タイ研修旅行報告 アジア・太平洋地域のセルフ・ヘルプ運動から学ぶNPO法人障害児・者人権ネットワーク

NPO法人障害児・者人権ネットワーク理事長 粟谷 弘海

 自己紹介させていただきます。
私は障害当事者で、1歳のころから障害をもっています。
障害名は脳性小児麻痺です。歩行障害等々があって車いす生活です。
色んなところで仕事はさせてもらったのですが
一番最初の仕事は身体障害者の授産施設の重度の障害者のチーフです。
そこでは特に上肢・下肢にハンディキャップがありまして
通常の生産をする、物を組み立てるとかに向かない障害のある人たちを
何とか仕事に結びつける課題を探すということで、今はパソコンですが
当時は電動タイプライターを使って仕事をして、印刷等する事によって
仕事を受注するという仕事を15年位やりました。

その後は先ほどちょっと言いましたが、病院に移りましたが病院のソーシャルワーカーをやりました。
今現在は福祉の専門学校の教員をやっております。
今担当しているのは地域福祉論とか、社会福祉援助技術論、いわゆる福祉の専門職ということになりますが、学生に講義をしています。

今回、タイのバンコクでアジア太平洋地域の障害者の現状を報告してもらおうということで、タイトルは「セルフヘルプ運動から学ぶ」ということで、バンコクに3月25日から27日の期間で研究会がありました。
僕は3日間通しはいけなくて、最終日の2日間参加することができました。

この会議の主催はスポンサーはアメリカのスポンサー名は忘れましたが5年間で1000万円位の助成金を出し、アジアに人権を普及する目的ならばということで助成金を出してもらって行ったLADD(ラッド)リーガルアドボカシーですが、それが通常は日本で行うのですが日本への渡航費が高くて来れないということと、遠いので、アジアの中間点のタイで開催しました。集まったのはすべて当事者で、支援者は一部です。

発表者はすべて当事者で9カ国、バングラディッシュ、カンボジア、マレーシア、ネパール、ニュージーランド、米国、日本、韓国、タイ、です。障害者の参加メンバーは46名です。
それに付随してボランティア、支援者がつきますので、100名以上の会場です。
そこで行いました。

話の中身に入る前に、僕はアジア、日本もですけど、タイに行くのは初めてでした。
暑いだろうなとは思っていました。私は暑がりなので、暑いところは苦手だなと思っていました。
大事な会議なので行くことに決めたのですが、費用は全部自己負担です。
助成金は個々の渡航費には使えません。経済的に大変な人には補助をするよう手当はされました。
日本人は全て自費でした。僕は25日、会議が始まる日に仕事を終えて成田に行きました。
バンコクに着いたのが現地の時間で11時だったんですね。
時差があったので日本時間では夜中の1時です。
向こうに行く前に、事前情報として、タイは治安が悪いから荷物やカメラはすぐに盗まれますよと聞いていたので最初はDVDカメラを買ったのですが、持っていきませんでした。
日本人は常に狙われる、健常者も障害者も関係ない。
タクシーもぼられますよ、と聞いて現地につきました。
34℃くらいあり、暑い、非常に暑かったですね。
空港に迎えに来てくれる人がいるはずだったのですがどういう人が来てくれるのか一切聞いていなかったのでその口約束を信じて行きました。
日本人が迎えに来てくれました。3ヵ月前からタイに住んでいる日本人でした。
タクシーで空港からホテルに行くことになりました。
タイのタクシーに乗るなら、メーター附きか、運賃を契約して乗らないと大変だと聞いていました。
迎えの女性がタクシーでいきましょう、タイはバリアーだらけだからと言うのですが、リムジンバスで行くことにしました。

日本人だから、タイの身障者割引は使えないんだろうなと思っていましたがチケット売り場の人に聞いてくれました。と、割引になるので、手帳も見せる必要はない。
向こうの人は見た目で判断するから大丈夫とのことでした。
介助者も半額になるので、迎えに来てくれた人も半額になりました。
バスが来るまでに40分くらいありました。確かに凄いバスでした。
成田で想像していたリムジンバスではなかったです。
クーラーは効いていました。日本の都内だとノンステップバス、福祉車輌のバスだとリフトがついているのですが、向こうはそんなことはなくて、入口はとっても高い。
僕は70キロあるのですが、彼女しかいなくて、どうしてバスに乗ろうかとその女性は考えているようでした。「タクシーでいきますか?」「バスで行きましょう」ということで、バスに乗ることにしたのですがバスの中からバーっと人が降りてきて、僕を抱えて乗せてくれたので、何の心配もいりません。
ですから日本の女性が心配していたことは全くなくなったのですがそういうことで、夜中にホテルに向かうのですが、タイは全く知らないので感覚だけなのですが、バスから見るタイは、非常に躍動的というか働いている人もいるので、街が生きていると言うか、働いているので、動いているんですね。
驚いたのは兎に角ベンツから三輪車まで、道路も結構狭い中わーっと走っている。
驚いたのはその中に象さんも歩いているんですね。
たまたまいたのかもしれませんが、私が見たときはいたんですね。
確かにタイなので象がいても不思議じゃないと思いましたが、まさか本当に見るとは驚きでした。
露天商も沢山でていて、現地時間でも夜中の時間だったのですが、夜中でこんなに活気があることに驚きました。
日本の街は新宿の歌舞伎町や池袋などを除いたら、閑散としていますよね。
向こうはどこに行っても人だらけだということに驚いたのがまず一つです。

そう言う中で会議が終わって日本に帰ってきたのですが、成田に5時頃着きました。
リムジンバスで新宿まで戻って、私は神奈川なので、小田急線に新宿で乗り換えます。
新宿での急行便の最終便が10時36分位です。人はそれほど多くないのですが座席にはみな坐っていました。立っている人も結構いました。
その時僕は一人で帰ってくるわけです。駅の改札から入ると電車の入口は開いていますがただ電車の乗り口には段差があるのと、5㎝くらい溝があります。
前輪がその中にはいってしまうと動きがとれなくなってしまいます。
兎に角みんな無関心なんですね。その時間には駅員もあまりいないので
おどうしようかなと思っていたのですが、電車の中で学生風、男女のカップルがおしゃべりしているのですが、僕の存在は全く目に入らないんですね。
関係ない、と言う感じです。タイとは180度違います。

これは差別とは違うのかも知れませんが、乗るなら勝手に乗ったら、私たちは手伝わないからと言う雰囲気なんですね。だから絶対僕に視線を合わせないですよね。
新宿ですよ、今の日本ですよ。ここのギャップというものを感じました。

確かにタイはバリアだらけです。障害者なんで一人ではバスにも絶対乗れないですよ。
でも、その時、見つけたら誰かが声をかけてくるし、そう言う意味での安心感はありました。
バリアフリーは東京の方が断然進んでいますが、私たちは貴方の邪魔はしませんわ。だけど手伝いもしませんという感じを非常に受けました。

会議の内容なんですが、各国の障害者の状況を今からお話しますが、最後に宣言文を出すんですよ。
僕は英語は全然わかりませんから、ラーメンの麺状態ですよ。
それは3頁にまたがって3日間の宣言を9カ国の代表がとりまとめて宣言文にその場で作ってしまうんです。凄いですね。
ところが、それぞれ国によって事情が違うからクレームをつけるんですよ。
これはだめとか、これはいいとか。
でも宣言文をつくらないとこの会議が成功したことにならないんですよ。
いわゆる物別れで終わったことになります。ですから接点を探します。
それでも流れがかわって来て、タイも日本と同じで、法律はすべて保護法であって権利法ではないわけです。それを主として法制定がされてきたわけです。
雇用に関して言えば、日本と同じように義務づけはあるけれど、全くチェック機能が働いていないので実態としては障害者の雇用は進んでいません。
事業所は200名に対して1人の障害者を雇用しなければならないという法律らしいです。
これをまとめる余裕はないので割愛します。
ここにそのときの宣言文があります。
英文ですが、興味のある方はお見せできますので、お伝えください。

清水
ありがとうございました。
本日集まっていただいた方は、何か発信したいと思っている方ばかりだと思います。
本当は今の日本はこれで5年連続で空前の利益をあげています。
そう言う状況の中で明るい顔をした日本人はほとんどいないという変な状況です。
やはり私たちが元気を出して声を変えていかなければならないと思います。
本日の津田さんのお話、粟谷さんのお話をそれぞれ踏まえながら
これからどうかえていかなければならないのか、社会にどのように発信しなければならないのか
を親睦会でさらに話し合って深められればと思います。
ですからお時間のある方は是非、ご参加ください。
本日はありがとうございました。