会報95号(2021.4.30)

人権ネットワーク活動記録

2020年
 10月30日   東京都への報告完了
 10月30日   会報発行
 11月13日   月例会
 11月28日   欠格条項をなくす会要請アピール賛同
 12月13日   有志8名によるクリスマス会
 
2021年
4月9日    月例会
4月30日    会報発行
 
☆☆5月14日(金)午後6時~ 月例会を開催します。
場所は中央通り法律事務所 
緊急事態宣言が延長された場合には中止します。
今年も総会は書面で資料をお送りし、ご意見・異議をお寄せいただく形にします。5月末に発送予定です。総会資料が届きましたらご意見をお聞かせください。
いろいろな情報をお寄せください。
たくさんの方に原稿依頼いたします。ご協力お願いいたします。

ごあいさつ

新型コロナウィルスの感染が拡大するなか、今年も新しい年を迎えました。
昨年はコロナの影響で、会活動を縮小せざるを得ませんでした。総会、講演会、暑気払い、クリスマス会等、月例会以外はできず、会員のみなさま全員が自粛モードでした。自粛生活のなか、「静かな年末、静かな年始のスタート」となりました。そして今も自粛生活を継続中で、コロナの終息の目処は立っていません。

そんな中、政府は昨年、東京五輪・パラリンピックを控え、民間の企業や店舗に対し、障害者の社会生活上のバリア(障壁)を負担がおもすぎない範囲で取り除く「合理的配慮」の提供を義務付けるため、障害者差別解消法の改正方針を固めたようで、今年の通常国会に同法改正案を提出する方向で調整しています。
障害のある人もない人も互いに認め合いながら、ともに生きる「共生社会」の実現を目指す狙いのようです。
障害者差別解消法は、障害者の差別禁止と社会参加を目指し、国連が2006年に採決した「障害者権利条約」の推進に向けた国内法整備の一環として2013年に成立し、2016年に施行された。同条約では、合理的配慮を提供しないことは「差別」にあたるとしており、日本は世界に遅れ、2014年に条約を批准した。障害者差別解消法は、國や自治体、民間事業者に対し、障害を理由とした差別を禁じている。

さらに、合理的配慮の提供を国や自治体には義務化しているが、民間事業者については自主的な取り組みを求める努力義務にとどまっていた。今回の法改正で、これを見直し、民間事業者にも義務化して、公的機関と足並みを揃える。

しかし、合理的配慮の提供が義務化されても、違反事業者に対する罰則規定は設けられていない。
唯一、改善が見込めない場合は、国が助言、指導、勧告を行うことができるとなっている。
内閣府が2017年に実施した世論調査によると、障害者差別解消法を「知っている」との回答は21.9%で、「知らない」との回答は77.2%にのぼった。
施行から4年が過ぎても、この法律の存在さえ知らない人が多く、理念は社会に浸透しているとは到底言えない。

オリンピック、パラリンピックの年でもあり、障がい者に対する差別のみならず、ジェンダー、人種などあらゆる差別について考える年になることを切に望む。

今年もすでに4月になり、年の4分の1が過ぎますが、小さな力でも、できることに地道に取り組んでいきましょう。

三戸学さんからのメッセージと新聞記事

3月9日に,朝日新聞秋田版に掲載になった記事を送ります。
忙しいとは思いますが,ご一読してください。
朝日新聞デジタルでも記事が配信されています。

https://www.asahi.com/articles/ASP3B32CNP32ULUC03P.html

この3月に,障害者雇用率が0.1%あがりました。
雇用の質を高めるため,当事者として言い続けていこうと思います。
3月16日,参議院文教科学委員会で,インクルーシブ教育,障害のある教師に興味をもつ船後靖彦参議院議員は,個人名,県名は出しませんでしたが,障害のある教師に採用されて20年間,学級担任を経験していないことについて,萩生田文部科学大臣,文科省の官僚に質問しました。

「一般論として,20年選手の先生が担任になれないことは,ちょっと残念なこと」
「インクルーシブ教育を考えるうえで各学校に障害のある先生が一人はいた方がいい」
「中学生に日ごろから避難経路を指導しておくと,自主的に避難できる。サポート教員を配置すれば解消できる」

萩生田大臣は答弁をしました。
文部官僚も,どうやったら担任ができるのか,その方法を述べています。

「一般論としての回答ですが、「学校における担任を含めた校務分掌は、校長の権限と責任においてなされるものだが、一般論として、合理的配慮の検討をすることなく、障害のみを理由として、障害者でない者と不当な差別的取り扱いをすることはあってはならないと考えております。」
「一般論として受け取らせていただいて対応を考えたい」

4月に入り,新年度が始まりました。
今回も,学級担任をもつことができませんでした。
依然として,学級担任の壁は厚いです。

コロナ禍

今年も、あと残すところ1ヶ月を切り、あっという間の一年が過ぎ去ろうとしています。
今年はコロナに始まり、コロナに終わる・・・といったところでしょうか。

私には、80歳台前半の母がおりまして、そんなコロナ禍での私と母の日常会話の一コマを紹介します。

母「昨日は、○○○人感染者が出たんだって・・・」
私「それ感染者じゃないよ、PCR検査陽性者。PCR検査陽性者イコール感染者じゃないって、某有名大学の○○教授がインターネット番組で言ってるよ。」
私「PCR検査陽性でも咳・鼻水などの症状が無い人は他人にコロナを感染させないんだって」
母「死者は○○人だったって・・・」
私「少ないねぇ。日本には1億2千万人いるんだよ。それも世界一の老人大国。風が吹いただけであっちの世界へ逝っちゃう人が沢山いるんだよ。」
母「・・・」(同調しない娘に不満そう・・・)
母「別に80まで生きたからいつ死んでもいいんだけど、コロナになったらデイサービスに迷惑かけるし、お葬式だって普通に出来ないみたいだし・・・」
私「・・・」(またワイドショー見たな・・・)
私「またワイドショー見たでしょ。」
母「いいじゃない」(なにげに不満げ・・・)
私「ワイドショー見てもいいけど、マジで受け取ってはダメ!」
私「ワイドショーはね、年寄りに“ほらコロナはこんなにこわいんだぞー”って煽って視聴率稼いでるんだよ。死者だって日本はイタリア・アメリカの何十分の一。コロナで死ぬ人よりコロナ不況で自殺する人のほうが多いんだよ。」
母「・・・」(コロナ恐~いと一緒になって怖がらない娘に不満そう・・・)
私「それにね、PCR検査は意味ないんだって。特に○○性は制度がかなり低く信憑性に欠けるんだって。日本はPCR検査が足りないって一部の人が騒いでいるけど、何でだと思う?PCR検査が増加すれば儲かる企業があるということなんだって。」
母「あなたは若いから怖くないかもしれないけど、私みたいな年寄りは怖いわよ。」
私「・・・」(さっきたしかもう沢山生きたからいつ死んでもいいって言ってなかったけ・・・ 私も若くないけどね)

インターネットの情報をその都度伝えているのですが、その時は納得しているように見えても、双六の様にまた振り出しに戻ってしまう母・・・この様な会話を幾度となく繰り返している此の頃ですが、持病をお持ちの方は普通の風邪でも肺炎になってしまうこともあるそうなので、注意するに越したことはないと思います。でも、過ぎたるは及ばざるが如し・・・
皆様はどうお過ごしでしょうか。

(お詫び)
 松澤さんからは年内に原稿をいただいていたのに、私の怠慢で、年越し、それももう4月、申し訳ありませんでした。
(事務局 小野)

【自転車の親子と虎屋】

昔のこと、たったの一度きり言葉を交わした男性がいました。国語教師を退職したばかり、と。そのとき、照れくさそうにして、堅い用紙を半折りしたような紙片を差し出したのです。
「ここに私の文があります。よろしければお読みください」
やや前頭部が広く、力のある明瞭な口調でしたし、生徒にも慕われておられたような柔和な笑顔でした。 印刷物は見開きの二つ折りだったかなあ?これは虎屋の定期刊行物(季刊と思われます)でした。 内容は幼少の頃、お父さんのこぐ自転車の荷台に乗せられて、和菓子店:虎屋(現:虎彦)のある街へ行ったという思い出話が綴られていました。従来、虎屋の店舗名でしたが、商標権をもつ東京「とらや」から指摘があったとかで、近年になって虎彦と改称したといわれています。とらやの創業は室町時代といわれていますが、虎彦は戦後であります。それでも地元では一番大きな和菓子店です。

となると、自転車を漕ぐお父さんは明治生まれ。少年は戦前か戦中の生まれだったのでしょう。昔の自転車は無骨だったけど、家庭用もあったし、女性用も商売用の大きい自転車もありました。でも、あの自転車の親子は虎屋(虎彦)へ向かっていたのかなあ、それとも虎屋からの帰り? 今となっては確認する術はありません。 
只今、私は井上陽水の少年時代の曲が流れている中を親子の自転車が走っている姿を思い浮かべています。そして、この後ろの荷台の少年がのちに国語教師になった…。

初対面から日を置かずして訃報が入りました。机に座して、書き物をしていた姿で息を引き取られた…のお話がありました。古武士然と、いかにも文学を愛した先生…と勝手に想像していましたら、お孫さんらしき小学校高学年の女児(わからないけど、現在 30歳はこえているでしょうねえ)が「おじいちゃん じっかり勉強して…」おじいちゃんのような先生になるからね、と言ったように思うし、いや あれはなんと続けたかなあ、と当時を振り返っています。

気づけば、私の身辺も明治、大正、昭和、平成、令和…と時代はめざましく移ろっていたのであります。

【こちら、雨になりそうです。】

さて、朝日新聞におもしろい記事がありました。
その前に、横書きの公文書を読んでいて違和感を味わっていたことはありませんか。
具体的には、句読点の扱い方です。句点は「。」のことで読点は「、」です。
この読点を「,」とせよ、と指導を受けてきました。

「さて,本日の天気は雨との予報です。…」

問題になっているのは、上述の「,」です。「、」のはずが「,」にせよ、との指導が長い間、文部省によって指導されてきました。どうやら、来年あたり、「、」とするよう指導がなされる気配です。

以下は朝日新聞記事の引用です。
「 国の省庁などがつくる横書きの公用文について、読点に「,」(コンマ)を使うルールを約70年ぶりに改め、「、」(テン)とする――。文化審議会国語分科会が、そんな提案を打ち出した。1952年にできた「公用文作成の要領」の見直しを議論しており、今年度末までに報告書をまとめる予定で、文化庁は政府内で周知したい考えだ。議論を受け、学校教科書の表記も変わるかもしれない。」

【コロナについての話題一つ。】

感染者集団が田舎でも発生するようになりました。警戒心も緩みがちであります。
一方ではピリピリしているところもあります。
ここ市内に、県内では唯一の離島があります。小学校も中学校もあるほどですので、離島にしては人口の多い島でもあります。
ここは漁業が主産業で、当然のことながら海によって閉ざされた地区です。この島に成人式を地元で迎えたいとの思いで帰省した娘さんがいました。島の玄関となる港は大きいといえど、一ヶ所だけです。娘さんの姿に気づいた地元民に恐怖心と警戒心が一気に駆け抜けたらしい。
そして、戸外に出た母親に罵声が浴びせられたのだそうな。

「あんたんとこの娘っこ、東京から帰ってきたんじゃろ! なんで島に入れた? 家から一歩も出すんじゃねえぞ!コロナを持ち込んだらどうするんだ! はよ 島から出て
行ってくれ」

これと同じような光景が街から遠く離れた田舎で見られているのだそうな。

さて、成人式ですが、市の広報によると中止となりました。当然、密の回避です。
だけど、市内の若者達は気のあった仲間同士で、ミニ成人式を実行するんだと気炎を上げております。それはそうでしょう。人生一番の節目、それに 食事処も美容院も
貸衣装の業者も一番の稼ぎ時です。

だけど、これって密ですよねえ。あちこちで成人式小規模クラスターの出現です。

かくして、ガースーこと菅総理はますます動きがとれなくなるのでありましょうぞ。

【私もどうやら 焼きが回ってきたような…】

今年に入って体力が急激に衰えております。そんな気がしてならないのです。
同行援護で、足先、特に太股を引き上げることをに意識しながら歩いているのだけど。
もう二ヶ月が経ちます。ヘルパーさんから、
「今日も右足を引きずっている音がしますよ。踵で着地して、爪先で蹴るような気持ちで歩くといいです」「はい」と返事して、太股を上げるのだけれども…ザ ザッ!
この音、うまく表現できないなあ。なんて嫌な音なんだろう。
踵が地に着く直前から雑音が聞こえているような気もするし、続いて引きずっている音もするんだけど。

昔テレビで見たことのある兵隊さんのように足を高く上げてみました。
でも、ヘルパーさんは冷たく言い放ちます。
「まだ 引きずっています。 足をもっと高く!」
でも変な音は、またします。無力感が体全体を覆ってきました。意識して太股・踵・爪先…と順に力を入れているんだけどなあ。思いとは裏腹に体が動いていない。焼きが回ったとはまさにこれであります。こうやって老いを自覚していくのでしょうねえ。

気が焦ってくると汗も噴き出してきます。
「ちょっと ごめん。ヤッケを脱ぎますね」
一息入れて佇んでいると、もしかして、と思い立ちました。
「ごめん 私の靴裏を見てくれない?」「はい いいですよ」

「あら!小さいのだけどペロリと剥がれている箇所がありますよ。これだったん
ですね。ハサミで切り取るといいでしょう」
なあんだ。

近況とこれから

私は昨年の6月から「在宅勤務(家でのテレワーク)」で仕事をしています。
先日、「蔓延防止等重点措置(マンボー)」が適用され(ヘタをすれば、3回目の「緊急事態宣言」?)、私自身も引き続き「不要不急の外出」を控えていますが、これが災いして「慢性的な運動不足」になりがちなことが「一番の心配事」となっています。そのため、週に一度の「プール(水中ウオーキング)通い」をして、健康管理に努めているところです。 また、「ストレッチ」や「スクワット」などで、「精神的なストレス」を解消するようにしています。

両親も「80代」になり、年々困難になってきています。そのため、今後は両親にかわり、私自身が「リーダー(家の中心役)」となって「草ムシリ」や「生ゴミの処分」などの「家の仕事」をやることになります。 「コロナ禍」がいつ終息するかはっきりしませんが、今後も会員のみんなと協力しながら頑張っていきたいと思っています。

今後も「困難な日々」が続くでしょうが、よろしくお願いします。

コロナ


助けて。何人ものの、人は、次々に倒れてゆく。
私たちの、目の前で、まるで、終わりは来ないかのような、強くて、重い物体に、襲われながらも、世界がコロナ禍に巻かれていた。
コロナとはなんだ。瞬く間に、広がる死者の、中に、志村康則、芸名志村けんさんや、大和田久美子、岡江久美子さんらは、コロナで亡くなってしまった。
志村けんさんの、兄は、おそらく、何故弟がと、思ったのではないかと。
岡江久美子さんの、ご主人は、何故妻がと。
しかし、コロナは、収まらず、今、ワクチンで、コロナに対し、一刻も早くなくしたい。ワクチンで、攻撃をして、無念をはらしたい。
私達は、何もできないが、人として、一つでもできないだろうか。いや、できる。やればできる。
それは、祈りでもあり、絆として、みんなの力を一つにさえすれば、叶うでしょう。
マスクは、不要な、はずなのに、いつしか、必要と、されてしまった。
もう、いいよ、コロナよ。十分人々を苦しめたのだから、消えてなくなってほしい。
これが、私達の、絆なのだから。感染者を無くすために

自粛疲れ
みなさん、こんにちは。自粛なんて、疲れたぁ。ですよね。そもそも、なんで、そんな、バカげたことをしなくてはならないのだろうか。大半の人は、はじめは、そう思っていたかもわかりませんね。コンピュータに、感染があるように、人々にも感染者がありますね。
わかりやすく言うと、ヒゲ剃りを貸し借りをしたとしましょうか。肌は、個人差ではありますが、ヒゲの毛から、感染をする?のではなく、シェイバーからするのです。自分用として、ですし、他の人に貸せば、新たなる蓄積は、消し去ることは、できません。もし、貸したの、ならば新しい歯にするか、貸し借りはやめましょう。場合によっては、その、シェイバーは、貸した方に差し上げて、ご自身は、新しいのを買いましょう。日本人は、悪い癖で、貸したりします。ですから、コロナはやってきました。撲滅させるには、貸したら、あげる。嫌なら、貸さないです。
一刻も早く収束を、みんなが待っています。コロナと、その時代を生きた国民いつしか、コロナは、瞬く間に、広がりつつあるも、我々を苦しめている、物質。それが、コロナである。
以前トヨタ自動車から、コロナという、車があった。
今も、あるが、これを、受けた、トヨタは、コロナの売り上げが、減少である。
いまや、誰もが、生活に対し、困難である。それと、いつに、なれば、豊かな生活に、戻るのか、わからないのだが、待つしかないようです。

編集後記

コロナの冬、暗く長く感じて春が待たれます。
この冬は雨が少なく、実家でたくさんの芽がでたことを喜んでいたきぬさやが枯れる寸前だ。だったら水撒きすればいいじゃない、とバケツで水撒きをしたが、後で父から、天からの雨はいいが、人工的に与えた水では植物が凍って、大きくなったほうれん草など茎が割れてしまうと聞いた。なんだそれ、早く言ってよ。結局見事に全滅してしまった。
畑仕事は楽しい。本当に楽しい。私は大好きだ。種を蒔けば芽が出る。
が、必ず芽がでるわけではない。何が、どうして、芽がでないのかわからない。
そこが私の経験の浅薄さだが、父には何をどうすれば一番効果的なのかがよくわかっている。
父はわたしのやることを無理には止めない。ただ、「こんな時期に種まきしたことはないな」というのみだ。
私は種を蒔いたのだから芽がでないわけはない、とやってみるのだが、やはり出ない。どんなに待っても芽は出ない。
老いては子に従えというけれど、老いても長年の経験に勝るものはないのだろう。

上に書いた文章は、父が亡くなるなど夢にも思わなかった私が会報原稿用にメモしておいたものです。父のことをよく会報に書かせていただきました。会ったことのない父を、「自分の父親のような気がする」と何人かの方に言っていただきました。もう、会報に父のことを書くことができなくなりました。とても残念です。父が亡くなってやる気がおきず、会報発行が遅れてしまいました。無責任な事務局でご迷惑をおかけしました。

コロナに十分気を付けてください。事故に気を付けてください。体に気を付けてください。皆さん、いつまでもお元気でいてください。心からお願いいたします。
皆さんとお顔を合わせる機会が減ってとても寂しいです。久しぶりに月例会でお会いし、「ああ~いいなぁ」と感じました。会議がスムーズにできるように工夫する必要がありますが、直接お会いできることの大切さも強く感じます。
何もできなかった一年でした。今年はひと手間かけ、一工夫しながら、進めていけるよう、努力しますので、皆さまも是非ご協力ください。よろしくお願いいたします。