。津南までの道路が寸断されると物資が何も入って来ない。「あの時は自衛隊のヘリコプターが食料を運んでくれた。雪がひどくてヘリコプターさえ着陸できないときは空から荷物だけ落としてくれた」そうだ。

おばあちゃんが野良仕事をした後は、切明温泉。畑仕事の帰りの鍬で河原に穴を掘る。河原のあちこちから熱い温泉が出てくるので、川の水を入れて丁度いい湯加減にして一日の疲れを取るの。おばあちゃんの一番の楽しみだったそうだ。

おばあちゃんの楽しいお話の中には秋山郷の自然の中で、雪に閉ざされる冬も含めて、ここでの生活が充実したものであることが窺える。
天明の大飢饉は一説によると浅間山から40㎞しか離れていない栄村に浅間山の噴煙が舞い、元々生産力が低く、土地も荒れ、狭く、夏が短いこの地が日照不足で更に凶作となり、飢饉によっていくつかの部落が滅びたという。随筆家の鈴木牧之(すずきぼくし)が記した「北越雪譜」の『秋山紀行』に飢饉で滅びた大秋山村について記されている。キャンプ場の母屋の脇に鈴木牧之の木彫りの像がたたずんでいた。牧之が人々に伝えたかったのは雪国で冬になると閉ざされるこれらの地で懸命に生きる人々の姿だった。

秘境と呼ばれる地は、時々遊びに行く私たちにとっては自然がたくさん、星が綺麗で、涼しく、人のぬくもりが感じられる癒しの場所だが、そこに暮らす人々はかつて冬になれば閉ざされてしまうこの地で、貧困や食糧不足に堪えながら懸命に生きてきた。そのことをこの資料館は私たちに伝えてくれた。
守る人がいなければ私たちには伝わらない貴重な情報、知ろうとしなければ伝わらない情報にたくさん触れた夏だった。秋山郷をキャンプ先に選んだ夫に感謝。

そして我が家の雌犬「ひめ」 ひめは今年で15年になる。人間の年に換算したら中型犬なので88歳になる。年齢換算表をみるまで、ひめも年なのに元気でいてくれてありがたいなと思っていたが、88歳は驚きだった。何時も一緒にいるチンピラ風の小次郎は 1年半くらいになるので、小次郎も人間年齢に換算すれば20歳ということになる。ひめは最近目が見えにくく、耳も聞こえにくくなっているように感じていた。トイレも近くなってきた。88歳になれば当然のこと。飼い主として全く配慮に欠けていた。小次郎がひめにまとわりつくのに応じているので、若い子と一緒だと元気でいられるくらいに思っていた。ひめに気の毒なことをしていたと反省した。目も耳も不自由なひめの日常は、小次郎と一緒に叱られることが多く、手をあげただけで目をピクピクしばたたかせる。聞こえが悪ければ、何で叱られるのかわからない。どうして私が小次郎と一緒に叱られなきゃならないのよ!!と思っていることだろう。よくきこえない、よく見えない中での日常生活は、「言うことを聞かなく」なって当然だった。
子ども達が成人してもなお一緒にキャンプに行ってくれることを喜んでいたが、88歳でキャンプにつきあってくれるひめにも感謝しなければいけなかった。
ただ一つ、感心なことに、ひめと小次郎、娘の猫まめ、この三匹はまめもひめも5ヵ月と3ヵ月くらいの時から会って一緒にいるので、犬、猫の壁を越えている。犬と猫は仲良くないというのは誰が言ったことだろう。まめは小次郎のしつこさに閉口しているだろうと思うが、それでも「小次郎さん、いい加減にして下さいよ}とは思うだろうが、小次郎の甘噛み攻撃に耐え、とっても仲のいい三匹だと思う。当たり前に一緒にいることの大切さを思う。

学ぶことの多かった今年の夏。
秋山郷では中秋の名月もきれいだったろうと思う。
来年もみんなで行こう!秋山郷へ。

映画「みんなの学校」を見てきました

7月1日に江東区の男女共同参画センターで行われた「みんなの」学校をネットワークのメンバー7人で見てきました。江東区で活動している「いっしょに遊ぼう会」の主催でした。

大阪市立大空小学校で、初代校長の木村泰子先生が中心となって実践したみんなの居場所がある学校づくりの1年間を追ったドキュメンタリー映画です。

とにかく校長先生が凄い。休むひまなく飛びまわり、生徒のことを本当によく理解している。生徒にもうまく行かない状況はどうしてなのか、どうすればよかったのかをよく考えさせるが、それと同じように先生にも生徒への接し方、言葉のかけ方、対処の仕方に間違いなかったと思うかと、常に問い質す。
用務の先生は不登校の児童の自宅に出向いて、子供に学校を休まないように説得して連れてくる。みどりのおばさんも子供の様子をよく見ていて、何時もと違うことを報告する。地域の人たちを巻き込んで、不登校の児童をなくすよう務める。
児童の問題について全職員が情報を共有している。

こんな理想的な学校があるんだろうか、校長先生の頑張りによるから、校長先生が退職されたら、その後も同じ学校運営ができるんだろうか、とちょっと心配になったが、いろんな人を巻き込んで、地域の協力を得て、子育てをみんなでする。理想的な学校像だと思った。

身体障害の児童は見当たらなかったが、全校生徒220人のうち、30人を超える特別支援あ必要な子ども達がみんないっしょに学んでいた。子供の変化は何か異常事態を現している、大人はそれをしっかり見極めてうけとめなくてはいけない。絵本作家の かこ さとし さんもそうおっしゃっていた。子供からの信号を受け止め、いっしょに考え、よりよい方向に一緒に歩む。この映画を見た私たちは、凄いね、凄いねの連発だった。

どこかで上映されることがあったら、是非見て下さい。自主上映映画です。

障害児・者人権ネットワーク名入りボールペンの替え芯について

6月25日発送の会報にボールペンを同封させていただきました。
使っていただけているでしょうか。
結構評判がよく、替え芯について何人かの方からお問い合わせをいただいております。

ボールペンを購入した会社に問い合わせたところ、同社では取扱いがないとのことでしたが、市販のバネの停めのある替え芯なら大丈夫なはずですと回答いただきました。

試しに、0.7mm(お送りしたのは0.5mmです)の替え芯がありましたので、元々の芯の長さにカットして入れてみたところ、問題なく書けました。
どうぞお試しください。

編集後記

5月の定例総会が終わったと思っているうちに夏になり、台風の多さに驚いていると、すでに10月が目前に来ています。一年がどんどん早く過ぎ去っていきます。
楽しい夏を過ごされたでしょうか。8月27日に行われた暑気払いには22名の参加を得て、楽しいおしゃべりに花が咲きました。特に女性陣は準備の段階からお手伝いいただき、その後もお話しが弾み、よいムードでした。今度おしゃべりの会を企画したいと思います。阿部寮の皆さまにもお手伝いいただきました。

5月の総会の時に、相談案件はなるべくたくさんの人で話し合いましょうという意見が出ました。結論だけでなく、議論の過程も大切だということです。9日の月例会では、相談について参加者全員で話し合いました。遠方の方からの相談でしたので、話し合いの結論はメールでお送りしました。二年越しで施設を探されていた会員の方のお嬢さんの施設が決まったとご報告いただきました。会員のお母様の晴れやかな表情に参加者もほっとしました。

今、パラリンピックがリオで開催されています。車椅子でのバスケット、ラグビー、テニス、視覚障害の方の水泳、柔道などなど、パワーに圧倒されます。4年後の東京では、会場に足を運べたらいいなと思います。今の一年の流れの速さからして、4年もあっという間に過ぎてしまうと思います。

職リハの研究発表会が11月11日(第2金曜日)に開かれます。場所は東京ビッグサイト会議棟です。参加ご希望の方は研究発表の内容についてパンフレットをお送りできますので、お知らせください。

杢さんを囲む会を11月5日(土)に予定しています。これからご自分のために生きる杢さんのスタートの会になればと思っています。
杢さんと面識のない方の参加も大歓迎です。是非ご連絡ください。

10月15日(土)は、弁護士藤岡毅先生が中心となっている介護補償を考える弁護士と障害者の会のシンポジウムが開催されます。ネットワークは賛同団体です。奮ってご参加ください。

旅行の企画が詰め切らないままですが、参加ご希望の方は事務局までご連絡ください。希望される方の人数によって日時、最終決定する予定です。11月催行予定です。

人権ネットワークのHPのURLが変わりました。
http://npo-shogaishajinken.net/
たまにHPものぞいてみてください。ああしたらいい、こうしたら見やすい、というご意見もお寄せ下さい。

何度かご寄付をいただいています。お役にたつ会活動をしなければ
行けないなと改めて思います。ご協力お願い致します。(事務局)