会報90号(2019.9.21)

理事一同
だいぶ過ごしやすくなってきました。皆様お元気で夏を乗り越えられたとことと思います。

さて、先週の台風は関東直撃でした。千葉県にお住いの会員の方も多く、電気のない生活が11日間もつづいていることを思い、ご苦労はいかがばかりかとお察しいたします。心よりお見舞い申し上げます。生活の根幹にかかわる電気が一日も早く通電し、少しでも快適な生活にもどれることをお祈りするばかりです。東電に復旧を急いでいただきたいと願います。

土曜日に会報発行作業を行います。今更ではありますが、千葉にお住いの方々のご住所を点検しながら行いたいと思っています。
いつもと変わらぬ生活ができている私たちがいつもと変わらぬ会報をお送りすることは一つの役割だという思いで送らせていただきます。

多摩全生園、国立ハンセン病資料館へのお誘い

10月26日(土)
西武池袋線「清瀬駅」南口で待ち合わせてバスで資料館に向かいます。久米川行バスに乗り、「ハンセン病資料館前」でおります。資料館はすぐ目の前です。

DVDで映画「あん」「砂の器」「私が捨てた女」などを見てから資料館に行くと一層深まるそうです。是非。

ハンセン病資料館のある多摩全生園は、敷地がとても広いので一日で資料館を見て、人権の森に行きと全部を網羅することはできません。ご自分の行きたい場所をピンポイントで行くのが効率的です。資料のコピーを同封いたします。ご覧ください。

お昼は・・・全生園の中に「お食事処 なごみ」があります。森の釜めしが表紙を飾っていますが、中にはテイクアウトのお弁当(500円l)、おにぎり(100円)などもあります
。東屋や公園の中で食べるのでもよいと思います。
資料館見学後は皆さんのご希望により、カラオケボックスに行くのでも、居酒屋にいくのでもよいと思います。その場で決めましょう。
清瀬にお住いの塚本裕子さんが資料集めや研修施設を借りる場合の条件など調べてくださいました。懇親会かカラオケボックスで合流です。

途中参加大歓迎です。注意しておきますので、小野の携帯にご連絡ください。

北海道で想うこと

私は毎年6月から10月にかけて北海道滞在生活を続けている。もう10年近く続いている。北海道旅行としては47年間毎年春夏秋冬問わず北海道に来ている。なぜかというと、北海道が好きだからである。

私は子供のころから雑誌の写真で、山、草原を見るのが好きで、大人になったら行きたいと思い続けてきた。人生は一度しかない。悔いのない人生を送りたい。後悔だけはどんなことでもしたくないというのが私の信条だ。私たちが幼いころは人生60年と言われていた。寿命は60年。小学校の授業中に自分が死ぬまでにどのくらいの時間があるのかを何時間、何分と計算し、そのうち寝る時間を引くと、なんてことを考える変わった子供だった。死ぬまでの時間を考えると一日、一日を無駄に過ごせなくなる。自分は障害があるにもかかわらず、卒業、就職し、定年まで働き、定年(当時55歳)後は退職金とこれまでの蓄えで自転車(サイクリング)で世界一周することを実現しようと考えていた。これは夢ではなく、本気でそう思っていた。仕事があるかどうかもわからないのに。

ところで、20代の後半に私の生涯有する時間に一つ計算間違いがあることに気づいた。それは、人間年齢を重ねると体力が低下していくのにそのことを忘れていたことだ。これはいかん。早々に修正しなければならないと思い、家族に相談もせず、退職した。3月31日付で退職(これは年金受給期間の切れがいいから)。その翌月、単身でスウェーデンに行った。海外渡航の経験は全くなく、なぜスウェーデンを選んだかと言えば、福祉国家で治安もいいという理由からだった。初めての海外渡航なので、準備に一か月を費やした。
移動手段には現地のレンタカーを使うことにした。今思えば無謀だった。宿もその場その場で探す。しかし、現地に行くと、日本で考えていたよりもずっと一人旅は快適だった。帰国し、海外旅行は人生勉強になると悟り、翌月よりまたスウェーデン、ノルウェー、フィンランドに行った。旅立ったのは春、帰国は秋だった。福祉国家というものが何となくわかり、今度は冬から春までの予定でアメリカに旅立った。さすがアメリカ、毎日どこかで人が殺される。私は昼間しか移動せず、全州長距離バスでの移動だ。アメリカは広い。冬の季節で北のシカゴ、ボストンは氷点下、南のフロリダ、キーウェストは真夏だった。当時のアメリカは食料品は日本の倍の量があり、値段は日本の半分だった。日本は物価が高いと思った。毎日起こる殺人事件もアメリカでは当たり前と感覚がマヒしてきた。マヒする感覚を恐ろしいと感じた。

海外旅行のほかにもやりたいことがあった。小さいころから山登りをしたいという願望があった。子供のころ、課外授業の登山会は私はいつも自宅待機だった。障害があるから仕方ないとは思いつつ、それは悲しい思い出だった。大人になり、すぐに北アルプスの上高地から登山道で「涸沢(からさわ)カール」の手前、横尾まで20㎞を自転車で往復した。何回も登山道を往復した。今では足の筋力もなくなり、自転車での登山はとても無理なので、あの時行っておいてよかったと思うこの頃である。

悔いなくこれまでの人生を過ごしてきたが、すべて成功しているわけではなく、失敗もたくさんある。ただ言えることは、失敗を恐れるのではなく、まずやってみることが大事だ。だから私の人生には「あの時やっておけばよかった」の後悔がない。しかし人生には誰でも終わりがくる。今若者の自殺が多いが、一度きりの人生、無駄にしないでほしい。命を大切にしてほしい。どんなに追加の人生をくれと頼んだところでそれは不可能なのだから

多くの人に自分の存在をしってもらうため、日本のあちこち、海外にも出かけている。時に大変なことにも遭遇するし、疲れもするが、多くの人が私の存在を認めてくれていると感じる。今後も動ける限り外にでていこうと思う。

私のガイドヘルパーさん

宮崎の窪田です。今回は趣向を変え、私のガイドヘルパーさんについて綴りましょう。大袈裟な表現もありますので前もってご了承を。
同行援護を担う会社はNPOとして運営していますが、私を担当するグループは3人のご婦人で構成しています。行き先は主に散策であります。それで前もってルートを組み立てま
す。

例えば、Aさんは私よりもご年配ですが、小学校までは九州山地の奥深いところで育ちました。Aさんは、「祖母から、食べられる野草の見分け方を教わった」といいます。これを逃す手はないのであります。河の土手、田の畦を歩きながら野草の名やその育て方を教わることにしました。実行し始めると、それはそれはもう楽しいのです。足を止めて見えない野草やその花にデジカメのレンズを向けてシャッターを切ることもあります。レンズの向きもガイドが入ります。見えない写真の画像を整理するのもこれまた楽し…。

Bさんは小学生のお子さんをもつおかあさんです。結婚前に筋トレで鍛えていたというだけあって、子育てもパワフルでして、その子育て奮闘記を拝聴しつながら大笑いしつつ、歩いているのであります。 夏の暑い日、地元の無人駅から離れたところの無人駅まで足をのばしたことがありました。慣れない地で、私の足も遅くなります。それでも、パワフルおかあさんはグイグイと引きます。ヘトヘトになりがらの散策ですが、思わぬ物を発見しました。皆さんは信じないでしょうが、「鋳鉄でなく木桶の五右衛門風呂」を発見しました。そんなの信じない!って?そう言うであろうと思い、写真に撮って、新聞社に送ってあります。回答ですか? それは教えられません。一大発見ですからね。

このように、パワフルおかあさんと歩くと、いつも何かしらの発見をするのであります。次回は、無人家の熟した柿の真下に私は佇むことにしています。もしかして、パワフルおかあさんが柿の木の根っこを蹴飛ばすのでは? って…。いえそれは犯罪ですのでやりません。ええと…。

一昨日もパワフルおかあさんは私をグイグイと引っ張っていました。久しぶりの婿殿曰く、「おや? おとうさんやせましたね。体型がほそくなっていますよ」
※Cさんについてはいつか。

数珠玉

数珠玉探しです。
初回が7月、そのときは、葉に触れると稲の葉のようにザラザラしておりました。私の腰あたりまで伸びた先にはススキの穂みたいにフワフワしたものがついていたけど、花なのかそれとも別組織なのかわからなかったのであります。

9月初めのときは、場所を見失って失敗。そして、2週間後の本日(17日)もまたまた挑んでみることにしました。3回目です。

向かう先は牟田(むた)地区。牟田とは湿田もしくは湿地帯の意味です。もちろん、昔のことでありました。同じ牟田の表記に福岡県大牟田市があります。

この一帯を東へと流れ下っているのが、川幅50メートルの井替川で、大昔の村人が川の流れを移し替えたと言いたげな川の名です。

さて、向かう途中で、河土手の両側に彼岸花が群れ咲いているとの声に足を止めました。赤と白です。カメラに撮り込みました。そういえば、彼岸も間近であります。

今回は1本手前の畦から入ることにしました。まさに的中!目当ての数珠玉は健在でした。しっかりと根付いていて、触ると堅い玉が膨らみかけています。色はまだ緑らしい。満足のいく大きさになるまでまだ数週間はかかりそうな。
このように未成熟の数珠玉でしたが、シャッターは押しました。

本日はここまで。
※今回のヘルパーさんは、子育て奮闘中のパワフルおかあさんでした。途中の会話もまた楽し。

ダイエットジュースのご紹介

ダイエット大成功で見違えるように素敵になったAさんがダイエットメニューを紹介してくださいました。目指せ阿部さん!です。おためし下さい。
ミックスジュース ♬ ミックスジュース ♬ ミックスジューース そいつをぐぐっと飲み干せば・・・・・なんて子供向け歌がありましたね。

特製にんじんバナナミックスジュース

〇作り方
材料をミキサーにかける

〇材料

  • にんじん1~2本
  • バナナ2本豆乳200㎖
  • チアシード:大さじ1杯
  • ココナッツオイル:大さじ2杯
  • 大豆プロテイン:大さじ4杯
  • 備長炭パウダー:小さじ1杯
  • 食用(そのまま食べられる)ぬか:大さじ1杯
  • てんさい糖:大さじ1杯
  • しょうがパウダー:小さじ0.5杯
  • 黒酢:大さじ1杯
  • ごま:大さじ1杯

〇効能
①脂肪燃焼効果
②腸内環境の改善
③血流改善(血圧改善)

※大豆プロテインは筋トレ(腕立て伏せ、腹筋運動、背筋運動、スクワット各400回)の効果
アップのために摂取しています。

母のこと、仕事のこと、あれやこれ

母は86歳になる。私の両親は同級生同士だから父も86歳。義母は少し上の89歳。自分がこの年になってまだ両親が3人そろっていて、それもみな元気でいてくれることは本当にありがたい。

母は70代のころ、「ボケたくない」とよく言っていた。誰もがそうだと思うが、人一倍他人に気を遣う母は迷惑をかけてまで長生きしたくないとよく私たちに言っていた。皮肉なことに7年前、脳梗塞で倒れ、父の対応が早かったために身体的な障害は残らなかったが、医師の診断通り、認知症が少しずつ進んできている。あの頃の母は膝の手術をうけていたが、周りの若い人たちに大切にしていただき、ひざ手術後の入院生活はとても楽しかったようで、家にかえるのを渋ったほどだ。特に親切にしてくれた若いお兄さんがイケメンだったのかなぁ。

私の実家で大学の4年間を過ごさせてもらった娘が私たちにも娘にも両親にも思いがけない理由でやむなく引っ越しすることになり、卒業まで一緒に過ごしたかった両親は私たち以上に落胆した。母は泣きながら、卒業式までおいてやれなかったことを悲しんで詫びた。そのことがストレスになったのだと思う。娘が12月に実家から引っ越した翌年の正月、母が倒れて病院に搬送されたと連絡がきた。

娘を卒業までおいてやれなかったことが耐えられない悲しい出来事だったに違いない。
以来そのことをずっと気に病んで、1カ月近くを過ごしたが、それがストレスになって、脳梗塞を発症してしまったのだろうと思う。娘を実家にお願いしなければ、最初から実家近くのアパートに住まわせれば、と私たちにとってもやりきれない思いが残った。しかし、父は10㎞くらいある上り坂を電動機付き自転車で「お母さん、たい肥のにおいが堪らない!!」と言いながら田んぼや畑の間を抜けて通学する娘を雨が降れば迎えに行き、友達が携帯を落としたといえば警察につきあい、娘の友達とも知り合いになってしまった。母は親元を離れ一人で群馬で暮らす娘が不憫だったのか、娘の大好きなメロンパンを買ってきてはそおっと枕元に置いてくれた。娘はそれを「お供えメロンパン」と喜んだ。たまに枕の下にお小遣いを忍ばせてくれていたこともあったらしい。居酒屋でバイトをし、好きな時間に起き、好きな時間に寝ていた娘だったが、じじばばに遠慮がなかったので、3人はそれなりに楽しい4年近くを過ごせた。「めぐちゃん、めぐちゃん」ととてもかわいがってくれた。そして今も娘が行くととっても喜んでくれる。だからそのことに後悔はない。それを後悔したら両親に、娘に、申し訳ない。

母に申し訳ないのはあれほど母が避けたかった認知症のきっかけをつくってしまったことだ。神様は何のためにこんなことをされたのだろう。何にも意味がある。ならば母を苦しめることに何を学べというのだろう。わからない。理解できない。母は父がいなければ生活できない。いつも「お父さん、お父さん」と父を探し回る。だからと言って、優しく接するわけではない。あんなにやさしい人だったのに、父にはきつく当たる。物をしまい込んでしまうので始終探し物をしている。認知症と付き合うのはむつかしい。そのことを一番切実に感じているのは母だろうと思
う。ふっと次の瞬間何をしてよいのかわからなくなることがある。どこに行ったらいいのか、「顔の洗い方がわからなくなった」といったこともあった。次の動作を組み立てられないことはとても不安だろうと思う。周りの私たちは母を理解しようとするが、それでも「こんなはずではない」思いで、母を強い口調で叱ってしまうことがある。いっしょに生活していない私や姉には父の苦労は計り知れない。そんな母が、やはり母親であることを所々で見せつける。私はイライラが募ると耳を触ったり、頬を掻きこしたりする。だから右頬はあざのようになっている。まあ、おばあさんだからいいでしょ、と気にしないが、母は目ざとく見つけて、「どうしたの?」と聞いてくる。帰ろうとする時にも「お父さん、清美を一人でかえしていいの?送って行ってやって。娘を一人でかえすなんて危ない」と気づかいする。「お母さん、このおばさん?おばあさんになった私を後ろからでも襲うもの好きな人はいないから大丈夫」と逃げ帰る。
母は母。認知症でも母は母。
 この4月から働き始めた中央区役所の子ども家庭支援センターというところの業務に少しだけ慣れてきたが、手持無沙汰な時間が多い。何も仕事がないのはつらい。川井さんは20数年隔離職場で過ごしたと聞いたがその精神力の強さに脱帽だ。
 
お役所仕事を目の当たりにして、皆さんの真摯な姿勢に頭が下がる。特に虐待の相談係は夜昼なく、48時間ルールに従い忙しく動き回り、ことを未然に防ごう、小さなうちに火元を消そうと躍起になっている。皆さんすごい。事業係の人たちも忙しく立ち働いているが、事務作業補助の私に振る仕事は単純で細かくて、一生懸命にやってしまうとすぐに終わる。「何か仕事ありませんか?」と聞くと誰かがやらなければいけないことではあるが、どうしてもではなく、いつでもよいような申請書を「平成」から「令和」に訂正し、区長の名前を「山本泰人」さんに変えるためのゴム印押しを言われ、ずいぶんやった。令和に親しみ、区長さんにも一番親しんでいるのは私だ。でも、それももう少しで終わってしまう。私に仕事を!居眠りがでてしまう。解雇理由になるか!!相談係が脇で、電話は頻繁に鳴る。私がいるのは業務係で今は予算要求のための書類づくりに全員が奔走している。そんな中で言われたことしかできな私はついつい手持無沙汰になる。お給料泥棒だ。どうか私に仕事を!!

ネットワークに参加くださっていた方から、退会する、会報は送らないでください、と連絡があった。原因はほんの些細な事と思ったがそうではないらしい。
そしてもう一つ、いつも通勤寮の皆さんがほぼ決まって4人そろって総会、暑気払い、クリスマス会と参加してくださっていたが、暑気払いにお誘いの電話を入れると、「参加してもつまらないから、行きません」と返答が返ってきた。その方たちにどんな配慮ができていたろうか。

私は、この1年ちょっとで我慢がたりないのか、仕事も3度変わった、実家もほおっておけない、3月に亡くなった方の遺品整理もある、などなど、個人的な理由で落ち着かない日々の中、ネットの事務作業もやっとの状態だ。いやいや、こんなこと理由にならない。居心地よい場所づくりが私の役割ではないか。目に見えないバリアがあるのに気づかなかった。会活動の難しさを改めて知る。落ち着きを取り戻しつつある生活の中で、どうすればよいかを考えたい。皆さんも考えてください。

そんなこんながあったためか、今年の暑気払いは15人と今までで一番少ない人数だった。ゆっくりおしゃべりするには都合の良い人数だったが、飲食の行事にこの人数は寂しかった。

西村さん、やっとやっと都合をつけて、仕事明けにせっかく来てくださったのに、たどり着くお手伝いができずすみません。皆で最後までお待ちしていたんですよ。
坂本さん、私がまだ職探し中なら埼玉のコーヒータイムにネットワークの事務局ごと置いてあげてもいいですよ。お給料は安いけど、とありがたいお誘いをいただき、感謝しています。またお話を聞かせてください。
いいことも面倒なことも、嫌なことも、うれしいことも切ないことも、すべてを丸々受け入れて、それでもネットワークが、そこにいてくださるみなさんが好きです!!

編集後記

彼岸花を手折って持ち帰ると火事になると子供のころ言われたことを思い出します。ちょっと触れただけでもポキッと折れてしまうあぜ道に咲く華やかな赤い花を大切にしたかったのかもしれません。中学2年生のときの国語の授業で、曼殊沙華の花は何の花ににているか、との先生の質問にみんなであれやこれや意見を言い合ったことを思い出します。

春の全生園は桜がとてもきれいだと聞いています。お花見はまたいずれとして今回はせっかくの機会ですから資料館見学に行きましょう。お昼はお弁当を買ってきて園の中で食べてもよいですし、食堂もあるので、そこでも食べられます。食事の心配よりもまずは資料館見学ですね。是非ご参加お願いいたします。

名児耶さんのご都合がよくなったら浅草散策も予定しましょう。勉強も大切、動くことも大切と感じています。

来年はいよいよオリンピック、パラリンピック。障害を持つ海外の方のためにネットでブースをつくっておもてなしするなど夢でしょうか。

松澤さんの裁判はおわりましたが、ネットワークの会員の中にもご自身の裁判の当事者となっている方がいらっしゃいます。みんなで考えましょう。遠方でもメールやお手紙で状況をお知らせください。

何かできることを考えていけたらいいなと思います。今後もネットワークにお付き合い、よろしくお願いいたします。できることからコツコツとやっていけたらと思います。

月例会の後田中事務所のビルの1階にある俺のベーカリーによりました。ほぼ閉店の時間でしたが、おばさまパワーに屈して、特別に入店させていただけました。便宜を図ってくれたからではなく、トーストがおいしかったです。今度は皆様も是非。