2014年5月11日 加藤登紀子さん講演会

2014年5月11日、歌手の加藤登紀子さんにご講演いただくことができました。

スクール形式は好きじゃない

「私、スクール形式は好きじゃないの。みんなの顔が見えるように、椅子だけにしてなるべく近くに座りましょう」と加藤さんから提案下さり、テーブルを外し、椅子だけにしました。加藤さんと清水弁護士に前にすわっていただき、みんなでぐるりとお二人を囲み、至近距離でお話しを伺うことができました。

建物は粗末な方がいい。直線は好きじゃない

加藤さんは建物は粗末な方がいい。直線、直線、四角い線は好きではない。鉄筋コンクリート造りの建物には違和感がある。自然界に直線はないでしょう。学生時代に木造校舎が鉄筋コンクリート造に建て替えられることになり、建てかえの期間倉庫のような所で授業を受けた。そのときは心が開放された。鴨川で自然農場をやっているが、鴨川には直線がないので、落ち着ける。曲線のところでのびのび暮らす、これがいい。

自給自足の生活はお金がかからない-鴨川の自然農園

鴨川の自然農園は12年まえに亡くなった主人が始めた。ある人がその農場で働くことになったが、初めてで何も分からず、それでも、無給では張り合いがないのでいくらかお給料を払うことにした。農業の先輩たちは、一から教えるのだから、授業料を払ってもらった方がいいくらいだとの意見だったが、結局一ヵ月5万円と決めたが、自給自足の生活を志す中ではお金を使うことはほとんど無くてすむ。

民主主義にわき、生きることに積極的で元気だった1960年代

1960年代、学生時代は戦後で、民主主義や権利に誰もが目覚めた時期だった。例えばクラスの席替えをするのにもみんなで、ああじゃない、こうじゃないと話しあった。結局、好きな人と並べばいいということになり、全員が誰と並びたいかのアンケートに記入した。加藤さんは、一旦好きな男子の名前を用紙にいったんは書いたが、悩んだ末消しゴムで消して提出した。ところがなんと思いがけず席はその名前を消して提出した、アンケートに書いた男子だった。恥ずかしくてそちらを向くことも出来ないほどだった。その男子が並びたい女子の名前として、加藤さんの名前を書いた結果だったのか、消しゴムで消した名前を読んだ先生が格別の配慮をしてくれたのか、今でもわかない。きゅーんと胸がいたくなるような甘酸っぱい思い出。

デズモンド・モリスの「裸のサル」

人間は二足歩行になったことで、脳が発達し、他の動物とは違う。そもそも動物は自然に生きるのが当たり前、動物園の動物たちはストレスを抱えてノイローゼになる。人間は出生時脳が発達していない。他の動物が成人の7割程度の脳をもって出生するのと大きく違う。だから育児が必要になる。

先生に反乱-正義感が強かった-

生理で体育を見学する女子が多く、先生が「おまえたち本当にそうか?」と疑いを持った感じだったので先生に反発して女子全員がその日の体育を見学した。夕方校長先生に申し開きをするため、「加藤ちょっと来てくれ」と級長だった加藤さんが呼ばれた。が、女子全員で体育の見学をしたのに、一人だけ呼び出されるのはおかしい、「全員で行きます」とクラスメートが担任の先生に言ったところ、「わかった、もういいよ」ということになり、免れたとのこと。

サスティナビリティーのために

縄文時代はどの時代よりも長く続いた。持続可能な社会の構造だった。持続可能な社会をつくるため、海外との貿易に依存していてはだめ。自給自足しなければ。自給自足のためには、外食産業を太らせていてはダメ、最低でも炊事は自らすること。食事作りで孫の心をがしっと掴んでいる。自分の暮らしに自給ごっこをとりいれたらいい。

距離が近ければ言葉はいらない

25㎝の距離だと、キス出来る距離になって、言葉はいらない。人間は近くで話し合えば理解し合える。

原発反対の姿勢を

加藤さんは講演会終了後も会場に残ってくださり、原発稼動反対の立場で、時間の許す限りお話し下さいました。
加藤さんのお話しの中に登場するお母様は、戦時中子供達をしっかり守るために、たとえ相手方の軍人であってもしっかりものを言う方だった、現在もご高齢にもかかわらず、しゃんとしていらして、お見舞いに行く加藤さんに「あなたは大丈夫?」と返す、病院にいる私は大丈夫だからということだそうですが、リハビリもしっかりされて、かくしゃくとされている、とても魅力的な方ですね。
これからの人生、私も加藤さんのように自分の考えをしっかりもち、前向きに日々を送りたいと思います。
7月12日のオーチャードホールでのコンサート、人権ネットワーク関係では総勢35名が拝聴にでかけます。今度は歌とお話しを楽しませていただきます。

文責 小野清美

参加者の感想

時代の空気を敏感に察知して歌手としての活動ばかりか、種々の運動に力を注いでいらした方のパワー溢れるTALKに感動しました。一人の女性としての生き方にも大いに共感し、子や孫との関わり合いの中で次の時代へと続く世代へ自分の生き様をしっかり見競れいらっしゃる姿にも人間としての魅力を感じました。何時間でもお話しができそうな奥深いものがあり、今回の充実したひとときを深く感謝します。(Kさん)

従来ステージの人というイメージが強かったですが、今回のお話しを拝聴して極めて身近かな人という印象を受けました。(Iさん)

すてきなお話しを伺いました。とくに、骨折されたお母様から、見舞いに行くと「私はいいからあなたは大丈夫なの?」と声をかけられること、自分も入院して見舞いに来てくれる人たちに「あなたは大丈夫?」と声をかけたいと思っていること、素敵でした。
自分が幸せと言えることと、周りの人に大丈夫と気遣える心の余裕が何より大切とおっしゃる登紀子さん。今回のお話しが聞けて本当によかったです。(早田賢史)

今後障害者に関わられるとのことでしたので、直接お話しさせていただける機会のあることを希っています。(視覚障害者 坂本)

昨日は、加藤登紀子さんの講演会に参加させていただき有難うございました。
私は加藤さんの歌が大好きですが、ラジオ深夜便の常連である加藤さんのお話を聞いて、その思いやりのあるやさしいお人柄と確りとした信念をもち前向きに生きていく姿勢に感服しておりました。高嶺の花のような加藤さんが少しも飾らずにアットホームな感じでお話をしてくださり親しみを感じました。講演と言うより膝を交えて語り合う「車座集会」のようでした。
私の故郷は長野県ですが、2000年10月に、高校の20年後輩である田中康夫さんが「長野県から日本を変える」というスローガンのもとに長野県知事選に挑戦して20年間続いた吉村知事を破って当選したときに「車座集会」からスタートしたのを思い出しました。 田中さんは、知事になってから「脱ダム宣言」、「脱記者クラブ宣言」など斬新な政策を実行したので日本も変わるのではないかと思ったことがありましたが、孤立無援で次々と新しい政策を打ち出したため守旧派やマスコミの激しい反対に遭って2期で退任して衆議院議員に転出してしまいました。
現在は、とくに原発事故後は「近代の終わりの始まり」といわれる混迷の時代に突入しており、国民は夢も希望も持てない危機的状況に陥っております。私は、加藤さんが「自然エネルギー推進会議」の発起人になられたのを知り、来年の統一地方選挙で加藤さんが「千葉から日本を変える」と言って「千葉県知事」選に挑戦していただきたいなと思っています。加藤さんなら絶対に当選すると思います。加藤さんが立ち上がれば、日本各地で風が吹き日本が変わると思います。頑張ってください。!!
これが、昨日、加藤さんのお話を聞いた私の感想です。(柏原 晃一)

加藤登紀子さんにご講演いただく機会を得られて、私達はとても幸せでした。加藤さんと親しく交流のある人権ネットワークの会員の方のご尽力で、会始まって以来の超有名人にお出でいただくことができました。ありがとうございました。
急遽講演戴くことが決まり、時間的余裕がなかったにもかかわらず、たくさんの方にお出でいただき、こちらも本当にありがとうございました。
普段テレビやラジオの中の人だった加藤登紀子さんが、視覚障害の会員の向さんをごく自然に、当たり前に腕をとって、ガイドして講演会場に入って来られました。とても感動的でした。差別や偏見のない方で、ぐっと身近に感じられました。