会報78号

会報78号には以下の記事を掲載しています。
HPでは掲載可能な一部をご紹介します。
会報の郵送をご希望の方は事務局にお問い合わせください。

■会報78号目次

人権ネットワーク活動記録

2016年
12月17日 クリスマス会・月例会

2017年
1月13日 月例会・判例学習プロジェクト
1月16日 3月25日パーティー会場下見・打ち合わせ
1月25日 会報発行準備
2月3日 会報発行作業

お願い

☆年会費未納の方は会費の納入をお願い致します。
平成28年度分の年会費未納の方は会費納入をお願い致します。

☆3月25日(土)にNPO法人設立15周年記念祝賀パーティーを行います。ご出席いただける方は返信葉書に出欠の回答をお書きの上、参加費用(お一人3500円)を同封の振込用紙にてお振り込みいただき、ご送付ください。会場の広さを決める都合があります。2月22日までにお振り込みください。

☆身近な話題について原稿をお寄せください。
☆身近な方にネットワークを宣伝してください。ご連絡いただければすぐに会報をお送りします。

ごあいさつ

寒中お見舞い申し上げます。
大寒とほぼ時を同じくし、雪の被害のニュースをあちこちで聞くようになりました。皆さまお住まいの地域ではいかがですか。あと数ヶ月、春が待たれます。

昨年は相模原の施設での殺傷事件が私たちを驚かせました。誰にも生きる権利があること、生きる価値のない命などあり得ないことを人権ネットワークの声明として出しました。障害者差別に対する関心が高まってきたと思っていた矢先でしたので、とてもショッキングな出来事でした。
また、視覚障害者の駅構内での転落死亡事故も同様に何故防ぐことができなかったかを私たちに考えさせる事件でした。
更に言えば国家第1 主義者のトランプさんがアメリカの大統領になってしまったこともアンビリーバーブルな結果でした。差別と偏見は何十年経っても、あのADAのアメリカでさえ払拭されていない現実をまざまざと見せつけられた思いでした。これが本筋ではないことを祈るばかりです。

悲嘆に暮れることばかりでしたが、一方、小さな私たちの会では、昨年から若い方の参加者が僅かですが増えてきました。会員の高齢化を案じていましたので、とても嬉しいことです。
そして今回の会報には、採澤先生をはじめ書き下ろし原稿がたくさん掲載されています。頁数は少ないのですが、執筆者の思いがたくさんつまった会報です。是非是非隅々までお読みください。

3月25日には人権ネットワークで講演会・親睦会を兼ねた楽しい集いを計画しました。会員の方のみならず、ご家族、お友達などお誘い合わせの上、是非ご参加ください。たくさんの皆さまにご参加いただけることを願って準備を進めています。

本年もより充実した会運営を目指していこうと役員一同決意を新たにしました。今後のご支援、ご協力を宜しくお願い致します。

15周年記念パーティーを行います

NPO法人化してから15周年が経過しました。
そこで、記念行事として、遠方の方、久しくお会いしていない方など、たくさんの方にお集まりいただき、楽しいひとときを共に過ごせたらと講演会とパーティーを企画しました。

ネットワークで初めてとなる記念パーティーです。この機会に是非ご参加ください。
ご家族、お友達などネットワークの活動にご理解のある方でしたらどなたでもご参加いただけます。
ご案内状を本会報に同封しています。内容をご確認いただき、お返事下さるようお願い致します。

花咲かじいさんの真相

花咲かじいさんで不思議に思ったのは正直じいさんには大判・小判。意地悪じいさんには馬や牛の糞が出て来る始末。見方を変えれば意地悪じいさんはおちょくられ、あげくの果てに牢屋行きです。「犬がそんなに人の価値観に対応できるのか疑問だ」。

僕の飼っていた犬のクリの場合は僕が仕事から帰宅する途中の下車駅まで迎えに来てくれたことがありました。僕が嬉しくなって思わず「カワイ~」と言ったことが伝わったようで、その後、そのくらいの時間になると何度か駅に行きたがったそうです。

母が昔飼っていたアンジェラスという犬は洗濯屋さんのご用ききの人と気が合わなかったらしく、その人が来ると決まって吠えてあわてて落とした釣り銭用のお金を見付けては母に届けていたそうです。神社の賽銭箱の前でジッと動かないで固まっている時は足の下に硬貨があったそうです。犬には何か不思議な能力があるのでしょうか。

では、正直じいさんの犬はどうだったのでしょう?

僕は正直じいさんにも犬が「ここ掘れ」と吠えた所から出て来たのは牛や馬の糞だったのではないかと思います。だけど正直じいさんは「これは畑の肥料になって秋には沢山作物が出来るんだよ」と思って持って帰って、肥料として使ったのです。
そしてその秋はいつも以上の豊作で、年貢だけではなく、自分の食糧にもなり、さらに売る方にも回す事が出来たに違いありません。

その話を聞いた意地悪じいさんは「犬が土から大判・小判を出した」と勘違いし、正直じいさんから犬を借りて行きました。というより、無理矢理連れて行ってしまいました。だけど出て来たのは馬や牛の糞ばかりだったので、ぶちキレた意地悪じいさんは殺して埋めた所に木を1本立てて行ってしまいました。

悲しみに暮れた正直じいさんは墓に行ってみると木はアッという間に大きくなっていました。
正直じいさんはその木で臼を作って餅をつきました。僕の想像では、正直じいさんがついた餅を町で売ったところ、これもバカ売れ!ボロ儲け!!この時も意地悪じいさんは「この臼で餅をつくと、大判・小判が沢山出る」と勘違いし、餅をついたのに大判・小判は出て来ない。

腹を立てた意地悪じいさんは臼をたたき割って燃やしてしまいました。
正直じいさんは泣く泣く灰を持ち帰る途中、風が吹いてきて、灰を吹き飛ばします。
その灰が枯木にかかると、とたんに枝いっぱいに花が咲きました。枯れ木に花を咲かせたということが評判になり、ついに殿様の耳に入ることになり、殿様は正直じいさんを城に招いて枯れ木に花を咲かせるように言います。見事に花が咲いた事により、正直じいさんは殿様から沢山の褒美をもらいました。

この時も意地悪じいさんは「灰をまけば花が咲く」と思い込んでいました。
実は正直じいさんは灰をばらまいたのではなく、木の根元に少しずつまいていたのでした。それが木に花を咲かせる栄養になったのです。
何も知らない意地悪じいさんはそのままあちこちばらまき殿様だけでなく、町の人の目や肺などを痛めつける結果となりました。そしてその罪を問われ、牢屋に入る事になったのです。

要するに正直じいさんの前で起きた事は意地悪じいさんと同じだったのです。
違ってた事は、意地悪じいさんはその結果しか見ていなかったのでした。

障害という問題にも同じことが言えるように僕は思っています。
障害を持った人を「社会に役立たない人、劣る人」と決めつけるのは、表面しか見ていないからだと思います。同じ人間なのだという事をまず第一にわかって欲しい。人は見かけだけでは分かりません。この社会で一緒に暮らしていくにはどうしたらいいのか。それが一番の課題だと思います。「福祉」や「支援」は大切な方法だと思いますが、何よりも、障害をもっていても一生懸命生きている人間なのだということを、理解してもらいたい。僕の願いはもう少し大きくて、頭で理解するだけではなく、見かけは違っていても、同じ人間として受け止めても
らいたいです。

僕がいつも思いついた事を書き溜めているノートを読んでいた母が「花咲かじいさんの真相」を見付け、大受けしてました。ところが大筋では母の記憶している「花咲かじいさん」と同じなのですがところどころ違っていました。主に意地悪じいさんの所では宝物ではなく、「牛や馬の糞」だというところです。そこで図書館に行って、そこにあった3冊の花咲かじいさんの本を調べた所、その部分は3冊とも違っていました。「ムカデやヘビ」だったり「瓦や石ころ」だったりしていました。1冊は僕の記憶と同じ「馬や牛の糞」でした。

昔話は長い間、口で語られ、耳で聞かれていました。ということは「語り終えたら消えてし
まう文芸なのだ」と解説にもありました。僕と母の間に違いがあっても不思議ではないという
ことでしょう。でもその奥に流れているものを感じるのは面白いと僕は思っています。

クリスマス会の感想

初めて人権ネットワークのクリスマス会に参加して下さった I さんから感想をいただ
きました。会員にもなってくださいました。感想を送って下さった時の文章もすてきで
したので、一緒にお伝えさせていただきます。

楽しかったクリスマス会もふり返るとあんな話、こんな話で一杯でしたね。
クリスマスには私は思い出がいっぱいあります。
サンタさん?って本当にいるのかを知るために、ポストに出す前に欲しい者を実は書いておくりました。
さあ、クリスマスイブに届いたものはなんだろう?包み紙をほどくかのようなドキドキ感もあり、嬉しい思い出がありました。
今回のクリスマス会は、ぶれいこうもあってか、二度も三度も楽しめたクリスマス会でした。
これからもどんどん参加していきたいです。
この度はクリスマス会に出させて頂きましてありがとうございました。
障害者を理解できる者同士がふれあうということはとても大切だと思いました。大きな夢を持ち、次の一歩(はじめの一歩)と言えるような気がします。
人を、悪いことも正しいことに導いて下さるのもクリスマスの一つだと痛感しております。
時に今の世の中は若者だけが行き交うクリスマスと、今回のように夢と希望を下さいましたクリスマス会があるのかと思ったら、うれしくてなりませんでした。このクリスマス会を大切なイベントとして参加させていただきたいと思いました。
こちらの皆さまにとりまして、いい一年で始まり、終えて行けたなら私もとてもうれしいです。

マムシの多くいた山

小さなヘビと遊んだとかマムシに遭遇した経験がありますか?
マムシの多くは人間を見ると逃げるのですが、意外なことで驚かしているのでしょうねえ。

私は生まれたばかりというヘビをあるお兄さんからかりて、一日だけポケットに入れて遊んだことがありました。小さいとヘビもかわいいのですね。ところが、それ以後はヘビを見ただけで逃げております。何かあったのでしょう。

記憶が抜け落ちています。

さて、西外れの前迫の山の北側には、マムシが多く生息している場所があるときいておりました。その麓の小さな崖をよじ登った途端、マムシがとぐろを巻いていたのにはびっくり!お兄さん達のひとりがもっていた鎌を投げて退散させたけど。やはり、マムシの多くいる場所があるんだなと妙に感心していました。

マムシにまつわる話はいくらでもあるのですね。ウナギ取りの得意なおじさんが畦の穴に手を突っ込んでウナギを引っ張り出したら、ウナギでなくマムシの頭をつかんでいた…。それ以来、ウナギ取りをやめたとか。また、稲刈りのとき、畦を歩いていたら、マムシの頭を踏んでいた…の話は意外と多いのです。

焼いたマムシを食べろと勧められたことがあったけど、あれって味してましたか?
焦げた焼き魚を食べていたような気分だったけど。

母のこと

母のこと PART2
脳梗塞で倒れてからの母は、物忘れがひどくなった。
「さあ、ご飯炊かなくちゃね」と言って台所に行くが、すぐに作業をしている私たちのところに戻ってくる。「あれ、ご飯炊いてきた?」「ああ、そうだった。」とまだ台所へ行く。お米をといで炊飯器のスイッチをしっかりいれていても、「ご飯たかなくちゃね」と台所へ行く。炊けているご飯を見て、「あれ、誰が焚いたんだろう。」と言う。

こんなことが日常だから一緒にいる父は大変だ。

すぐに片付けをする母は何でもしまい込む。
居間に置いておくと母がみんな片付けてしまう。「あれ、お菓子どこ行った?」と聞くと「私は知らないよ」と言う。「私は見てないよ」「誰もそんな物持ってきていないよ」と言う。
母のことを医者は「認知症」と平気で言うけれど、私たちは物忘れがひどくなったとだけ思いたい。母は、私と姉の電話番号はすらすら言えるのだから。
母は物忘れ中級者くらいにはなっているが、まだまだ片付け場所が一定していないので、アチコチ探してみるが見つからない。何日も経ってびっくりするような場所から出てくる。
母は、自分が今までと違うと言うし、それを周りの人がおかしいと思っているとも言う。そんな今までと違う自分が歯がゆくて、自分に腹が立って、そばにいる父に当たってしまうようだ。

私や姉が一日一緒に過ごせる時間があると、母は昔のことをあれこれ話してくれる。「今度いつ来れるのかわからないんだから」とあれを持っていけ、これも持っていけと野菜やお茶やお菓子をたくさん用意してくれる。
一緒にできる作業があるとそれを一生懸命にやってくれる。私が「大助かり!」と言うと、なおさら一生懸命やってくれる。母は昔のまま、何も変わっていないように感じる。

母はすぐに忘れてしまうから、嫌なことも繰り返し確認してはまた嫌な思いになる。でも反面、良いことがあったときは、何度も何度も何度も新たな気持で喜びを感じられる。これって凄いと思う。得してるんじゃない。母が穏やかに過ごせる方法はいくらでもあるような気がする。家族みんなで協力して母を 1 人にしないようにする。ちょっとしたことを一緒にやる。ほんの少しの工夫と優しさがあれば、母のイライラは随分少なくなると思う。

母は私が車で東京に戻ろうとすると、「お父さん、一人じゃ危ないから、お父さん一緒に送っていってあげて」「娘 1 人遠くまで行くのは危ないから」と心配してくれる。「ねぇ、ねぇ、お母さん。世の中的にはお母さんがおばあさんと言われるのと同じく、私もババアの仲間だから、全く心配いらないから。」と答えるが、心配は収まらない。私の車を誘導してくれて、見えなくなるまで見送ってくれる。

母ゆずりの「だんご鼻」
小学校4,5年生の時の私にある男の子は「団子っ鼻」としょっちゅう言ってきた。自分の顔がいやでいやで仕方なかった。鼻が低いだけでなく、丸いのだから、自分で鏡を見てがっかりしてしまう。当時母にこんなことを言われると訴えても、「そんな子相手にしなくていい。お母さんが怒ってきてやる。」というのみだった。

私は母にそっくりらしい。母に何十年も会っていない人が、私の顔を見て隣にいるのが母だとわかる、という具合に。私の可愛くない顔コンプレックスは高校一年生まで続いた。
昔は学校の授業参観に来る母親は前日に美容院に行き、普段はあまり着ないスーツなど着て、とびきりの正装で学校に来た。お化粧もしっかりすると「綺麗だな」と思う位になった。友だちからも「お母さん、綺麗だね」と言われたりするとなんだかむずがゆかったが、誇らしくもあった。
母にそっくりの私の団子っ鼻、それが苦にならなくなったのは、高校生になってからだった。ある同級生が「私は福田さんの顔、可愛いから好きだよ。」と言ってくれた。こんなこと言われるのは初めてだった。そんな風に思ってくれる人もいるんだ。「えっ、かわいい!!」なんて良い響き。私のコンプレックスが彼女の一言でどこかに飛んでいった。しのぶちゃん、ありがとう。私の団子っ鼻が筋の通った鼻に変わったわけではない。だけど、少しだけ自分に自信がもてるようになった。

よくよく両親の顔を見てみる。母は団子っ鼻だが、父も負けないくらい低い鼻をしていた。この 2 人から西洋風のすーっとした顔が生まれるわけがない。
それでも最近の私はこの顔に産んでくれた両親に感謝している。決して美人ではないが「親しみやすい顔」ではあるらしい。親から引き継ぐものは選ぶことができない。両親からもらった丈夫な体と心を大事にしようと思う。

障害をもつ家族
人権ネットワークのお手伝いをさせていただいてかなりの年月が経つが、つい最近、私にも障害をもつ身近な人がいたこと、いることを再認識した。
祖父は当時の富士見村の村会議員をしていた。祖母は結構な美人だった。綺麗な祖母はなんであんなに小さくて禿げた祖父の元に嫁いでしまったんだろうと不思議に思った。私には記憶にない頃のことだ。祖父は暮れの飲み会に前橋まで行った。
バスが来るのを確認しようと体を乗り出したところにトラックが走ってきた。祖父に激突した。祖父の右足がもぎ取られた。まだ物が豊富にない時代、母は祖父の肉片のたくさんついたズボンを泣きながら洗った。祖父を引いたトラックの運転手は夜逃げしてしまい、祖父に謝罪は一切なかったという。運転手が勤務していた会社も倒産し、結局障害をもった祖父は何の保障もない中で、家族に負担をかけるというやりきれない思いで、酒をたくさん飲み60代で亡くなった。

そしてもう一人は私の父。
父は私が中学校一年の中間試験が始まる朝、会社に行く前に軍手をして丸い電動のこぎりで薪を切っていた。もう少しで朝ご飯というその時、父の「房子!、房子!」と呼ぶ声にテーブルのまわりのみんなが立ち上がった。父が手を押さえながら家に駆け込んできた。丸いのこぎりに軍手がひっかかり、左手を巻き込まれ、血だらけになっていた。

手をバスタオルでぐるぐる巻きにして、母と父が家から1㎞くらいある病院に行った。救急車をなぜ呼ばなかったのか、呼ぶ手段がなかったのか、父は歩いて病院まで行った。姉も心配で両親の後をずっと病院まで付いていった。結果、父は、左手の人差し指を切断し、中指は節がまがったまま固まってしまった。当時の病院は緊急で駆け込んだ父を数時間待たせてやっと治療したという。もし救急車で前橋市内の整形外科に行けたとしたら、父の切断した指は元通り手にもどったかもしれない。

父は元来器用な人なので、生活や仕事に不自由さはみせず、何でもこなした。中学・高校・大学と三人の子どもを教育するのに甘えたことは言っていられなかったのだろう。その後父は福祉分野に特に力をいれたわけではないが、困っている人と一緒に考えた。前橋市に合併する前の富士見村の村会議員や社会福祉協議会の役員を引き受け自分にできることを精一杯やった。

今はお米と野菜をつくっている。80過ぎてこれだけの仕事をこなすのは大変だと思うが、清水先生流にいえば「仕事をやっていくことは元気の素」。一ヵ月に一度東京で野菜を売ることが楽しみになっている。この日ばかりは母の心配もなくて済む。だんだん顔見知りの人が増えて、あれこれ質問されることが嬉しくて仕方ないようだ。今の父の楽しみになっている。

私の家では、祖父と父が大変なことを一手に引き受けてくれたおかげで私たちは平穏に暮らせているのだと感じる。人の一生良いことばかりも悪いことばかりも続かない、そんなことを実感している。そして今の私は長いこと不出来な私を雇い続けてくれた清水先生に感謝している。先生はとびきり忍耐強い人だと思う。あと何年この事務所で働かせていただけるかわからないから、あと何年ネットワークの事務局のお手伝いを続けることができるのかわからないが、普通の法律事務では到底出会うことのできないたくさんの人たちにたくさんのご縁をいただき、たくさんのことを勉強させていただいた。いくら感謝してもしたりない。

クリスマス会会計報告

平成28年12月17日 クリスマス会会計報告

参加者23人×2000円=46,000円
ピザ 6.976円
寿司 11,519円
ケーキ 6,000円
からあげ 3,240円
氷 498円
肉・ハム等 6,091円
野菜・調味料等 5,054円
39,378円
46,000-39378=6,622円
杢さんを囲む会残金 300円


6,922円→ネットワーク会計へカンパ

当日の様子

毎年参加してくれていた S ちゃん、N ちゃん、S ちゃん、R ちゃんが塾やお稽古事のために今年は参加できませんでした。お子さんたちがいないと寂しいですね。

が、初めての方が3名参加してくださいました。NHKの記者の方で福祉畑ははじめてなので、どのような立ち位置で取材をしたらよいか考えているので会にいろいろな方が集まる機会に参加させてくださいと、参加してくださいました。NHKの三浦さんです。
クリスマスの感想を書いて下さった I さんは、会員になってくださいました。
三浦さんがいらしてくださったので、議論が白熱しました。
準備をお手伝い下さった杢隊長をはじめとするみなさん、ありがとうございました。阿部寮の皆さまにも何時もお手伝いいただいています。助かります!!

月例会報告(29.1.10)

  • 3月25日にNPO設立15周年記念講演会と祝賀パーティーを行うことを確認した。
  • ご寄付いただきました。

<Mさん息子さん死亡事件裁判>
提訴予定。ネットワークに裁判支援要請があった。
14歳重度の知的障がい。思春期で問題が出てきて入所することになった。入所から 1 年で亡くなる。施設を出て行方不明になり、高尾山の登山道で発見された。
死亡から4ヵ月後に身元が判明。
今後提訴予定。人権ネットワークで全面的に支援する。
施設を出てから高尾山で亡くなるまで、どうして一人で居ることをおかしいと思ったり、声を掛けてくれる人がいなかったのだろう。

<JR駅の無人化について>
JR九州で利用者の少ない駅の無人化が検討されているが、サポートの必要な人の利用ができなくなる。

編集後記

新しい年になって初めての会報です。同封させていただきましたようにNPO法人設立15周年を記念して三戸学さんを講師にお願いし、記念講演をしていただきます。その後は楽しくみんなでパーティーです。企画の段階からどなたが出席して下さるだろうかと楽しみにしています。今後このような企画は立てられないかもしれませんから、今回是非ご出席ください。本当にたくさんの方に参加していただきたい気持で一杯ですので、何の原稿を書き始めても講演会・パーティーのことに触れてしまいます。皆さん、是非是非ご参加ください。初めてお会いする方がたくさんになればいいなと期待しています。

藤岡先生から採澤先生に原稿依頼していただき、今回は書き下ろし原稿をいただきました。他にもネットワークのHPを担当してくだっさっているNさんが子育て真っ最中にもかかわらず原稿を書いてくださいました。会員になったばかりのIさんも快くクリスマス会の感想を書いてくださいました。みなさん、ご自分のこと、家族のこと、世の中に対する不満やこんな素敵な人がいた、良いことがあった、俳句や短歌、詩などなど、どんどんお寄せください。

それから、弁護士ネットの柳原由以先生がNHKのハートネットで障害者差別に関するQ&Aの回答担当をされていましたので、コピーをいれさせていただきました。若い弁護士さんのお名前がどんどん出てきて、うれしくなりますね。

春が待たれます。が、冬の間にしっかり芽吹きの準備をする植物や野菜を見習って、私たちも地道に活動していきましょう。事務局を置く銀座は建て替えをして新しくなったビルがどんどん増えています。新しいビル探検も楽しいと思います。勉強しながら、楽しいことを見つけながらこの一年を皆さまとご一緒に過ごしていけたらと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

パーティーにいらしてくださいね。
お待ちしています!!