7月24日、前々から予定していた佐渡を目指して、早朝東京駅を出発した。乗車直前、佐渡の晶子さんから「どしゃ降り」のメール。台風の影響で大気は不安定という天気予報も、東京は今日も暑くなりそうな陽射し。晴れ女を自称している私はあまり気にしなかったが、長いトンネルを抜けて越後湯沢に出ると視界は一転。乳白色のカーテンに閉ざされた風景の中を進んでいく。期待していた八海山はもちろん、越後の山々はその存在すらも感じられない。新潟駅から乗船場までの路面はぬれていたものの、雨にはあわず。佐渡両津港への船中では、節分の豆まきのように雨粒が時々バラバラッと船窓をたたいていたが、佐渡両津港上陸時には薄日も射して、どしゃ降りには程遠い空模様。待ち合い所には長靴をはいた晶子さんと相棒クマクマ(雌犬)を発見。5月の戸塚でのアマホロさんの葬儀の時はキャンピングカーの中で、クークー悲しそうに啼いていたクマクマは全身がはち切れんばかりの勢いで、出迎えてくれた。
早速、晶子さんの運転でどじょっこ田んぼへ。名目上今回の佐渡行の第一目的は、10年来励んでいる能のシテ方の稽古会参加なのだが、私的にはどじょっこ田んぼの今をこの目で見ること。そのためにひと足早くに東京を発った。夏は袴に単衣を着用するが、夏の稽古会は平たくゆかた会と称して、一年おきに各地の能舞台で仕舞や謡を楽しんでいる。今年は佐渡で、と一昨年に決まっていた。そのことを知らせた時にはまだアマホロさんはお元気でいらしたので、まさかこんな展開になるとは想像していなかった。
米作りは寒い冬のうちから始まる。種子の準備、苗作り、田んぼの下準備、田おこし、田植え…。その正にいよいよこれからという時にアマホロさんは倒れ、急逝された。看病、葬儀と並行して米作りの作業。どんなに晶子さんは大変だっただろう。自由参加の援農隊の協力を充分に得ることができたのだろうか。早く田んぼを見てみたい。
どじょっこ田んぼに到着。用意してくれた長靴にはきかえて車を降りる。空は降ったり止んだりと気まぐれ。前日に畦の草をザッと刈り込んだという畦に一歩踏み出す。可愛く咲いているからと、所々に黄色やピンクの花をつけた草が残されている。畦を保つためにも草が生えていることが必要なのだそうだ。クマクマは田んぼの安全を確かめるように、走り廻ったり、フッと止まって遠くを見やったりといっぱしの仕事ぶりである。この田んぼは完全無農薬なのだそうだ。佐渡ではあと1ヶ所のみという。高齢化も進み人手が足りないので、どうしても農薬を使わないとならない状況に追い込まれる米農家が出てきてしまうそうだ。農薬を使ってないことで、この田んぼには生き物がいっぱいいる。しゃがんで田んぼを覗いていると、足元の畦に見たこともないクモを次々見つけた。虫もこんなにきれいな色と模様をもっているのだと感嘆してしまう。大学院生や研究者が採集や観察に訪れるというのも頷ける。クモの研究者はつまんだクモをパクッと食べてしまったそうだ。
さまざまな生き物が、ゴッチャに生きているのが、本来の生きる姿なのだと感じさせてくれるどじょっこ田んぼだった。晴れ渡った青空の下でなかったことが、かえってグングン育っている稲の緑を引き立ててくれているように思えた。
人権ネットで以前どじょっこ田んぼを見学した時は、収穫直前の黄金色だった。あとひと月余りでそうなるかなぁ…。今年はどんな味に仕上がるか。楽しみでもあり、いつまでも続いて欲しいと願わずにはいられなかった、今回のどじょっこ田んぼ訪問だった。