会報88号(2019.5.1)

会報88号には以下の記事を掲載しています。
HPでは掲載可能な一部をご紹介します。
会報の郵送をご希望の方は事務局にお問い合わせください。

総会の時期になりました

例年の春でしたら半袖を着る季節ですが、今年は暑かったり寒かったりで不順ですが、いかがお過ごしですか?

今年は総会のお知らせが遅くなり申し訳ありません。さらに10連休となり、配達に時間がかかるのではないかと心配しています。例年通り最終の土曜日です。K君訴訟の報告会も行います。思いは色々ですが、画期的勝訴判決を今後にどのように活かしていけるか、裁判についてMさんと弁護士の報告の後、話し合いたいと思います。

どうぞ奮ってご参加ください。お知り合いで今回の裁判に関心を寄せて下さった方も是非お誘いください。会場が和室で申し訳ありませんが、ご容赦ください。

今後も中央通り法律事務所にネットワークの住所をおいていただくことになりました。事務局不在で申し訳ありませんが、登記上の住所変更もしなくてすみます。

今後のネットワークの課題が出来ました。K君訴訟の判決を今後にどう活かしていくかです。成年後見のことも優生保護訴訟のこともあります。世間を騒がせている児童虐待について虐待防止法を勉強しても良いと思います。

やる気になればなんでもできる、そんな気分になれる春ですね。一つ良いことがあると希望がでてきます。今年度もよろしくお願い致します。

今後のネットワークの予定

  • 5月25日(日)
    午前10時~総会
    午後3時~Mさん訴訟報告会と討論会
    午後5時30分~懇親会
  • 6月12日(水)学習会・定例会
  • 7月10日(水)学習会・定例会
  • 8月31日(土)暑気払い

勝訴

2019年3月22日(金)、6回目の公開裁判が東京地裁103号法廷で実施され、判決が言い渡されました。

結果は一部勝訴で、亡くなった障がいの息子に19歳までの平均賃金による逸失利益が認められました

提訴してから約2年、ネットワークの皆様の中からも数多くの方が傍聴に参加していただきました。

弁護団の皆さんや、証人になっていただいた方々、意見書を書いていただいた方々、実に多くの方に支えられて裁判を進めることができました。

亡くなった息子は自閉症を伴う重度の知的障がいがあり、裁判では「将来働いて稼ぐことができたか」ということが、争点のポイントになりました。

裁判の過程で、発達医療の専門ドクターや障がい者の働く現場の方々に、それぞれの立場で息子の可能性を立証していただきました。

判決結果は一部の報道では画期的と伝えられましたが、私達が主張していた「障がいの子供と健常の子供の間の溝を埋める」ということはできませんでした。

権利条約が我が国で批准された2014年1月以降、障がいの子供の死亡事故の損害賠償の逸失利益に平均賃金を考慮する判決や和解の裁判例が出るようになってきております。今回の判決はその延長線上にあり、原告としての私どもの認識の中では画期的という表現は必ずしも当てはまらないのではないかと思っております。

判決前には、「良い裁判例になることを願います。」と記者会見等の機会にお伝えしてまいりましたが、判決結果を踏まえた今の気持ちとしては、もっと良い裁判例がどんどん出るような日が早く来ればいいのにと考えております。

「子供のかけがえのなさ」に障がいの有無で差別をすることは無くならなければならないと思います。

結果はどうあれ、ハードルの高さを覚悟しながらも私どもの執念で始まった裁判、お忙しいなか傍聴に参加していただいた方々をはじめとして応援していただいた皆様方には心から感謝しております。

超と旅(全盲、車椅子、知的、てんかん)

在宅なので毎日何処かに行かないと1日が終わらない。日光を浴びる事も社会性もここにいるよのアッピールも含めて車であちこちに出没している。行先は道の駅やミニストップ、コンビニだ。cafeがあってイートインができ駐車場もありトイレも広い。自宅から神奈川の端、宮ヶ瀬には週2〜3回は行く。ダムで造られた湖の周りは四季折々で私は楽しめる。近辺には道の駅が二ヶ所あって頻繁に行くので顔馴染みになり声を掛けてくれる人、車椅子を手伝ってくれる人も出てきてまるでデイサービスのようだ。

超がまだ歩けていた頃は娘と三人で青春18切符で。あの頃は夜行列車が多かったので北海道や九州の実家に年3回は行った。私は旅が好きだ。車はいろいろ積めるので便利だ。四国88箇所遍路巡りでは、ホテルを使って45箇所まで廻った。松山の道後温泉では奮発して家族風呂を予約した。超は風呂好きだから気持ち良さそうにしていたが発作を起こしてしまった。楽しそうにみえたが疲れていたようだ。ホテルでは広い部屋を予約しても部屋にある風呂は段差もあり狭い。温泉大浴場は男女別で使えない。チェックアウトも10時か11時だ。泊まりもしないのに2日予約して朝のんびりしていても他の部屋の掃除は始まっていて廊下でのいろんな声や音が聞こえ、音に敏感な自閉傾向にある超は不機嫌になる。睡眠不足がてんかんの引き金になる事が多いらしいので気を遣う。最近はラブホテルを使ってる。時間延長も機械精算駐車場の隣に部屋があり荷物の搬入が楽高速道路のインターに点在しており高速を使って移動する人に好都合最近では女子会やツーリング客の利用が多いらしい風呂が広い、防音効果高い、大きなTV、カラオケ、マッサージチェア、岩盤浴、露天風呂、VIPな部屋など多種多様飲食持ち込みOK出前も可能。この手があったかと大喜びする私に娘はヤメろヤメろと言う。

超と出掛けるとあり得ない事が沢山起こる。『こんな夜更けにバナナかよ』という映画がヒットしているらしい。介護が面白いと思う人と挫折してめげてしまう人がいる。人に寄り添うことが楽しいなと思う人が増えてくれればいいなと思うこの頃です。

僕の仕事

今まで何度か僕の仕事について会報で紹介してきた。高齢者施設に入所する人達は様々で、気むずかしい人もいるけれど、「ありがとう」と声をかけられると嬉しくなる。というか救われる感じになる。仕事中に接するのは入所者やその家族の人達ばかりでなく、スタッフもいる。むしろ、こちらとの付き合いの方が難しいかもしれない。僕は障害者枠で職についたが、ちゃんとヘルパー2級の資格を独自に取っている。だから誇りを持って仕事をしているのに、中には見下したような態度の人もいてイヤダナ!と感じる時もある。心の整理がついたら、そんなことが書けるようになったらと思うが、むしろそんな事は忘れようとしている自分もいる。いずれは解決させたいと思う。

今回も仕事ぶりを書いてみました。

シーツ交換をしている時の事だった。たまたま行ったベッドが汚れているのか、小さい横シーツが置かれていた。「また汚れてたんだな」と思ったが、それが混乱の渦の中に突き落とされる事になった。横シーツというのはシーツが汚れるのを最小限に抑えてくれるために使うシーツである。古くなったシーツを小さく切って部分的に汚れた所を拭いたりしている。

さて、はずした横シーツから出て来たのは排泄物の臭いだった。時々そんな場面に出くわす時がある。そんな時は消毒液をかけてしばらく待てば解決するのだが、この時は違った。なかなか臭いがとれない。というより、こびりついている感じだった。何度拭いてもヌカに釘だった。「自分の力でどうにかする事は出来ない」作業を一旦停止して、誰かに相談することにした。運が悪いのか、他の人達も仕事が忙しいのか精一杯な感じで相談する人が見つからなかった。するとたまたま理学療法士の松本さんが目にとまった。一部始終を話した所、来てくれた。松本さんも消毒液をかけてた。そこで僕はこれまでのいきさつを話した。そしたら「ベットパットを敷いた方が良いよ」と助言してくれた。シーツの下に敷くパットの事だ。それで布団が汚染するのを防ぐ最後の切り札なのだ。松本さんの助言で混乱の渦の中から這い上がる事が出来た。

だが混乱の渦が作った爪痕は大きかった。シーツ交換に時間がかかってしまい、後の作業に響いてしまった。焦りと疲労が僕の作業を邪魔した。追加でシーツ交換を頼まれたりしたので、清拭巻きの作業には結局手が回らなかった。

帰り、僕に残っていたのは肉体的、精神的の脱力感だった。

入所施設の知的障がい者の健康はどうやって守るの?

「知的障がい者の健康をどうやって守るの?」という学習会に参加した時のことです。

ことばによる表現ができない知的障がい者は体調の不良を伝えられないために症状がかなり悪化してからでないと支援者が気付かないことが多くその時には既に手遅れになっていることが多い。だから「障がい者の高齢化が早い」といわれるのはそういった側面があるというのです。

私の娘はことばで伝えられます。しかし、施設の職員が取り合ってくれないとせっかく不調を伝えても見過ごされてしまいます。入所して2年半になりますが覚えているだけでも4回ありました。娘との面会が月に一度と制限されているのでその時に私に訴えるのです。

最初は頭皮が赤かったのですが娘がそれを「フケが出る」と職員さんに伝えたのだそうです。この時の担当者を娘は怖がっていて「痒い」とストレートには言えなかったらしいです。職員さんは頭皮を見ずに「頭をよく洗いなさい」と返しました。一週間くらい後に私と面会の時に実は痒いと娘が言いました。そして自分の伝え方が悪かったからいけなかったともいいます。私が職員さんにそれを伝えたら「職員が人手不足のため受診者が何人かまとまらないと医者にはつれていけない」と返答されたので「私が連れていきます」と返しました。すると「それはできません」と理由もなく拒否されましたので「薬を塗ってほしい」といいましたら「診断もなく勝手に薬をつけることは出来ない」といいます。私が薬を持っていくのもだめだというのです。その一週間後くらいに施設の看護師にみせてそのまた一週間後に医者に行きましたがその後とびひになってしまいました。この時の施設の説明は「入所者の安全安心のため」だそうです。施設に何も言えない府外のない親ですがやはり「人質」の感じは拭えません。

次は「物が見えない」次は「かかとがひび割れて出血した」次は「乾燥性皮膚炎」。どれも娘の訴えは取り合ってもらえませんでした。親のいない入所者さんは伝えるのを諦めてしまうでしょうね。家族が元気でいるのはー悲しいことにー重要です。

入所時に持参した薬の有効期限が過ぎていたようですがこれも私が指摘しなければ気付きませんでした。皮膚科などの内科以外に受診させるのを職員さんは嫌がります。その訳は説明されなくても予想はできます。

学習会の講師に「普通に考えてください」といわれて勇気づけられました。
「嫌なことはできるだけ少なく、ねばならないをなくす」「本人にとっての苦痛をなくす」

施設の健康診断に視力検査はありませんでした。「物が見えない」訴えは緊急性が低いというように発言されましたので「近視であると決められるのですか」と返せました。踵のひび割れは外出中に薬を買ったのでそれを置いてきました。以前の担当職員が退職して担当者が変わり、娘がその人を信頼しているので私も安心できます。施設と何度も話し合いましたがその場は合意できても実際には中々のため、引き続き話し合うことになりますね。

こんなことがありました

2013年に国会において障害者差別解消法が成立。障がい者にとって悲願の法律でした。やっと社会の差別が解消されるとの思いを強くする期待の法律でした。しかし、すぐに公布、施行されるわけではなく、施行準備期間に約3年間費やされました。この法律の内容は、行政機関や民間事業主に障がい者へのサービス提供を促し、車椅子障がい者や盲導犬同伴者の入店を拒否するなどの差別的な扱いを禁じるものです。聴覚障がい者への筆談・視覚障がい者への読み上げ、車椅子の人が交通機関を利用する際の手助けなどの配慮が行政機関に義務づけられ、民間事業者にも努力義務を課しています。義務違反が続く場合は指導・勧告などが行われます。国は自治体に地域の障がい者や福祉、商工団体などと連携した協議会の設置を促しています。

読売新聞(2016年4月22日)によると協議会の設置は全国の市区町村でみるとまだ6%である。法律の施行まで3年間の準備期間があったにもかかわらず、大変残念な数字である。ここで注意しておかなければならないことはこの「障害者差別解消法」は障がい者への差別的な取り扱いを禁じ、配慮を求めているが、障がい者の権利の位置づけではないことです。

国は毎年12月3日~9日までを「障害者週間」としています。当事者の生活がどのように変わってきたか、車椅子で生活している中で感じることを報告します。

昨年12月初め、私自身に差別的事件がおこり、Y新聞社に1通のFAXを送信しました(実はその前に直接Y新聞社の支局に電話をし、訪問もしたのですが不在でした)。その内容は以下のとおりです。


Y新聞社厚木支局様

突然にFAXを差し上げたこと、申し訳ありません。

〇〇町に住んでいる車椅子の障がい者ですが、今週から「障害者週間」ということでFAXをいたしました。ご存知のように「障害者差別解消法」が施行されて2年が過ぎるのですが、私のこんな現実をお知らせします。

12月〇日TA病院(地域中核病院。病床数282床)を初めて受診するため指定された駅前のバス停でTA病院行の無料送迎バスを朝一番で待っておりました。バスが到着すると運転手さん以外は誰も乗っていませんでした。バスの運転手さんより、

「このバスは障がい者を乗せない規則になっている。もちろん介助もしない」

と言われました。私は必死に自分の障がいの状況を説明し、車椅子、身体介助も迷惑をかけないので乗りたいと懇願しましたが、

「乗せない」

の一点張りでした。せめて乗せない理由を教えてほしいと伝えると

「決まりだから」と言われました。

「では足の不自由な高齢者も乗せないのですか?」と聞くとそれは乗車してもよいとのことでした。

「文句があるなら病院側に言ってくれ」と言われて、

「病院長に会わせてほしい」と窓口に行くと、「会わせられない」といわれました。代わりに職員が聞くとのことで、確認すると驚いた返答でした。

「障がい者はいかなる場合も一切乗せない・事故、ケガも保証できない。当病院はバス運営会社ではなく、患者、家族のための無料送迎をしている。だから障がい者は乗せないし、また法律に触れる行為はしていない。訴えるならご自由に訴えてください。」

これは驚きの発言でした。つまり、私はこの病院の患者として認められていないわけである。その後市役所に行き、「国より通達されている苦情処理の協議会に話をしたい」と訴えると、市職員から「市には協議会はない。代わりに福祉課で話を聞く」といわれ、上記の内容を説明すると、市職員から「確かに障がい者を差別してはならないと法律にはあるが民間は努力義務なので罰則もなく、どうしようもない」とのことでした。

 もし、Y新聞社で「障害者週間」の記事コーナーがあるならばと思い実情をお知らせしました。読んでいただきありがとうございました。


その後市役所、Y新聞社支局からの問い合わせは一切ありません。

世間では当事者がもっと声をあげなければ何も変わらないといわれますが、それは確かに其の通りだと思います。しかし、私がここまで行動を起こすための時間、運動量は健常者の数倍にも及びます。世の中の無関心さを肌で感じるものです。自己防衛のためにも二度とY病院へは受診しません。

編集後記

総会はすぐそこです。是非是非ご参加ください。懇親会場所も会場からすぐの場所です。皆様のご参加をお待ちしています。

さてさて来年はオリンピックですね。パラリンピックもありますね。ネットワークでなにかできないでしょうか。などなど考えてみるのもいいかなと思います。

杢さんは神戸で新たな生活に馴染んできているようです。まだまだリハビリにも通っているようですが、とにかく努力を惜しまないのです。遠くでがんばっている杢さんはネットワークの誇りです。そして、Mさんは平成最後の一日を終え、令和の新しい幕開けに新たな気持ちで仕事に向かおうと決意していると報告いただきました。

皆さん、新たな気持ちで令和に向き合いましょう。今回の会報はたくさん原稿を頂き、編集はとても楽でした。次回は総会報告号ということで6月中には発行予定です。みなさんの会報です。身近なこと、家族のこと、仕事のこと、夢や希望、心配事なんでも結構です。どんどんお寄せ下さい。長文、短文、詩歌大歓迎です。お待ちしています。