目次
人権ネットワーク活動記録
- 2025年6月21日会報作業
- 2025年6 月21日おしゃべりの会
- 2025年7月11日月例会(ZOOM会議)
- 2025年7月15日中央区にお願い書提出
- 2025年8月30日暑気払い
- 2025年9月12日月例会(ZOOM会議、ホストのパソコンの調子が悪く電話会議)
- 2025年9月27日東京都へNPO報告書提出
- 2025年10月4日会報作業
これからの行事予定
- 令和7 年10月4日(土)会報発送作業・月例会正午から中央通り法律事務所
- 令和7 年10月18日(土)おしゃべりの会2時から中央通り法律事務所
- 令和7 年11月8日(土)午後1時から赤坂迎賓館見学、庭園散策
- 令和7 年11月14日(金) 月例会(ZOOM会議)
- 令和7 年11月8日(土)13時から秋の散策
場所赤坂迎賓館庭園散策
午後1時迎賓館西口集合
入観料1,500円
出欠連絡11月5日までにお願いします。 - 11月20日清水建夫先生追悼文集原稿締め切り
- 12月13日(土)クリスマス会
申し訳ありません。1週間早めさせていただきます。
会報原稿・情報をお寄せください。
どんな内容の原稿でも結構です。いただけるとありがたいです。ご協力お願いいたします。
年会費の納入、カンパをどうぞよろしくお願いいたします。
会費未納の方はご送金よろしくお願いいたします。
Ⅿさん国賠訴訟の傍聴をお願いします
Mさんが労基署を相手に国賠訴訟を提起した事件。最終局面に入っています。
月例会、おしゃべりの会、会報作業はどなたでも参加いただけます。
お手伝いいただけると助かります。
人権ネットワーク事務局の電話番号の変更について
都合により、この10月1日より以下のように電話番号が変わります。
03-6203-2956
訃報
当会の設立当初から長きに亘り活動の中心となって物心両面で人権ネットワークの発展、継続にご尽力されてこられた弁護士清水建夫先生が去る8月29日ご逝去されました。享年81歳でした。
ご家族のお話によりますと
2年前の夏、頭痛がするということで自ら日本医大に初診に行ったところ、硬膜下血腫と診断され、即日手術となりました。
簡単な手術(脳内の出血を外に出す手術)ということだったのですぐに終わる手術程度に考えていたところ、手術中大量出血してしまい、やっとのこと止血できICUに入りました。しかし、ほっとしたのも束の間、2日後にまた出血し、その後は寝たきりになってしまわれたそうです。
時折、音や固有名詞に反応する様子が見られたそうですが、ほぼ意識のない状態が続き、2年余りが経過した8月29日に帰らぬ人となりました。
清水建夫先生の生前のご功績に感謝申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
なお、9月1日に家族葬が執り行われ、その際も供花、お香典などをご辞退されましたことから、直接ご家族へのご連絡はお控えいただき、静かにお見守り頂くことをご家族の皆様もお望みではないかと考えます。
清水建夫先生追悼文集の作成について
諸々事情がありましたため、訃報連絡が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
皆さまとても驚かれたことと思いますが、実は、8月31日の暑気払いに参加下さった皆様にはご家族の事情を考えることなく、お伝えしてしまっていました。その席で参加下さった皆様とご相談し、
「清水先生の追悼文集をつくる」
ことが了承されました。
清水先生の生前のご功績やご支援、思い出に触れながら、清水先生の死を悼み、ご冥福を祈るための文章をお寄せいただけましたら幸いです。
A4の大きさであれば縦書きでも横書きでも構いません。長さはご自由です。
いただいた原稿をそのまま印刷します。
原稿の締め切り日を11月20日にしたいと思います。
追悼文集のタイトルについては、「清水建夫先生を忍ぶ」でよいかと思いますが、皆様のお考えをお聞かせください。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
中央区に対するお願い(提出済)
中央区長 山本泰人様
NPO法人障害児・者人権ネットワーク(以下「ネットワーク」といいます)は、中央区に事務局をおき活動をしている障害者団体です。
いつも私どもの活動にご理解、ご協力をいただき感謝申し上げます。ネットワークは年に数回ではありますが、中央区の会議室をお借りし、学習会、総会などを行っております。今年の総会は去る5月31日、場所は新川区民館2階の会議室をお借りして行いました。
当然のことながら障害者団体ですから、様々な障害を持った会員の方が参加しています。今回も車いす利用の方が参加されました。事務局の不手際であることは勿論なのですが、新川区民館にはエレベーターがないことを、総会3日前に会議室の確認のため新川区民館に電話をしたときにはじめて知りました。
受付の方は「ほかの団体の方は、皆さんで担って車いすの方を2階まで持ち上げていらっしゃいましたよ」と事も無げに言われていました。確かに私どもの確認不足ではあったのですが、中央区内の2階以上の建物にエレベーターがないなど想像だにしていませんでした。
実は、車いす利用者は理事長の私です。総会の場に理事長がいないことはあり得ません。私はかろうじて立ち上がれるので、手すりにつかまり、4人の人の介助を得て、途中何度も休みながら、1階から2階までの階段を上りました。
総会を終え、1階に降りるときにも同様でした。
ご存じのとおり、令和6年4月1日から障害者差別解消法が変わり、事業者にも合理的配慮が義務化されました。行政機関の合理的配慮の提供はすでに義務化されています。それなのに、という思いです。
今般お手紙を差し上げましたのは、「公共施設なのだからエレベーターを設置すべきではないか」と要望したいところですが、利用者のニーズの関係、費用の関係などから難しいという理由があるのだと理解しましたので、それならば、できる範囲で、費用もあまりかからない方法で、差別的な場面を作らない方策を講じてほしいとの要望を容れていただきたく、お願いしたいからです。
今回の会場予約は、中央区の予約システムを利用しました。もしも、予約システムの対象となる各施設について、車いす対応ができているか否かの表示なり記載なりがわかりやすいところにあれば、新川区民館は予約しなかったはずです。それぞれの会館のHPにも、わかりやすいところに、車いす対応ができているか否かの記載なり表示があれば気づきも早かったと思います。
上記について、速やかに善処していただきたく要望致します。更にお願いですが、無理をしてエレベーターのない施設を利用したとして、中央区に災害時の対応についての検討がなけれは障害者は置き去りです。もしもの時の対応につきましても、十分な対応をご検討いただきたく、重ねてお願い申し上げます。
今後とも中央区内の施設を利用させていただきますので、引き続きどうぞよろしくお願い致します。
以上
おしゃべりの会のお知らせ
10月18日(土)午後2時から4時
場所:中央通り法律事務所
参加費:200円
楽しいひと時を過ごしましょう。
ご参加お待ちしています。
秋の散策
赤坂迎賓館に行きませんか。
11月8日(土)午後1時迎賓館西門集合
入館料1,500円程度障害者手帳をお持ちの方は無料
●第40話 ちょっと前の昔物語【こんなに大きい蝶って初めて】
40度の熱波に襲われているというフランスのパリ、そのパリのセーヌ川で100年ぶりに川泳ぎが解禁されたのだそうな。
同じ頃、うちのラジオでは永六輔さんの歌う「こんにちは赤ちゃん 俺がパパだよ」の曲が流れていました。
ええと、そう聞えたなあ。
こちらも梅雨明け宣言で世の天気が狂っていることに改めて気づかされるのであります。
だけど、炎天下であろうと、土砂降りの雨だろうと、ヘルパーさんの五感レーダーは本日も研ぎ澄まされていました。
セオリー通りの「アラッ?」で始まったのです。
「カブトムシです メスですね 歩いていますよ」いや、クワガタと言ったかな?
私のガラケイを手にしたヘルパーさんは、シャッターを切りました。
ヌッ?次の異変が起きた気配です。一オクターブも跳ね上がって、素っ頓狂の音域。
「これ 蝶なの でも蝶だわね 」 己に言い聞かせていました。
「横幅20センチ、頭から尾まで8、いや10センチはあるかも」と。
ヘルパーさんは自分のスマホを取り出し、改めて撮りなおしました。そして、検索にかけたのです。
「へえ カラスアゲハというそうです。全身真っ黒で尾っぽに近い羽根にはちょっぴり色が混じっていて、鮮やかなオレンジ色が映えています。きれいな蝶だこと」と。
猛暑続きのこの天気にあって、喉の渇きにはどう対処しているんだろう?
ユラリとモーションを起こした気配です。ゆっくりと舞い上がったらしい。
飛び去った向こうには住宅だけが広がっているというのに。
「おーい 山は後ろだあ 反対の方角じゃがのおー」
届いたかな?
何が差別?
令和6年4月1日から差別解消法が変わりました。中でも障害者に対して「合理的配慮義務」を差別してはならないという法律が「努力義務」から「義務」に変わりました。
つまり、今まで「努力義務」では障害者をなるべく配慮してあげなさいというものであった。しかし実態はそれほど大きく変るものでもなく、私なんかは相変わらず義務化への実感はありません。
一つ問題があるとすれば、あまり世間にこの法律が知られておらず、事業者が「配慮義務」を怠ったとしても、法律的には罰則も罰金もありません。
他にも差別は障害者だけでなく、いろんな差別がはびこっています。
最近、外国人差別が話題になっており、特にアジア人に対しての人種、民族差別が強く、日本人だって差別されているのに、その日本人が同じように外国人に人種・民族差別をしている。私には理解できない。また、性差別問題、女性に対する暴力(DV)、障害者にも性差別があった。
旧優生保護法下で障碍者に不妊手術を強制したことは、法律による差別である。年齢差別も、日本人はどうして年齢を気にするのか、TVでも名前の脇に年齢が出ることがよくある。ホテルの宿帳でも年齢を記入する。他にも年齢を記入させられることが多い。しかし、誰もそのことは気にしない。宗教差別もある。特定の宗教を信仰する人への偏見など。値域を理由とした差別、地方出身者や特定の地域出身者(部落差別)への偏見等がある。障害者差別も然りです。また、病気への差別、HIV感染者、ハンセン病への差別がある。これだけではない。差別は他にもたくさんあります。
では、どうして差別は起こるのでしょうか。自分は当事者ではないとか、自分には関係ないとか、あるいは関わりたくないとか。仮に差別してもあまり意識していなくて、悪意であっても悪びれない。
もとに戻って、障害者差別について。
障害者への「合理的配慮義務」とは、どんなものか。私(車いす障害者1級)の実例で話してみたいと思います。
私一人バス停でバスの到着を待っていました。30分後バスが私の前に到着し、ドアが開きました。しかし、すぐにドアが閉まり、バスは私を置いたまま出発していきました。追いかけることもできず、悲しい思いをしました。この場面にご自分を置き換えたら、皆様はどう感じますか?これは合理的配慮云々以前の問題です。
私はすぐにバス会社に苦情を言い、調べてもらいました。バス会社の回答は、「運転手が気が付かず出発した」とのことでした。こんな理不尽なことはありません。まず、私と運転手さんとはしっかり目が合っています。今はワンマンバスであるから介助できないというのであればまだ理解できます。しかし、この場合、私と運転手さんとはコミュニケーションがとれていません。
実は私は介助なしで乗車できます。そのことすら、伝える機会を与えられませんでした。皆さんはこれを「区別」とみるのでしょうか、「差別」とみるのでしょうか。
私はこの事実を全国バス会社連合会とそれを管轄している国の国土交通省・運輸にも相談しましたが、回答は一切ありませんでした。
これが現実です。
社会を変えることは、簡単ではないことを、身に染みて感じています。
A型作業所、B型作業所・人権ネットワークに入会してください・茨城県大子町
A型作業所、B型作業所
会社に、就職をしたいけど、世の中から、あてにはされないから就職できない。
だから、B型がある?いいえ、違います。B型は、楽?違いますよ。最低賃金法にとらわれず、事業所に対し仕事をして、評価を受けて、工賃を得る。これが、B型に、なります。
組織一覧
企業→ハローワークに登録→働きたい人材確保→企業とマッチ
その確保できたらハローワークに報告。企業は、工賃になるように、発注をし、得た数だけ、無理はさせないようにします。
A型作業所はそこで働く人と雇用契約を結びますが、B型作業所は雇用契約は結びません。
株式会社 A型と同じ
ここでは、工賃ではなく、給与に、変わります。
会社規定があり、無理なものまでも要求はされます。
しかし、それは健常者だけであり、障害者には、それは、求めません。
障害を持つ人の働き場所としてA型作業所とB型作業所がありますから、自分がどのような働き方ができるか、休まずに行けるか、将来は一般企業に勤めたい思いがあるかどうかなど考えて決めなければなりません。
一般企業で働きたいひとは、障害者枠で働くことになったとしても責任をもって、仲間と仲良く、できないことはできないと言って、わかるまでおしえてもらう。そういうことが大事だと思います。
みなさんは、仕事と、遊びどちらが、いいですか。仕事をしたら、しっかり遊びましょう。働ける人で、働ける場所がある人、がんばりましょう。
人権ネットワークに入会してください
アップルの設立者スティーブ・ジョブズを、ご存知ですか。
彼は、本当の、お母さん、お父さんから、突き放され、養子に出されました。
原因は、ジョブズのお母さんのお父さんにありました。
ジョブズを生むなら、絶縁だ。私は、えっ、なぜと言う気持ちに、なりました。おめでたい、はずが、虚しくも悲しく散ってしまう話です。
そう言う話もあってか、私は、私たちは拒否はしません。私は理事を、していますが、入会をされる方が、もし、今後いるなら、いらして下さい。と言う気持ちです。
戦争では、アメリカ人が、日本にやってきて、キャラメルをあげたりするドラマがあったりはしますが、もし、それが、本当なら、戦争なんかしないで平和に暮らせたのにとさえ考えました。
人権ネットワークも、同じで、名前からすると固いイメージがあるとかで判断はしないでください。入会もしないで、わかるはずがありません。でも、そこは自由ですが、批判はしないでください。でも、みんなが楽しくて明るい社会の、ひと握りだと、思うなら、是非いらして下さい。そんなふうに私は理事までになるくらい人権ネットワークを大切に、思っています。
もし、アップルのような大規模な会だったら、みなさんはどうなさいますか。
花びらを、くる、こない、くる、こない、みたいになさいますか。
今は、選ぶ社会です。でも、人の生き様だけは、選ぶことは、できません。
大切なことは、何でしょうか。長生きをして、これでよかった。そう、考えていくのも、人権ネットワークの役割だと、思います。
入会をする、しないは、自由ですが、批判は、よくありません。人権ネットワークには、終わりはありませんが、会員数で、人権ネットワークが、続けていけるか、そうでないか分かれていきます。人権ネットワークは、みなさんの、心の、糧と、なることでしょう。
追伸
争い、憎しみ、恨み、怒りは、何も、結果としては、無です。
しかし、そこに気がつけば生きる会となるはずです。
茨城県大子町
茨城県大子町の山奥に、古い小学校がありました。
私は、学校法人 東海学院文化教養専門学校と、言う学校に、通ってました。
夜は、竹早高校定時制に通いながら通学を昼間していましたが、突然、大子に、行ってみないかと、学校長に言われました。竹早があるのは、伝えてました
が、何事にも、人生経験だよ。と言われて、大子に行きました。大子には、山と、ハヤという魚が有名です。八溝山も、有名です。
私は、竹早高校定時制に、まともに、通いはじめたのは、68日間休んでしまいましたが、それでも、両方卒業ができました。やれやれと言う感じでした。
大子で取得したご飯の炊き方などが貴重な体験でした。要するに黙って待っていても、ご飯は出てこない。と言う生活でした。
清水先生のこと
いろいろなことがありました。清水先生の下で働かせていただきながら、結婚をし、二人の子供をもち、子育てをし、、、私に対するたてお先生のご理解と忍耐がなければ35年もの間お世話になることはできなかったろうと本当に深く感謝しています。
いいこともそうではないことも、、、
思い出はたくさんありすぎて、とても言い尽くせません。
何故か先生が亡くなる少し前くらいから、今、私が大石先生のところで働かせていただけていることも、たてお先生が作ってくださったご縁があったからだ、たてお先生には感謝しかないと思っていたところでした。
たてお先生の病状はよくなったり、危機的状況になったり、を何度か繰り返されたようでした。お嬢さんから連絡をいただき、お亡くなりになる前の週の月曜日に面会させていただきました。ずっと目を閉じていらしたのですが、お嬢さんと事務員の森さんと私が先生の傍らで笑いながらおしゃべりしてるのをきっと聞いていらして、「みんな勝手言ってるな」と思われたと思います。
先生はまだまだ大丈夫、顔色がよく、つやつやされていて、すぐにでも目を開けるのではないかとおもえるほどのご様子でした。「先生、また面会に来ますね」そうお伝えしてお部屋を出ました。
人権ネットの月例会のあと、「小野さん、小さなところを借りて、また事務所やりたいね」とおっしゃっていました。私だってそう思っていました。私の「働く人生」は、清水先生のところで終わりになるのが当たり前だとずっと思っていたのですから。
残念なことばかりですが、今はひたすら先生のご冥福をお祈りするだけです。
たてお先生、どうぞ安らかにお眠りください。
母のこと
母の認知症はだいぶ進んでしまったので、たてお先生が亡くなられたことを伝えてもわからなかったのですが、たてお先生は私の実家に泊まっていただいたことがあり、母の味噌汁を「とってもおいしかった」と言ってくださったことが思い出されます。
母の面会に行くと、家族には施設から何も伝えられないまま、母は一人ベッドに横たわり、尿の管を入れられていました。褥瘡ができ、医師の指導で治るまで管を入れてなるべく横になっていただいていますとのことではありましたが、状況は説明してほしかった。人手のない日曜日はおむつ交換も大変なので、管を入れ、寝ていてもらうのが施設にとっても便利なのだろうと勝手に想像してしまいました。
ところが、翌々週に娘もいっしょに面会に行ったところ、娘をみて「かわいい」といい、私たちにも、たぶん私たちにも「うれしい」と言葉を発したのです。
施設は施設の都合で母を手間のかからないように押しやっているという思いがむくむく湧き上がっていたところで、この母の発語は、私たちに思い過ごしかなと思わせる十分な効果がありました。たぶん、ずっとほおっておかれていたら、母に意味のある発語は難しいのではないか、施設の人の母への声掛けや会話が頻繁にあるから言葉がでたのではないか、とすっか
りうれしくなりました。ちょっと単純ですか??
母の褥瘡がよくなるまではなるべく毎週面会に行こうと思っているのですが、この日曜日は車を乗りだした途端、ファンが回っているような異音がし、それが30分走ってもやまないので、車が動かなくなったら何もできない私には最悪、と、残念ながら自宅に引き返して母には会えずじまいでした。なんとも残念でした。
嚥下のリハビリをすることにもなっています。母の能力は時に上がるものだということがわかりこれからもできる限り刺激を与えに母に会いに行こうと思ったのでした。
8月30日 暑気払いでした
暑い日でしたが、暑気払いが行われました。古野さんが前日の診断で帯状疱疹とわかり、参加できなくなりました。萩原さんも弟さんの病状がよくないと参加を見合わせました。直前に二人の欠席、今年は参加者が少ないだろうと思い、少し残念に思っていたところ、15名の参加を得て、にぎやかで楽しい時間を過ごすことができました。
久々の参加者は、向さんとヘルパーさん、市川和彦さん、若山さん、皆さま、ご参加ありがとうございました。
向さんはいつも楽しみにしてくださるのですが、なかなか日程があわず、久々の参加でした。ヘルパーさんの後藤さんも二度目にお会いする方でした。すぐになじんでいただけたようでした。
市川和彦さんは久しぶり、20年ぶりくらいの参加だと思うとおっしゃっていました。また是非ご参加ください。市川さんの活動についてのパンフレットをいただきましたので、会報に同封いたしますので御覧ください。幅広い福祉分野の活動をされています。市川さんに講師をお願いし、学習会ができたらいいなと思います。その節はよろしくお願いいたします。
皆さまから差し入れもたくさんいただきました。
ありがとうございました。
片付けもたくさんお手伝いいただき助かりました。
残金920円をネットワークの会計に入れました。
皆さまご注意ください
古野さんが帯状疱疹で湿疹がよくなるまでに時間がかかったようですが、そのあとも倦怠感、疲労感が続いたそうです。木下大石法律事務所の木下先生も帯状疱疹に罹り、顔半面がマヒして10日間入院しました。
帯状疱疹の予防接種を呼び掛けていますが、予防接種したほうがいいです、というのが罹患先輩者の意見です。
障害者施設で38歳女性が全身やけどで死亡…50度前後で入浴か、母「どれほどつらい思いを」
2025/09/08 06:45 読売新聞ネットニュース
宮城県石巻市門脇の障害者施設で2022年12月、入浴介助を受けていた入所者のAさん(当時38歳)が全身にやけどを負い、
死亡する事故があったことが分かった。施設がまとめた事故報告書では、湯温が50度前後だった可能性があったとした。遺族は関係職員を業務上過失致死容疑で刑事告訴しており、同市内の母親(76)は7日に取材に応じ、「真実を明らかにしたい」と無念さをにじませた。
「真実を知りたい」と語る母親は、いまだに娘の遺骨を納骨できずにいる
Aさんは生まれつき心身に重い障害があり、言葉などによる意思表示ができず、普段は車椅子で生活していた。介護をする母親が病気で入院するため、22年11月30日から、同施設に短期入所をしていた。
事故報告書によると、浴室の蛇口は熱湯と水が別々だった。同年12月30日午前9時10分から湯張りを行い、職員2人が素手で湯温を複数回確認、温度計が40度を示していたことも目視したという。
同10時3分、リフト付きの浴槽にAさんを入れたが5分後に風呂から上げると、右太ももの皮膚が剥がれたような痕を見つけ、症状が胸部や腹部などに進行。やけどと判断し、同26分に119番した。
Aさんは、市内の病院からドクターヘリで仙台市内の病院に搬送され、3日後の1月2日、全身熱傷による呼吸不全で亡くなった。やけどは全身の60%に及んでいたという。報告書では事故原因について、湯をかき混ぜなかったことや、温度測定が統一されていなかったことなどを挙げている。
遺族などによると、事故直後、駆け付けた親族に、施設側は「40度のお湯に5分入れた」と説明し、43度を示した温度計の画像を見せたという。だが、その後の施設の検証で、湯温は50度前後だった可能性があることが判明。
見せた画像もAさんを病院に搬送した後の午前10時42分に撮影したものだった。
遺族は昨年2月、石巻署に刑事告訴した。母親は「お湯の温度の説明など到底納得できるものではなく、不信感が募っている」と主張。「Aはいつも笑顔で穏やかな性格だった。言葉も発することができず、どれほどつらい思いをしたのだろう。悔しくてならない」と訴える。
この事故を巡って、施設は23年1月に県の特別監査を受け、事故報告書や改善報告書を提出。マニュアルを見直して湯のかき混ぜや温度確認に関して追記することや施設改修を行うとしている。
同施設の園長は、取材に対し「事故の責任は施設にあり、組織としての体制の不備が大きな原因と考えている。一人の命を奪ってしまったことは、ご遺族に深く謝罪するしかない」とした上で、「警察の調べが行われており、誠意をもって事実をそのままに伝えたい」としている。
編集後記
人権ネットワークの大きな支柱であった清水建夫先生がお亡くなりになりました。とても悲しく残念なことですが、清水先生の遺志を引き継ぎ、今後もできる限りの活動を続けていきたいと思います。皆様のご協力をお願いいたします。
清水建夫先生の追悼のための文集を作成することになりました。どんな内容でも結構です。清水先生を思い、皆さまの思い出を言葉にし、文字にし、先生の死を悼み、追悼することが何よりのご供養になると思います。賑やかなこと、人が集まることがお好きだった先生です。楽しかったこと、ともに苦しんだこと、なんでも結構です。皆様の原稿をお待ちしています。12月中には完成させ、皆さまとご遺族にお渡ししたいと思います。
生きているといろいろなことがあるんですね。楽しいことばかりもないけれど、悲しいことばかりもない。あざなえる縄のごとし。そんなことを感じることが多くなってきました。
健康に気を付けながら、これからもたくさんの楽しいことをご一緒しましょう。
クリスマス会のお知らせは改めて郵送いたします。宜しくお願い致します。
7月に中央区役所にお願い書を提出しましたが、特に返答はありません。障害を持つ人の立場はこのように置き去りにされるのかと悲しくなります。それでも何もしないよりまし。残念ですが、もの言うことが大切ですね。
年会費とともにたくさんのカンパをいただいています。本当にありがとうございます。
続けることに意味がある。存在することに意味がある。楽しく集える仲間がいる。
前向きに行きましょう!!
事故から3年経過し、ようやく慰霊できたそうです。慰霊に出向いた僧侶の方々は、以前黄色い袈裟をつけ人権ネットに参加くださった日本山妙法寺のお坊様だそうです。
