脱!無関心 アマホロさんの体験に学ぶ

日本人、おきざりのままの こころ

-やさしい日本を取り戻すために、今できること-

ホームレスの人たちの支援活動を行っている

津田政明(アマホロ)さん

司会
私は、働く障害者の弁護団の弁護士、清水建夫です。本日は障害児・者人権ネットワークの
総会と障害者ユニオンの総会の双方に参加いたしました。
午後からは記念公演ということで、最初に、前にお座りいただいている
津田正明さん、アマホロさんから「日本人、おきざりのままの こころ」というタイトルで
お話を伺います。
津田さんのご紹介を人権ネットワークの小野清美さんのほうからしていただきたいと思います。

小野
私も津田さんにお会いするのはこれで3度目くらいなので、細かいところまでは良く存じ
上げてはいないのですが、とにかくお若いときから世界のあちこちへ行っていらして
ニューヨーク、フランス、ルワンダ、ザイールなどへ行き、その所々でいろんな支援活動を
行ってきています。
津田さんはアマホロさんと呼ばれていますが、アマホロとは平和を意味するそうです。
ニューヨークでは、ホームレスの支援施設にホームレスの人について行き、食事をいただいたり
住むところを世話してもらったりということも体験していらっしゃいます。
世界各地を見聞した中で、日本とはどんな国なのかということを
本当に良くわかっていらっしゃる方です。
津田さんは今回、佐渡から来てくださいました。
佐渡で不起耕農法という耕さないお米作りをやってらっしゃいます。
どうしてそこに辿り着いたかというところまで時間があったらお話ししていただけると
思います。
どうぞご静聴ください。

司会
では、私は司会ということになっているのですが、たぶん津田さんには司会は
必要ないでしょうから、好きなだけお話していただきたいと思います。
時間は、4時まででディスカッションする時間もほしいと思いますので
よろしくお願いします。

津田さん
どうもみなさんこんにちは 津田と申します。よろしくお願いいたします。
まずは一応、映像を見てもらいましょうか。私の活動を10分くらいに、短くまとめた
ビデオがありますのでそれをご覧ください。
そのあとお話に入りたいと思います。

<ビデオ上映>

津田さん
どうもありがとうございました。改めて津田と申します。よろしくお願いします。
今、ビデオを見ていただきましたが、これで僕の活動の大体のあらましが
分かっていただけたと思います。
この10年くらいはずっと、日本のホームレス問題に携わっていますので、その辺を
少し深く掘り下げてお話したいと思います。
僕は、今から30年位前になるでしょうか、ちょうど二十歳くらいの頃
初めてアメリカロサンゼルスに行きました。
二十歳の誕生日をロサンゼルスで迎えたのを良く覚えています。
外国生活が非常に肌に合っていたみたいで、それからずっとアメリカを皮切りに
ヨーロッパそれからアフリカ…と行きました。
最終的にはアフリカがものすごく好きになりまして、アフリカはもう25カ国くらい旅しました。
最終的にアフリカのルワンダという国に辿り着きました。
1994年にフチ族、ツチ族が内戦状態になりまして、あの時は3ヶ月間で100万人殺され
200万人の難民がでたルワンダ内戦というのがありました。
そのときにアフリカのルワンダ難民キャンプで医療支援活動をしており
その中に飛び込んで行きました。
それ以後、足掛5、6年、ルワンダに関わりました。
そういう活動をずっと続けて参りました。
それで今、ここに「日本人、おきざりのままの こころ」ということで
今日の主題を渡されました。
先ほどのビデオにも少し話が出ているのですが、僕は本当にルワンダが好きで
ルワンダのためにと思ってずっと活動して参りました。あるとき、ルワンダの方に
「日本の光景を見せてほしい」と言われました。僕はルワンダで活動しているときに
いつもビデオカメラを持っていました。そのビデオカメラで、ルワンダの方の活動を
ずっと撮っていて、日本で報告会をするときに、それを先ほどのように、お見せしていたのです。
すると今度は、ルワンダの方たちに、「逆に日本人の普通に生活しているビデオが見たい」と
言われました。
要するに、日本のビルや車、そういう映像というのはルワンダの方たちも見たことが
あるのですが、ごく普通の生活にすごく興味があったみたいです。
「あなたの家から歩いて5分10分圏内のところの映像を撮ってきてほしい」と、言われ
引き受けました。
ちょうど僕がその頃住んでいたのは、西新宿で駅から歩いてすぐのところでした。
日本に帰ったときにビデオカメラを持って、30分くらい新宿駅周辺で、西新宿の高層ビル
朝の電車のラッシュなど、ありきたりな新宿の風景を撮り、それをルワンダに持って行きました。
アフリカのほうには、よくオープンカフェみたいなところがあります。
みんなサッカーが好きですから、そこでお酒を飲みながらサッカー観戦できる場所です。
そこにテレビやビデオがいくつか設置してありまして、そこで僕が撮ってきたビデオの
上映会をしようということになりました。
日本のおもしろい映像が見られるとの触れ込みで、結構たくさんの人が集まってくれました。
上映が始まると、先ほども少しお話しましたが、小田急百貨店にシャネルがありまして
そこのショーウィンドウの前にホームレスの方が、僕たちが俗に言う、‘棺おけ’みたいなものを
ダンボールで作って寝ていました。
そこから年老いた男性が起き上がった光景がそのビデオに映されていました。
そのときのルワンダ人の反応は、目をさらのようにしていました。
‘何なんだあれは!’という感じで大騒ぎになりまして、何回か巻き戻しては映し、巻き戻しては映し
みんな本当に目をさらのようにしてビデオを見ていました。
そして「これは何なんだ」と言うので、「ホームレスです。寝るところがなくて
こういうところに寝ているのです」と伝えました。
彼らは、それがホームレスだということは知っているのです。なぜ驚いているかというと
要するに‘日本にもホームレスがいるのか’という驚きなわけです。
アフリカの人たちの日本人に対する思いというのは、経済的には恵まれた
‘夢の国’みたいな考えを持っています。
彼らにとって、白人というのは非常に評価が低いのです。
それは、何百年も奴隷ということでアフリカを搾取し続けた白人というのは
‘とんでもない人種’というふうに彼らは捉えているのです。
でも日本人というのは、‘ものすごくすばらしい国民だ’とみんなそんなふうに思っていたわけです。
要するに、アフリカに行けば、今走っている車は、ほとんどトヨタ、日産などの日本車です。
ちょうど日本がジャパン アズ ナンバーワンと思われていた時期で
それこそアメリカやヨーロッパをさておき、日本がトップというような勢いがついていた時代でした。
そういうこともあって、とにかく日本はすばらしいという見方をアフリカ人はしていました。
そういう日本にもホームレスがいたのかという、彼らにしたら非常に残念だったようです。
面白いことに、アメリカでもヨーロッパでもホームレスはいるのですが
‘白人のところにホームレスがいるのは当たり前だ、なぜならば白人というのは薄情だから’と
平気で言っているのです。僕もあまりに極端なアフリカ人の反応に驚きました。
彼らは、「あなたはルワンダでこんなことをしている場合ではないだろう」と言い出しました。
僕は、ルワンダで色々な活動をしていましたし、プロジェクトも始まっていて、とにかくそれが楽しくて
仕方がありませんでした。
一番勢いに乗っていたときなのですが、とにかく彼らに、「あなたはルワンダにいなくていい
とにかく日本に帰ってこういう人たちを何とかしなさい」と言われ
もう本当に穴があったら入りたいという状況でした。本当に怒られました。
‘そんな大変な身内を助けずにアフリカに来て、何でこんなことをしているのだ’という感じでした。
彼らにとっては、お年寄りをこんな路上に寝かせておくことが許せなかったのです。

 アフリカの方たちは、ものすごくお年寄りを大切にします。
たとえば僕がアフリカの友達の家に呼ばれて、食事に行くと
まず、その家の一番奥の部屋に通されます。
一番奥は何かというと、そこのおじいさんおばあさんの部屋なのです。
そのおじいさんおばあさんのところに連れて行って
「彼は日本から来た僕の友達です」とまず紹介してくれます。
そうするとおじいさんのほうが、ひょうたんで作った容器に入った
濁酒みたいなものを飲んでいるのですが、それをおもむろに差し出します。
それを僕が一口飲むと、それが‘お前もブラザーだ’というような意味で
兄弟関係になるわけなのです。
そういう風に必ず、まずおじいさんおばあさんに紹介されるというのは
あちこちで当たり前のようにしていました。
日本だったら、なかなかそういうことはないのですが
アフリカでは、とにかくお年寄りは大切にされます。
そして身寄りのない老人も、少し余裕のあるような方が必ず引き取って
面倒をみたりするのです。
だからアフリカでは、ストリートチルドレンは至るところにいるのですが
‘お年寄りが路上にいる’というのはまずありません。
だから余計、日本の老人に対する扱いというのが許せなかったのでしょう。
そして、仕方ないので‘とにかく1年だけ僕は日本に帰ろう、とにかく1年だけ
日本で活動してまた戻ってきます’と彼らと約束をして、日本に帰ってきました。
僕は新宿に住んでいましたから、中央公園に行きました。
ちょうどあれは90何年だったと思いますが、駅から都庁に向かう間にホームレスが
たくさん住んでいましたが、そこから排除されて、中央公園にそういう人たちが
集まって住んでいました。だから中央公園の広い芝生のところに300人くらい寝ていました。
僕も‘ホームレス’というような話は一応は聞いて知っていましたが
あまり気に留めたこともなかったですし、何かやろうということもなかったわけです。
でもルワンダでのそういう体験がありましたから、ホームレス問題に
ちょっと関わってみようと思いました。
実際に現場を見たら、これは本当に悲惨だなと思いました。
ルワンダの難民キャンプでずっと活動していましたけれども
日本のあの頃の新宿中央公園の状況というのは、難民キャンプ以下の状況でした。
アフリカなどの難民キャンプというのは、国連の作るキャンプですから
予め支援があるところなのです。
でも日本の中央公園なんていったら、本当にここが日本かと思うほど
非常に僕も驚きました。
とにかくお茶を配るところからはじめて、色々と活動しましたが
1年経っても何も変わりませんでした。
それから結局ずるずると、アフリカに帰ろう、帰ろうと思いながら
帰れずに今に至っているのです。
日本は、ホームレス問題の視点からみると‘優しさ’がちょっと足りないのでは
ないかなと思いつつも、何か僕にできることはないかと思っています。
そして先ほども言われたように、新潟の佐渡でお米作りを行いながら
そういうところにホームレスの人たちが農業で自立していけるような道はないものかと
模索している最中です。
今、ひと言でホームレスと言っているのですが、ホームレスの人たちと話す機会
接する機会というものがなかなかないです。
たとえば真っ黒になって、見るからに臭うようなホームレスもいれば
それこそスーツ姿のホームレスも、もちろんいます。
だからひと言でホームレスと言って、それに対する対応を考えるというのは
言い出したらきりがないのです。
今日も千駄ヶ谷の駅からずっと歩いてきましたが、ちょうどこの国立競技場の
周辺と脇の茂みのところに、数えてみたらホームレスが5人いました。
一応、今、全国で公証、2万4千だ、2万5千だという数字が出ているのですが
実数は、ホームレスに関係しているようなグループの話を照合すると
3倍はいるのではないかということです。
だから、そういう問題をこれからどうしていくのかと
そういうことをもう少し我々市民レベルで考えていかないとまずいのではないかと
実際、僕は思っています。
今日は皆さん、色々な立場の方が来られていると思うのですが
ホームレスに対するご意見もあると思います。
ですからホームレスとは何かということも含めて、皆さんのご意見もお聞きしたいですし
僕も色々と今までそういう活動の中で彼らホームレスを見てきた報告も含めて
皆さんとやり取りをしていけたらいいなと思います。
ホームレスは何を食べているのかとよく言われます。
その辺の基本的なところからお話させていただきますと
今、東京のホームレスの胃袋を支えているのは、韓国の教会なのです。
よくホームレスはコンビニの弁当やファーストフードの残り物を食べているのでは
ないかと、そのような話をよく聞くのですが、コンビニの弁当は一切ありません。
法律が変わったのかどうかは分かりませんが、今は全部回収されてしまうのです。
以前はコンビニの脇のゴミ箱に捨てられていたのですが、今は一切ありません。
マクドナルド、ケンタッキーも全部、残飯として出さないです。
みんなそれをリサイクルして生ゴミを堆肥化するんだとかで、ないです。
それで先ほどお話しましたとおり韓国の教会なのです。
日本の教会ではなく韓国の教会なのです。
日本のお寺でもそういうことはあまりしていません。
東京の何千人かのホームレスを韓国の教会が、何百人単位の炊き出しを
あちこちで行って支えているという構図です。
ですから、韓国の教会が手を引いたら、ホームレスの人たちは確実に飢え死にするでしょう。
今はそういう状況です。
ですからホームレスの人たちが置かれている状況等を、もう少しきちんとした形で
知ってもらえる機会を設けるべきなのですが、テレビや雑誌など興味本位の捕らえ方が
一人歩きしてしまって、‘ホームレスというのは、汚い、臭い’という印象が常にあります。
そこのところでもわからない点がありましたら、この場がいい機会だと思います。
色んな形で質問でもご意見でもいいですし、ちょっとそういうのをやりましょうか。
大体、僕のホームレスに関わった経緯は今お話したのですが
やっぱりもう少し日本人に優しさというものが必要なのではないかなという思いで僕はいます。
何かご意見がありましたらどうぞ。
何かないですか?分からないことでも何か言いたいことでもあれば是非おっしゃってください。

質問
寒い冬に寝ていると、「寒いな、布団をあと1枚かぶせようかな」と思ったり
するのですが、ホームレスの方を思うと、「ホームレスの人は布団さえない
家もない、あのようなところで寝てらしてよく耐えられるな、もう体が寒さに
耐えられるほど丈夫なのかな」と思ったりしています。
余っている洋服、布団とかを持っていってあげたいなと思ったりするのですが
持っていくと派閥などがあったりして「失礼な」と怒られるのではとか思います。
そういうことも色々考えて、すごく気にはしているのですが、実行はしていないんです。
だから津田さんは勇気があってすごい方だなと、今、お話を聞きながら思っています。
そういう人たちに関わるのに、もし自分が余っている物があって持って行った場合
受け取ってもらえるのかお聞きしたいと思います。

津田さん
そうですね 僕も彼らに「寒いのによく平気だね」と聞いたことがあります。
そしたら「寒いほうがいい、寒いのは毛布なり寝袋なりあればとにかく我慢できる。
でも夏の暑さは我慢できない」と言うのです。彼らにとって夏の暑さのほうがつらいのです。
要するに夏は暑いし、あのようなところに寝ていると蚊がすごいのです。
中央公園の蚊というのは、蜂みたいに凶暴な蚊です。だから彼らに夏、何がほしいか聞くと
蚊取り線香と言います。暑さ、そして結局寝られなくなってどんどん体力が消耗します。
そのくらい夏のほうがつらいのです。
衣料など不用品を寄付するというのは、一時、僕らも受け入れて配ったりしたのですが
今は、韓国の協会が服でも新品を配っています。
だから着古した衣類でも、以前は喜んでいましたが、韓国の教会が新しいものを配るので
古い衣料を集めて配っても、それがなかなかはけません。
そうするとそれがゴミになってしまったりします。
冬になると僕は、‘愛の寝袋大作戦’として寝袋を配るのですが、寝袋も全部新品です。
皆さん、家にそういう衣類があふれていると思うのですが、僕が雑誌に取り上げられてひと言
‘衣料を集めています’なんて載った暁には、6畳間いっぱいになるほどすぐに集まります。
下手に‘毛布でも何でもお願いします’と言ったら倉庫でもない限り、膨大な数が集まりますから
今はそういうことを言わないようにしています。
物の寄付というのは非常に皆さんやってくれるのですが、逆に僕らは資金的な援助だけに
限ってしまっています。彼らが喜ぶ物は、冬でしたら寝袋、1年通してでは銭湯の券です。
みんなお風呂に入りたいのです。新大久保にある韓国の教会などに行くとシャワーを
浴びさせてくれたりするのですが、なかなかお風呂には入れません。
僕のところでは先ほどの映像にもありました通り、ゴミ拾いをしていますから
そのゴミ拾いをした人には定期的に銭湯の券をあげるという活動をしています。
ですから皆さん、古着や古い毛布など寄付してくれようとするのはありがたいですが
今はそんな状態です。本当にどうもありがとうございます。

質問
川崎から来ました。私も近くに富士見公園というところがありまして
たくさんのホームレスの方がいます。障害者の施設に勤めている頃に
入所施設からいなくなってしまう方がいました。
その方は元々ホームレスの経験があって、かなり探し回って横浜の施設から移動して
池袋北口にいました。そして夜中、ダンボールで寝ているところを面会しました。
そんな関係から、新宿を探したり、韓国の教会から食事を出していただいて、探したりしました。
津田さんのおっしゃるシェルター作りをもっとしなくてはいけないのではないかと思っています。
色んな協会もそうですがインフォーマルな形のシェルター作り
たとえば東京都もそうかもしれませんが、川崎のように、この住まいに住みなさいと
仮設住宅のようなものを作っています。津田さんのおっしゃるシェルターというのは
どういうものをイメージしているのかなということと、このレジメの中に卒業するということが
書かれていますが、津田さんのおっしゃる卒業、卒業後のことはどういう風にイメージされているのか
2つのことをお聞かせいただきたいと思います。

津田さん
ホームレスの中でたまに障害者の方もいます。
でも、意外とそういう方が来ても福祉のほうに行きなさいということで
すぐいなくなってしまう感じでしょうか。ずっといるというのは僕もあまり知りません。
シェルターというのはあまり日本にはないのですが、よく僕がゴミ拾いをやっていた頃に
世界中のテレビ局が取材に来ました。特にアメリカのCNNやBBCとかヨーロッパの
ドイツ国営テレビ等、そういうところがよく中央公園に取材に来て、取材のお手伝い
コーディネートみたいなことをやらせていただきました。彼らがまず驚きを持って言われるのが
「日本というのはシェルターがないのか」ということでした。
欧米には、その日の食べるものがない、寝るところがない人に対して、それを提供するための
場所が必ずあります。アメリカでも都市には何箇所かありますし、ヨーロッパにもあります。
ですから、たとえば夕方の何時にそこに行けば、まずそこで食事を与えられ
食事を取った後、2Fに上っていくと広いところに2段ベッドが並んでいるような
施設があったりします。とにかく並べば、そこで食べて寝られるという場所です。
一切、あなたはだめですよといわれりことはありまえせん。とにかくそこに行って並べば
眠れて次の日、朝食を取らせてくれます。でも昼間はそこから出なくてはいけません。
大体アメリカですと、そのような場所が日本でいうコミュニティセンターみたいな場所で
昼間はコミュニティの活動場所になり、夜はベッドを並べてシェルターにするというところでした。
僕もちょうど20歳でアメリカを放浪している頃、貧乏旅行をしていますので
たまたまダウンタウンで行列のできているところへ行ったら、「食事をしていきなさい」と言われ
始めてシェルターというのを経験しました。無料でご飯が食べられて、夜、寝ることができて最高です。
ですから結構アメリカの色々な都市でもシェルター巡りしていました。
本当にアメリカはすごいなと思いました。夕食も大きなプレートに、肉あり、サラダあり
パンは取り放題、スープは飲み放題、そういうのを無料で食べさせてくれて
2段ベッドみたいなところだけれども寝させてくれます。
そういうような場所が最低限度、セイフティネットとして欧米にはあるということです。
日本の場合ですと、お金がない、食べ物がない、そうしたら行くところがないのです。
警察や区役所に行けばなんとかなるのかというと、ならないのです。
ホームレスの人たちが言うには、最初に来るのは新宿だと言うのです。
新宿は行きやすいようです。ですからホームレスの最初の夜は新宿という人が結構多いです。
やっぱりいきなりそこに行くのではなく、ある程度欧米にあるシェルターというような
場所が必要ではないのかと思います。それを日本でどういう形で作っていくのかというと
色々な問題が起こってくるとは思うのですが、でもこれからそういうものをある程度
作っていかないと、これからのホームレス増加時代を迎えて、大変なことになるのではないかと
思います。
それが僕のシェルターの概念です。
そしてもうひとつ、卒業というのは、色々僕が接してきたなかで
「仕事に就きました、お世話になりました」と言ってくる人が結構います。
でも1ヶ月、3ヶ月、半年経つと、またその場所に戻ってくる人がほとんどです。
だからやっぱり卒業して自立していくというのは非常に難しいと思います。
僕が知っているなかで、就職したのはそれこそ一桁台です。
今でも仕事に就いて付き合いがあるのは、ほんの2、3人です。
ですから「仕事に就きました」と言って、いなくなった人でも、今どうなっているのかと
いうことは僕も良く分かりません。見ているとやっぱり日本の労働環境というのでしょうか
一度ホームレスになった人が、もう一度入っていける場所というのは、重労働の現場が多いです。
ホームレスみたいに何もしないでのんびり暮らしていることを1年、2年体験してしまうと
就職しましたと喜んできても、厳しい現場に入っていくわけなので、結局その中に馴染めず
弾き飛ばされてしまうような状況です。
そこで僕は卒業していく場として、ひとつ農業を考えていますが
農業の現場は僕も知りません。ですから今年から新潟の佐渡島で米作りの現場に入っているのです。
農業だって生易しいものではないとよく分かりますが、ある程度のペースというのは
フレキシブルになるような場ではないのかと思います。
その農業で自立ということを僕は卒業させていく場として考えています。

質問
今のシェルターの話なのですが、欧米のシェルターを見られて
それから日本に戻ってきて日本にはないということです。
欧米のシェルターの背景の中に先ほどのお話にもありました
日本では韓国の教会の方が炊き出し、衣料等を渡しているとのことですが
そういうところに宗教的な背景があるような気がします。
日本の宗教団体はやっていないよとのことですが、日本の宗教団体があまり
しっかりしていないのかもしれません。そういう背景的なというか
思想的なというか、そういうものが根本的にあるような気がします。
それからもっと言ってしまえば障害者自立支援法でも、労働の場でフルスロットルに
働かなくてはいけません。そういう優しさみたいなものが全然ないような
環境が日本の中にありあふれていると感じています。
今度、障害者自立支援法では障害者も就労してお金を稼ぐように
もっていく思想があります。
日本人はハートレスな世界にはまり込んでいるのではないかという気がしてなりません。
そういうところではどうなのでしょうか?

津田さん
教会の運営しているシェルターというのは食べる前に礼拝があります。
でもその礼拝は強制ではなく、したくない人は出なくてもよいというものでした。
やっぱりその背景にはキリスト教的なチャリティーの精神というのは
もちろんあると思います。
ですから、日本にはそういうことが根付かないのかなと思います。
でもやっぱり欧米の人にとってみると、日本のホームレスの状況は
あまりにも無神経に放っておかれているような、ものすごく驚きをもってみているようです。
たとえば新宿中央公園は、場所もよく非常にきれいな公園です。
その中で今でもテントを張って、100人くらい暮らしています。
ダンボールでテントというよりは家みたいなものを作っています。
それを見て、その外国人のテレビ局のスタッフが「何でその公園で寝ているのだ
不法占拠ではないのか」と言います。これがもし、ニューヨークのセントラルパーク
あたりであのような形で人が住んだら、すぐに逮捕です。
要するに公園というのは、パブリックスペースであって、みんなの公園なわけです。
みんなで使うべき場所なので、そこをあのように占拠して、それこそ住居とするなんて
欧米としては考えられないわけです。でもそれを何で日本は許しているのかと
言われてみればご尤もなのです。
僕も中央公園のすぐ脇に住んでいましたから、町内会の人たちは
「いい加減にしてほしい」という陳情を一年中していました。
あれだけのきれいな公園がありながら、周辺の住民の人たちは
怖い、臭い、汚いということで、まず公園には行けません。
行政が何かするかというと、行政は行政で見て見ぬふりをします。
僕も10年くらいずっと見ていますけれど、いまだにホームレスの人たちは住んでいます。
宗教的な背景というのがないから、これだけ無神経でいられるのか、僕は良く分かりません。
最近の情報なのですが、そろそろ東京都のほうが、新宿中央公園あたりを
強制排除するのではないかという情報が入ってきました。
この2年くらい、ホームレスに対しての支援という名目で
彼らに‘1ヶ月3千円でアパートを世話する’という形の
住居対策みたいなことを行っています。
‘公園から出てくれれば、3千円でアパートに入れます’という対策です。
その対策で新宿中央公園のテントというのは半減し、半分の人は
3千円でアパートに入りました。3千円でアパートに入るというのは
結局、民間のアパートの借り上げなのです。
東京の新宿あたりのどんなアパートを借りても、最低でも5、6万します。
要するに5、6万で借りて、それを3千円で貸すということになると
その差額は東京都が出すということです。
その予算が確か9億円くらいだったと思います。
ホームレスの人たちをそこから排除するために相当な金額を使っているわけです。
皆さんの中で、3千円でホームレスにアパート貸しているというような
対策事業を知っている方いますか?いないですね。
下手に言ってしまったら大騒ぎになりますから、内緒にしているのです。
僕だって3千円で借りたいくらいです。3千円でアパートを貸しているなんて
みんな知らないことなのです。
そして3千円で2年間、そのアパートに住むことができます。
僕もホームレスの方に招待されて、そのアパートへ行きました。
そこはワンルームでクーラーもついて、7万8千円の部屋でした。
そんなところが3千円です。公園に何年か住んでいたホームレスが
いきなりそういうワンルームマンションみたいなところに2年間、住めるのです。
結局、彼らは収入がないですから、半年間は月に5日間、東京都の道路や
公園を清掃する仕事をやらせてくれます。その仕事は1日8千円なので
8千円×5日間で1ヶ月4万円の収入になるわけです。
役人の考えることは、本当に簡単です。
「半年間は8千円で5日間働ける。4万円あれば、1日千円として3万円。残りの1万円で
その3千円の家賃と電気代を払えば、何とか生活していけるだろう」と言うのです。
これがホームレスの住居対策事業のあらましなのです。
でも、彼らは8千円をもらうと1日で使ってしまいます。
ですから、食費もなかなか残りません。
そういうことが色々ありまして、僕がこう見ている限りでは、半数くらいは
そのアパートに住んだけれども、そこから逃げてしまったと思います。
ですから、何のための住居対策なのかよく分かりませんが
現在そういうことが行われています。
それから住居対策事業の第2次というのが、そろそろ始まっていると思います。
今でも新宿中央公園にテントを作って住んでいる人が100人近くいるのですが
今、その人たちに「3千円で住みなさい」と声掛けをしています。
今回、声掛けをしてアパートに入らなかった場合は強制撤去という
筋書きみたいなので、状況によっては年内でそこが片付くのではといった状況です。
川崎のほうは、確か大きな施設を造りましたよね?完成しましたか?
周辺の方と色々あったようですが、完成したのですね。
やっぱりそのような、共同で住む施設のほうがいいのではないかと僕は思います。
民間アパートを借り上げて、結局一人で住むわけです。
それこそ炊き出しのものだけを食べているようなホームレスの人たちが
色々なことをやりながら食事を作って生活できるのかと思います。
ですから段階を踏んでから、アパートに一人暮らしできるところまで
もっていくのならばいいのですが、いきなりそういう形で行っているので
非常に成功率が低いです。
それから、彼らは‘一緒にいたい’というような気持ちを持っています。
結局、一人になると、それこそ周りの人とコミュニケーションを
とることすらできない人が多いのです。ですから、一人で孤立してしまい
ちょっとお金が入れば酒に浸ってしまうという人が多いのです。
そして、酒に浸ってしまったら退去するという形で動いています。
ですから、これは東京都の行う対策は、とんでもないなと僕は見ています。
そういう状況です。

質問
八王子からきました。立川の総合福祉センターで、月に1回炊き出しをしています。
ここでホームレスの方へおにぎりを作って出しているようです。
遠いところでは、世田谷、練馬、埼玉あたりから5時間、6時間、自転車を走らせて
集まってくる方もいらっしゃいます。そういう意味では、情報がホームレス間では随分
広まっているのだなという風に感じます。
以前は50人から100人くらい集まっていたのですが、最近は20~30人くらいに減っているようです。
現在ホームレスというのはどのくらいの人数で、どういう傾向にあるかということを
教えていただきたいと思います。
人数的に下がっているのか、不景気で増えているのかということです。
それからもうひとつお聞きしたいのは、正確な名前ではないかもしれませんが
埼玉ホームレス支援協会NPO法人というのがあります。
そこは、埼玉あたりのホームレスを支援しようという運動をしている団体です。
先ほどお話したようにホームレス間では情報が行き来して、遠くの地区から方々来ています。
そういう方々の支援団体もきっとあるはずです。それが連携をしているのかどうか
情報のやり取りをして支援の良い方法を考えているのかどうか
それが分かりましたら教えてもらいたいと思います。

津田さん
まず人数ですが、最近の正確な数字をカウントしているかというと
最近は行っていないようです。東京都のホームレスの人数は
以前5千何百という数字が出ていました。でもそのカウントする方法というのが
たとえば夜7時にカウントして回った場合、その場所にもっと遅く来て寝ている人たちは
カウントされないということになります。そういうことが色々ありますので
5千という数字は活動している団体の間では少ないのではないかという見方をされています。
僕は東京都という大きな枠組みで見ているわけではないのですが
新宿あたりを見ている限りでは非常にホームレスの数は増えています。
新宿でホームレスの人たちが1番多く寝ている場所は、西口の地下に交番があるのですが
その裏手辺りに大体200~300人は寝ているのではないでしょうか。
黙認されているという感じです。いろんな場所でそれぞれ寝ていると
それこそ溢れてしまうので、夜の11時から朝の確か5時までということで
その時間そのエリアだったら寝てもいいという場所になっています。
今日は新潟から朝早く着いたので、その辺をひと回りしてみました。
顔馴染みは顔馴染みでいましたし、プラス増えているのはやっぱり若者でした。
若者といっても30代後半くらいでしょうか。そういう人が今、増えています。
30代後半というのは、アルバイトではなくフリーターというような形で働いていて
そのフリーターの第一世代がホームレス化している状況です。
以前、掃除をしているところにそういう人が来ると、僕は色々と話をしました。
大体、パターンとしては‘フリーターをずっとやってきて、とにかく食べる分だけ
稼げばいい’とずっと生活してきたわけです。でも30代後半ともなると
なかなか仕事というのも限られてきます。かといって、何か特技、スペシャリストかと
いうとそうでもないわけです。そうすると本当に限られてしまいます。
簡単な引越し作業員等、本当に限られた職種しかありません。
そうすると、生活を維持していく為に何かしなくてはと
そういう仕事を続けていくわけですが、その過程で、急に仕事も何もかも
やりたくなくなってしまうような軽いうつ状態みたいになる人が多いです。
ですから僕と話していても最初は言葉少なく、人とこうやって話すのは半年振りだとか
そういう人が多いです。そのように何もやりたくなくなってしまうということが
精神的なものなのか良く分かりませんが、そうすると会社を休むようになります。
しばらく休んで、もし会社に行けなければ解雇されます。
それで収入がなくなり、アパートも夜逃げ同然で出てきてしまうというような
パターンで若者たちが増えています。
東京都も何千人というホームレスの数ですけれども
予備軍としては何十万単位の人間がいるのではないかと思います。
なかなかホームレス問題がメインで語られるということが少ないのですが
なんとかしていかないといけません。
活動団体の繋がりということなのですが、連合体みたいな感じで
繋がっているものはあります。けれども、いかんせん予算的なものもありますし
なかなか思うように活動ができていない状況です。
ですから日本人のそういう活動の中でも、炊き出しというのが本当に少ないです。
そのような状況の中で韓国の教会は、ほとんど毎日、どこかで行って
いるのではないでしょうか。先ほどもホームレス間の情報の伝わり方が
非常に広いというようなことを言われましたが、ホームレスの人の話を聞くと
‘どこ行けば何が食べられる’‘どこ行けば何がもらえる’そんな話しかしていないです。
以前ですと、‘どこへ行けば何か仕事にありつける’というような
ポジティブな話が聞けたのですが、最近はまったく聞こえません。
僕は、炊き出しということで、無条件で食事をあげることは好きではなかったので
‘ゴミ拾いをした人には食事を出す’ということでずっとやってきました。
結局は一長一短ということでしょうか。そういう風に食べ物をただ配るというだけで
わざわざ働かなくても食べられるという状況を作り出しているわけですから
どんどんそういうものに頼るという状況にも陥っていることが見えてきます。
ですから、今までの教会のやり方とはまったく別な形で、僕は農業に結びつけた形での
自立ということをなんとかしていきたいと思っています。
ですが田舎のほうに行ってそういう話をすると、まずそっぽ向かれます。
ホームレスの‘ホ’の字を出しただけで拒絶反応です。
そういうところをなんとか少しずつ変えながらやっていきたいという思いで
今取り組んでいます。
色々な形で、活動団体が繋がっていくことももちろん大切なのですが
活動団体は非常に少ないです。普通の人たちの‘何とかしましょう’というような
気分を盛り上げていかなければと思います。
ホームレス問題を何とか広げていくような形でもっていかないと
この日本の経済の二極化をどんどん進んでいますし
明日はわが身だということもあると思います。
ですからホームレス問題を遠い問題として考えるのではなく
もう少し自分自身の問題として考えていきたいという思いです。

司会
ありがとうございました。
では、これから意見も含めて津田さんとディスカッションしてはどうかと思います。
津田さんのような活動をしていらっしゃる方のお話を伺うというのは
これまでなかなかありませんでした。津田さんも試行錯誤しながら
本当はルワンダで平和のための活動をやっていたほうが、楽しかったのでは
ないかと思いますが、ルワンダの人に自分の国のことをやりなさいと言われ
今、取り組んでおられるのだなという風に思います。
石橋さん、津田さんとはお付き合いは長いのですか?
石橋さんのご意見、今の津田さんのお話を伺ってご自分のお考えでも結構ですし
活動でも結構ですし、聞かせていただけますか。

石橋さん
19歳で仏教者の端くれとなり、今、津田さんの話を伺い、恥ずかしい思いを感じています。
そういうことをご自分の活動の中で行ってきて、全然やりきれてないということを
感じられないということは、本当に自分自身の中の強い意思を
見つめてこられたということだと思います。
話は違いますが、日本政府の方向性は今、ものすごく危険な状況になってきています。
もろもろある、そのうちのひとつで、最近読んだのですが、米軍再編の中で
グアムの基地問題に8千億円使うといいます。
その内訳をいうと、アメリカ兵のための住宅を1軒8千万円使って、3千5百戸造るというのです。
一戸建ての住宅に8千万円です。そのための日本政府の税金が8千億円、さらに他にもろもろ
米軍へ3兆円というお金がかかるといいます。
アマホロさんの支援の姿を、もっと支援していくべきだと感じています。
富める者と見捨てられる者の姿がそういう形になって、今までよりももっと明確になって
社会の中で表面化していくようなことを感じます。

司会
津田さんのお話をそのままもう一人…長戸路さんは津田さんとはお付き合いが長いのですか?
何でも結構です。今のご意見お聞かせください。

長戸路さん
私はホームレスとの関わりは最近になります。
山手線の五反田というところに住んでいるのですが、五反田から100Mの駅のところに
8時過ぎになると12人くらいダンボールで泊まりに来ます。
ビルの屋根の下に寝るのですが、雨が降ると傘をさして、雨をよけて
寝るという感じです。この都心のど真ん中、そこから200mのところに
去年の4月まで官房長官邸に小泉総理が住んでいました。
そんなところなのに五反田にもホームレスはいます。
私はそこの人にどういう関わりを持ったかといいますと
小泉さんは夕方になると品川プリンスホテルの中にある料亭で毎日、夕飯を食べています。
本当に腹が立って、憤りを感じております。
私はまったく個人ですけども、昔の人なので自分のものが捨てられません。
そこで、ホームレスの人にあげようと思い、袋を作りました。
そして毎朝、出かけるときにその袋を持って、五反田駅の地下に自分の袋を
ダンボールに縛っておいていきました。
夕方になるとそれはなくなっています。
そうやって私は15~16個、物を処分したと思います。
それから、小さな公園があるのですが、そこにも必ずホームレスの人が何人かいます。
ホームレスの人が寒くて1番きついのは、1~2月の夜中なのです。
公園に座っているときに、いつもタバコを買ってあげて、ホームレスの人と話をしていました。
今年の2月からその方の姿が見えなかくなったと思ったら
凍死でベンチの上で亡くなっていたそうです。非常に悲しくて私も涙が出ました。
そういう東京の山手線のど真ん中のホームレスがいます。
今ビルの下にもいます。それが現状です。
今年3月、ある友人から長戸路さんのところに頼めば解決するよと
ある一人の72歳の女性の件で、夜中の11時に私のところに電話がありました。
寝る場所も行く場所もなくて困っているということでした。
まず寝る場所を探しましたが、ホテルはどこも満室で、仕方なく一緒に行って
ラブホテルを取り、目黒駅の近くに泊まらせました。
その後、どういう風に解決したかというと、区役所の生活相談所へ行きました。
‘生活相談所があり、その窓口に行く’ということを知らない人がいるのではないかと思います。
そこに行って交渉したところ、東京都にそういう方たちを収容する施設がありました。
同じ部屋にベッドがあり3~5人くらいで寝ることができる、一時しのぎみたいなところです。
ところが、そういうところは喧嘩したり、意地悪をされたり、いじめもありました。
その人は4ヶ月間そこにいたのですが、二人の女性のいじめを受けて
また飛び出してしまいました。
私が静岡に行っているときに、「目黒駅にいるので千円貸してください」と電話がありました。
静岡にいたので無理なことを話し、また目黒区役所の生活相談所へ行かせました。
そうしましたら、1ヶ月5万以下の部屋を探しなさいということで
そういう方法でその人は今、落ち着きました。
小さくてお風呂のないアパートですが、5万円の家賃を払い生活しています。
品川区にも暖房付のワンルームですが76歳のお年寄りがいます。
何百人となると大変でしょうけど、23区あるわけですから、そういう風に分担して
その区ごとの交渉をしていくことも大事ではないかと思います。
私もはじめてこのような会に出席しお話を伺いましたけれども
やはり市民の私たちが動かなくてはいけないなと思いました。

司会
津田さんのほうから何かありますか?

津田さん
すばらしいお話でした。
勇気ある行動で立派だと思います。
本当にどうもありがとうございます。
今のお話を聞いていて、区役所の福祉のところに行けば
女性のほうがそういう支援を得られるというのはあります。
品川にも港の先にそういう施設があるのですが
男性の場合は、行けばすぐに入れる状況ではありません。
とにかく申し込んで抽選に当たれば入れるというようになっていると思います。
あとは生活保護という形になるのですが、大体、今は65歳というところで線を引いています。
本来ですと65歳という年齢制限は法律上ないということですが
区役所等では線引きは65歳です。ですから3千円でアパートに入った人たちも
65歳以上だとほぼ無条件で生活保護がとれます。
ですから新宿でテントを張って寝ている人も
‘とにかく生活保護をとるまではここにいるのだ’というような感じです。
すごろくでたとえれば生活保護があがり、というような感じです。
生活保護は12~13万の額でお金が出ます。

女性
千葉県との境目に幕張がありますが、そこにはアパートが安く借りられる場所があります。
立ち退きか何かで家がなくなって、どこかに行かなくてはならない、それこそホームレスに
ならなくてはならないという人だっているわけです。そういう人は5万円以下のアパートを
東京と千葉の境目の幕張に借りてあげるわけです。
それから千葉市県営住宅というのが7千~8千戸あるのですが、それを何回も申し込みさせます。
そうしたら8回くらいで当たった人が一人、10回やっても当たらない人もいます。
そこは確か、夫婦で1万4千円で入居できたと思います。年金で暮らせるわけです。
引っ越しまで面倒をみて手伝ったことがあります。
ですから千葉県の県営はわりと入りやすいです。
でも石原都知事は、そういう人は自己責任という風にしているから、本当に市民を馬鹿にした
生き方しています。以前、五反田駅で足がこんなに腫れて、歩くのがやっとの人がいました。
でもこの人が若いときは日本のために働いたのだと思って
私がまだ暖かい靴下を履いていましたので、ホームレスの方に
「これを履いて温かいうどんを食べて帰りなさいね」と別れたことがあります。
私は最近、中央公園に行っていないのですが、今度行ってみようと思います。
そしてやはり解決する方法を探さなくてはいけないなと、今日参加して思いました。

司会
ありがとうございました。
粟谷さん、先ほどの生活保護について等何かありますか?

粟谷さん
僕は7年位前まで、リハビリ病院でケースワーカーをしていたことがあります。
そこの病院は脳卒中で倒れた患者さんが、リハビリと社会復帰をするために
入院されて来られます。特に、男性の人は40代50代の働き盛りの方たちです。
病気になる経緯は色々あります。たとえば過労で脳卒中になったり
あるいはアルコールが好きでなったりと様々です。
とにかく障害になってしまうといった場合、元の職場に復帰することは公務員以外
ほとんど無理という実態があります。
そうすると、サラリーマンの場合は年金を掛けていると、厚生年金であっても
国民年金であっても金額は違いますが、障害年金というのが出ます。
年金も何もない人が脳卒中になった場合、どうなるかというと
そうした時に、今言われた生活保護を受けるわけです。
ちょうど私がいた頃、バブルが崩壊して低迷期になっていた頃なので
生活保護の件数はバブルの頃よりは増えているのですが、すごい締め付けでした。
特に、生活保護を受けるといった場合に、‘会社が倒産した’とかいう形で
生活困窮に陥っても生活保護はなかなか受けられません。
でもその中でも障害という形で社会復帰が出来ないとなると福祉事務所のほうでは
ハードルが高いのですが、それでも病院のワーカーが仲介するのと
本人が行って手続きするのでは、そこに差が出ていました。
病院のワーカーが行くと簡単に受けられるというと語弊はありますが
当然、福祉事務所とワーカーと顔見知りというのはありますので、状況を説明すると
スムーズにいくのですが、そうでないとかなり大変だと思います。
福祉事務所で言われましたけれども、法律では年齢制限も何もありません。
その時点で、本当に生活困難に陥った場合に、社会保障の対象になると
憲法では定められていますが、実際の運用の時点では、昔で言う惰眠を
むさぼっているみたいに言われましたけれども、対象者が増えてくるのかもしれません。
すると変な言い方ですが、障害を持ったほうが回復しないので保護が受けやすいのです。
ところが健常者の場合は‘働く意思がないからだろう’とか‘仕事を探していないだろう’と
思われてしまいます。‘今、困っているのです’ということが抜けてしまって
‘そんなのは自分の責任で探してきなさい’と帰してしまいます。
実はその相談した時点で、申請受理はされていません。
本来は、相談に行った場合、そこで申請書を提出します。
申請書を提出すると、そこでたとえば資産調査等の審査をします。
ところが申請書を提出させないと、‘申請にきた’‘受理をした’ということには
ならないのです。
つまり‘こちらは断っていない、本人が申請しなかった’という風に行政側は逃げるような
言い方ができるので、法律上は問題にならないのです。
だから、‘自分の調査をしてほしい’ということで申請をすることが一番大事です。
申請をすると、該当するか非該当かを調査しなければなりません。
そして申請の却下理由ということで報告しなければなりません。
そこまでいかずに大体が門前払いというわけです。

司会
ありがとうございました。
それでは、どうあるべきかという視点からの話に移りたいと思います。
まず津田さんのほうから、今のこういう点は間違っていて
こうあるべきだというような、それは国の政策、あるいは東京都
あるいは国民ひとりひとりがなすべきこと等
ご意見、感想でも結構ですのでおっしゃってください。

津田さん
生活保護の実態みたいなものも僕はよく知らなかったので勉強になりました。
最後に、これからどうしていったら良いのかというところで、少しお話させていただくと
やっぱり東京都が進めている3千円でアパートに入れる政策
片方では韓国の教会が無制限に入ってきて、とにかく炊き出しを行い
どんどんと食べ物や新品の衣料を配るという状況です。
あとは日本の現在の支援団体が行う月1回や週1回の炊き出し
そういうような形しか今はないわけです。
僕は、ただ無制限にあげるというのは反対なので、ゴミ拾いをした人だけには
食事をあげるという活動をしてきたわけです。それが広まって今では仙台と大阪で
同じように行っています。
仙台では、その活動が市に認められ、今ではNPO法人化しました。
それから、就労させるために僕は今、新たに農業という方向に向かうことを
試験的に行っていますが、それが少しずつ軌道に乗ってきています。
僕が見ていて、東京都は東京都だけで、このホームレス問題を
解決しようとしているように思います。
東京都はとても住居費が高いです。ちょっとしたアパートで6~7万します。
その差額を出し続けていったら、予算がいくらあっても足りないのです。
それプラス、ある程度の年齢になったら生活保護を受けることになります。
今、本当に日本が豊かで予算がたくさんあるのなら話は別ですが
予算のないところから生活保護費だけが雪だるま式にどんどん増えている状況になります。
それこそ本当に破産です。
一方では田舎のほうに行けば、過疎高齢化が進んでいます。
僕は今、新潟県の佐渡島にいるのですが、僕が借りている家は、古い農家で土地が約500坪
大きな家と納屋・蔵がついて、そこの家賃が1万円です。
畑が半反分くらいありますから、充分に自給の野菜ができる環境です。
そういう場所は、田舎に行けば当たり前のようにあります。
どんどん高齢化していき、田舎では住めないと都市にいる息子夫婦のところへ住むようになり
田舎の家が空いていきます。ですから、もう少し広い視野で考えてほしいと思います。
たとえば東京都と新潟県との共同でホームレス対策を考えるというようなことです。
今、新宿のホームレスの人を見ていても、40代は少ないのですが
50代60代の人が大半なわけです。そのくらいの人が田舎のほうに行ったら
それこそ「青年部だ」なんて笑いながら、まだまだ仕事が充分できる状態です。
ですからもう少し田舎の人たちが、ホームレスということで
拒絶反応を示すということがないように、見方を変えてほしいと思います。
たとえば僕らが組織してきています、週3回朝6時半から8時までゴミ拾いをやっている人たちは
立派だと思います。僕はご飯だけしか出しませんが、それをずっと何年も続けているのです。
ですから、そういう気持ちの人たちをたとえば就農させていけるような
道筋ができないものかと思います。 今、日本は自給率が4割を切っています。
佐渡で見ていても、米作りの主役といったら、大体50代.60歳代の人です。
その人たちが今、頑張っていますが、その息子さんが米作りをしているのかというとしていません。
今、60. 70歳の人が、これから10年できるかと言ったらまず無理だと思います。
ですから、日本の農業というのは、あと10年経ったら、米が余っている状態ではなく
確実に足らなくなります。
そういうことをもう少し真剣に考えて、食糧問題、田舎の過疎高齢化の問題
日本の都市部のホームレス化等を組み合わせて考えていくべきだと思います。
それこそ、僕たちのようなボランティア団体がそういう形の枠組みを作り
そこに少しなりの助成金でもいただけたら僕たちはもっと活動できます。
先ほどおっしゃっていましたが、アメリカの8千億円なのか何兆円なのか分かりませんが
そんな予算のほんの100分の1でもホームレス予算にいただけたら
僕はホームレス問題を解決するのは簡単だと思います。
ホームレスといっても100人いれば100のホームレスがあると思っていただきたいと思います。
汚いホームレスもいれば、本当に新宿をきれいにしようという意欲に燃えて
いつでも仕事があれば対応できるレベルのホームレスもいます。
まず、そういう意識レベルの高いホームレスの人たちから何か変えていければと思います。
今は無料でもらっているだけの人たちも‘頑張ればそういう道があるのだ’と思える
一筋の道筋を付けていかなければ、何も見えてこないのです。
ですから僕が今やろうとしているのは、とにかく家一軒でも確保して
そこで4.5人で共同生活しながら、米作りと自給自足の生活をしていくことです。
そういうことをしたいと言っている人たちもいるので、僕がひとつモデルケースみたいなものを
作ることが、今、やらなくてはいけないことだと思っています。
でもホームレスというと変に見られますから
まず今年1年間は、僕が三反分田んぼを借りたので、米作りから入っていき
もう少し佐渡の状況を見ていきたいと思います。
そして来年からは、ちょっとした田んぼ仕事、援農といった形でもいいので
新宿のホームレスを連れて行き、その辺からはじめたいと考えています。
ホームレスの人を突然、田舎へ入れて、「自立しなさい」と言うのは無理だと思います。
田舎には田舎のペースがありますから、じっくりと佐渡市とも連携を持ちながら
現在は試行錯誤を重ねている状況です。

司会
この鳴沢村やる気農園というホームページがありますが…

津田さん
それは去年までの活動です。
最初は富士山の麓で行おうかと思い、僕は2年間そこにいました。
でも、新しく農家として、そこで自立していくというのには
非常に難しい状況ではないかということが分かりました。
やっぱり米作りというところがひとつのキーポイントなのです。

司会
こういう農業をやりながら、一緒にいろんなことをチャレンジしていこうと
そこまでのやる気を津田さんは思っているのかもしれませんが
その方々がその気になるのかというのが大きなネックではないかと
思うのですがどうでしょうか?

津田さん
ですから、そこのところが、難しいチャレンジです。
やっぱり、ただのボランティア形式で彼らに何の収入も生み出さなければ
ついてこないですけれども、最低限ある程度の形の保障を考えれば彼らも結構やります。
以前、‘農業で自立’ということに賛同してくれた栃木県のハーブを栽培している
農家がありました。
そこで「最低賃金だけれども、住むところを用意するから何人か寄越してください」と
言われ、募ったところ5人ぐらい手をあげました。
その後、そこに入りまして、その中の二人が今でも働いています。
ですから、まったくやらないというわけでもないですし
それなりのきちんとした報酬もあれば、彼らもできるのです。
ホームレスは、そういう田舎出身者も多いので、やりたいという人もいます。
その辺は全部が全部ではないですし、少しずつだったら希望者もいるのではないかな
という感じがします。

司会
広井さん、突然ですが、岡山の自然に恵まれたところで生活しておられる立場から
今日の話題についてどういった評価でも結構ですからお願いします。

広井さん
憎まれ口もたたきますが、津田さんの意見としてホームレスの方々の活動というもの
すばらしいと思います。それから、やっぱり内戦しているところに行って
子供たちとかそういう人たちに接したということもすばらしいと思います。
だけども、戦後は昭和31年頃だったと思います。
上野あたりの公園には、戦争から帰ってきた人たちが住むところがなくて
いっぱいにあふれた時代がありました。
ところが今のホームレスの人たちは、社会に溶け込んでいけない人たちも
たくさんいるのかもしれません。
でも、生活保護を受けるまでの我慢だとか、そういう話を聞いていると
甘えがすごく多いのではないかと思います。
それから、借金で困っている等、事情は人それぞれでしょうが
その中において恵んであげるとかそういうやり方に、僕は賛成しません。
ですが、どこかの地方へ行って、畑を作って耕してということは
それはそれとしてひとつの意味があると思います。

司会
宮崎県の延岡で数学の先生をしてらして、視覚障害で解雇されて裁判で戦っている
窪田さん、ご意見、ご感想をよろしいですか?

窪田さん
実は私は小野さんにアマホロさんのことをお聞きし、3日位に電話しまして
ホームレスの話をされるということで、非常に興味深く思ってここに来ました。
しかし、申し訳ございません。うっすらうっすらとしてしまいました。
今朝3時に起き、4時にご飯食べまして、あとから皆さんの質疑応答のところで
目がパチッと開きまして聞いておりました。
私も話をすると長くなりますが、実は私の田舎でも
ホームレスの方が3人やってこられました。驚いたことにその中の一人に
知り合いの方の弟さんが含まれていらっしゃいました。
それはどうしたことなのかと、びっくりしました。
あと二人の方から聞いたのですが、絶対、他の人に話したらだめよと
釘を刺されているものですから、話してしまいました。
ホームレスの方は減るどころか、増える一方ではないかなと
3人の方を見ていて思いました。
一人の方はものすごく有名で日本でも偉い方の息子さんで
その方も上り詰めた方ですが、何を思ったかホームレスになられていました。
もう一人の女性の方は身分を明かしますと、看護師さんです。
婦長にまでなられた方です。
でも職場も社会も捨ててホームレスになりました。
私が聞いたわけではないですが、理由を聞きますと、
「病院のやり方や先生のやり方が本当にやるせない」ということで捨てたらしいです。
ところがホームレスでもその3人は恵まれています。
一人の方は、夜、ギターを抱えて‘流し’をやっています。
看護師の方は今、健康ランドにおります。
荷物はコインロッカーに入れて、綺麗にして介護をしています。
寝るところは駐輪場です。
私は興味本意的な目で、3人のホームレスの方を見ましたが
津田さんのお話を聞いて、やっぱり深刻な問題だなと思いました。
これからもっと増えていくのではないかと思います。
私にはたった一人のアメリカ人の知り合いがいます。
色々話をしますと、先ほど宗教的な背景があるのではないかという
お話がありましたが、私は、ないだろうと思います。
国民性ではないでしょうか。
私の隣には修道院があります。昭和50.60年頃、修道院の方が台湾に行きました。
財布からお金がすべり落ちたんですね。
するとそれをめがけて台湾の子供が寄ってきたのですが
それを見て、修道院の方は「見て、日本の経済力ってすごいわよ」と言ったといいます。
片や、イタリアの修道院に行きますと考え方が違います。ある女子生徒が妊娠しました。
そしてここからが信じられない話なのですが、「二人は愛し合っているのですか?」と
他人に聞くのです。
そんなことを聞かれて、私たちは簡単には答えられません。
ところがイタリア人は簡単に聞き、「愛し合っているのだからいいのではないか」と言うのです。
そこからどうなったか分かりませんが、国民性の違いというか
人間性を大事にするのだと感じました。
では、‘どうしてひどい殺し合いをするのだ’という疑問もありますが。
先ほど、私は空港から点字ブロックを辿ってきました。
すると点字ブロックの柱に、杖が引っ掛かりました。
点字ブロックを発明したのは、日本人なのですが、点字ブロックは
バリアフリーなのだという考え方があります。
でもアメリカ人はそうではありません。
何故かというと、‘不自由な方がいたら私たちが手を貸すので
点字ブロックなんかいりません’という考え方なのです。
ですから、国民性の違いなのかなと思いながら、ホームレスの話と
バリアフリーの話を絡ませながらお話しました。
津田さんは本当に大変な仕事をなさっているなと思いながら、聞いておりました。

司会
補足しましと、窪田さんは解雇された高等学校の数学の先生なのですが
シスターといいますか修道院の理事長が、視力が落ちたことで解雇したため
裁判を起こしました。
地元の新聞やNHKでも取り上げられました。

司会
もう一人、宮城県の佐藤さんどうですか?
佐藤さんも社会福祉協議会というところに勤めていて解雇され
今、裁判の真っ最中です。
ホームレスの問題も合わせて、それから田舎ということも含めて
今の津田さんのお話についてでもいいですし、違うお話でも結構です。
感想やご意見をお願いいします。

佐藤さん
宮城県でも郡部ではそんな話は聞きませんが、仙台という政令指定都市があります。
そこに行きますとホームレスを見かけます。そして、それを支援している団体もあります。
私の娘が、たまたま‘千葉県で活動しているインディーズグループの雑誌を
ホームレスの方たちが売っている’という情報を知り、学校帰りに
わざわざ白石から仙台まで1時間かけて、そのホームレスの方を探しに
行ったことがありました。
1度目で会えず2回目でやっと会えて買ってきました。
その人たちは、1部売って何十円という手数料をもらって
1日に何十冊というノルマをこなしたら、自分のねぐらのようなところに帰って
生活しているということでした。
仙台市も外観を重視していまして、屋台というものが消えてきました。
昔、私が学生で未成年の頃だったですが、専門学校が終わりみんなで解散していた頃は
屋台もありました。
そういうところにホームレスの人が集まってきて、懇親会みたいなものをやっていました。
今はどういった社会の風潮なのか分かりません。
都市整備に関するものにかこつけて、そういったものを排除するという
言い方は適切かどうか分かりませが、自立させようという考え方ではなくて
ひとつの箱に押し込んで、汚いものには蓋をして隠してしまおうというように感じます。
我が家もそうですが、お客様が来たときだけ荒れたものを納戸に押し込んで
綺麗にしている状態です。
同じように、都市部が大きくなればなるほど、そういったものが
私の見えない目でも見えてくるように思います。
そうすると窪田さんがお話していた通り、文化の違いかは分かりませんが
毎日が師走みたいな感じで生活の時計が回っているような気がします。
白杖をついて歩いていると、声を掛けてくれる方と
突き飛ばされて、罵声を浴びせられたこともあります。
清水先生がおっしゃったと通り、私も市の最前線で働いていました。
そして役場管轄でした。
御用納めは、昔は、だるまストーブでスルメをたくさん焼いて
お酒を飲んでその日は終わりでした。
御用始めもそのように午前10時くらいで終わり
28日と新年4日は何もしないで終わりました。
ところが今現在は、その時間が‘馬鹿にならない’ということで
朝から晩まで働くのが当然で、心にゆとりのない世の中になってしまいました。
それを私から言わせてもらえれば、現場を見ない官僚の方が
机の上や会議室の中で検討しあって、財務省のご機嫌伺いのような法律をつくって
公平な負担でなく、大金持ちでも一定のお金を支払えば使える制度
片や障害年金しかもらえなくて、それさえ所得に換算してあなたからもとります。
となんだか矛盾しています。
どこでどう日本が変わるかは私たちが声に出して、監視していかなければならない。
障害者に関しても、ホームレスに関しても、どうやって自立に向けた支援をするか
自立支援法が制定されても、自立をさせるための方策だとはとても思えません。
ホームレスに関する対策も缶詰にいれて蓋をするというような感じの国の考えしか
私にはとらえられなくて、NPOの組織や地域団体が炊だしとかをやって
地道な活動こそが芽を出していくのではないか、と思います。
ホームレスの方もそういったものに反発して入らないと言う人がいることも
聞いていますので、人を動かすのは人の気持ちだとおもっています。
情のない法律で全部縛ろうとしても人のきもちまでは変えられないと
思っていますから、心の入った法整備が急がれると思います。
これは清水弁護士にもお願いします。
でも、本当は法律がなくても障害者も普通に暮らせるようになればと思います。
障害者に優しい社会は健常者にもやさしい社会で住みやすいはずだと思います。
その点は法律家や国会議員にお任せして、私たちは市民レベルでできることをやる
そういった活動をしたいと思います。

司会
他に発言されていない方、いらっしゃいますか?
よろしいですか。

女性
池袋のホームレスの方とかかわっています。
最近公園の人たちと関わっていますが、今日は区役所の人が来ると言う日は
2,3時間かけてきれいに片づけたりしています。
ルールを守らない人がいるので区役所から色眼鏡で見られるそうです。
強制排除になることが新宿であるようですが、そのことをおしえてください。

津田さん
私も行政から直接聞いたわけではありませんが
今年いっぱいではないか、という話が出ています。
ですから、池袋の方もそう言う風にテントなりを作っている人に
3000円でアパートに入りなさいということで
たぶん声がかかっているはずだと思います。
とにかくそういう形で入らないといえば今までは黙認でしたが
いよいよ今年辺りはそろそろ強制的な施策にでるのではないか
ということで話しています。
ですから、それがどういう形になるか、僕らが言って聞いても答えて
くれないと思いますが、これは全く個人の意見ですが、公園とかで生活しているのは
僕は反対なので、ああいうところにいて、いくら綺麗にしていると言っても
それを見過ごしている社会はやはりおかしいなと思います。
ですから、これは難しい問題だと思いますが。施設を作っていれるとかは。
少なくとも段ボールで寝ている姿をただ臭いものに蓋をする形になるのは
好ましいことではないですが、そういうところで寝るということはそろそろ
強制的に排除するということですが、それは何とかすべきだとおもいますね。

司会
ご自分でホームレスの支援をしている方で発言のある方いらっしゃいますか。
よろしいですか。では石橋さん。

石橋さん
いろいろお話を伺っていて自分が思ったのは、ホームレスの人たちのやる気
何をやったらいいのか、というあたりを見つめていく必要があるのではないか
と思います。
農業をするとかは非常に貴重だと思います。
ホームレスの人たちの思いを大切にしながら進めていくことが大事だと思います。
交流するなかで、意識をむけていくことが大切だと思います。
人の持っているいるエネルギーの中で解決策が出来ると思います。
防戦一本ではよくないのかなと思います。
意識を拡げ、共有することが大切だと思います。

司会
最後に津田さんの方から、世界各地を見てきて
日本人、おきざりのままのこころ、ということで
日本人に欠けているものはなんでしょうか。

津田さん
日本には駆け込み寺というものがかつてあった。
困ったときはお寺に行って、お寺がシェルターの役割を果たしていた。
駆け込み寺という言葉があるように、万相談所の役割を果たす場だったようです。
実態はよくわかりませんが。
ですから、もう少しホームレスのおじさんたちと話していて思うのは
或る程度彼らの話を聞く人も必要だし、アメリカなどのシェルターで感じたことは
カウンセラーと言う人がいるわけです。
シェルター内に。何かあれば、カウンセラーがいるので、紙に名前を書くと
その順番で話を聞いてくれるわけです。
どうしてこのシェルターに行き着いたかという話を聞いてくれるわけです。
ですから、そういうようなホームレスに対するカウンセラー
区役所にも福祉課はあるが、それはほとんど役目をはたしていないようなので
その辺でみんなお金が無くなってしまうのはあり得ない、というのは
そうそうないと思います。
杉並区でホームレスに関する授業を受け持っているのですが
その授業で中学生達にお金がなくなったらどうする?という質問をすると
友達や誰かにお金を借りる、と言うのですが、お金も借りられない状況になることが
なかなか理解できないようです。
ですから、本当に誰も助けてくれなくなる状況を、みなさんが考えて見たらどうか
と思います。
今は収入がありますが、蓄えも全部無くなってしまったときのことを
ふと立ち止まって考えてみたらどうかと思います。
そうしたらホームレスの人たちの気持ちも少しはわかってもらえるかなと思います。
ホームレスが甘えていると言う意見を聞きます。
必ずこういう会合があると、そう言う人が必ずいます。
ですからそれは重々承知しています。甘えているんじゃないかと。
勿論甘えている人も居ますが、たとえ甘えていたとしても、路上で寝ていたり
公園で寝ているという状況を続けいるというのは、ただの甘えだけで
出来ることではありません。
ですから、甘えているから、放っておけ、という石原都知事のようになれるか
と言ったらなれるわけではないし、何か日本人はもう少し優しい国民でないかと
思っていますから、その辺の日本独自の、ただシェルターをつくればよい
という問題ではないと思います。
ですから、日本独自の、そう言う人がみあたらなくなる社会をつくっていく
優しさをもって欲しいと思います。
それが、おきざりのままのこころ、が何なのかよく分からないのですが
今のこの状況は冷たすぎるのではないかと思います。
何とか、これで何かがはじまるわけではないと思いますが
ホームレスの方がいたら、どうしたらよいかと先ほども聞かれましたが
いきなり何かをもっていってあげるなど出来るわけではないとおもいますので
この人が幸せになりますように、と願っていただけるだけでいいと思います。
甘えているかもしれないけど、このおじさん幸せにね。
と一瞬もつだけでも何かエネルギーが沸いてくると思いますし
どうしたらいい、ということがひらめくかも知れません。
ぼくは又佐渡に帰って田んぼの草取りもあります。
無農薬でやっているので、大変です。
新宿から何人かの人が佐渡に草取りに来るといっているので
また道がつくれればと思っています。

司会
津田さんがおっしゃっていたように、公園で、路上での生活を
好んでやっているわけではないので、どういう方法で解決していけるか
考えていければと思います。
どうもありがとうございました。